ザ・コミュニスト

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(18)

2015-04-19 | 〆リベラリストとの対話

16:完全自由労働制について④

リベラリスト:あなたは『共産論』の中で、「資本主義世界の男性が狂奔してきた貨幣獲得‐利潤追求という大目標が完全に消失する共産主義社会にあっては、企業活動に対する男性の意識の持ち方も変容し、企業活動とは別のところに自己の道を見出そうとする男性が増えるかもしれない。このような男性的価値観の転換は、社会的地位における男女格差を解消する可能性を促進すると考えられる。」と述べられています。暗唱したくなるほどの名調子ですが、内容的にはいささか疑問を抱いています。

コミュニスト:つまり共産主義社会にあっても、男性の意識は変わらず、社会的地位における男女格差は解消されないだろうということですか。

リベラリスト:男性の意識以上に、女性の意識がある意味「変わる」のではないか。あなたが想定する完全自由労働制は貨幣経済の廃止の上に成り立つわけですから、働いて生活費を稼ぐという習慣はなくなります。となると、女性たちも生活のため無理に働くこともないので、主婦として家庭に入る道を選ぶ人が再び増大するのではないかと思うのです。

コミュニスト:そうだとすると、資本主義社会の女性たちは本当は主婦志望なのに生活の必要上やむを得ず渋々と就労していることになりますが、果たしてどうでしょうか。そういう人もいるのでしょうが、多くの人は、働くこと自体の喜びや生き甲斐を求めていると推察します。

リベラリスト:この問題は結局、以前議論した無報酬の完全自由労働というものが果たして成り立つのかという問題に帰着するでしょう。労働と消費が分離されて、一切働かなくとも生活できるという夢の社会になれば、最悪の場合、老若男女みんなして労働から引いてしまい、決定的な労働力不足に陥りかねないわけです。

コミュニスト:それでは議論が振り出しに戻ることになります。あなたに引用していただいた箇所で私が主張しているのは、さしあたり貨幣経済の廃止が男性の「企業戦士」的な価値観を転換する可能性です。

リベラリスト:はい。たしかに、貨幣経済が廃止され、労働して金を稼ぐという慣習が消滅すれば、「企業戦士」はいなくなるでしょうし、彼らの「銃後」を内助の功で支える「家内」もいなくなるでしょう。ですが、それによって、あなたが想定するように婚姻家族制自体も変容・消滅して、夫/妻という役割規定すら消失するというのは、いささか飛躍があるように思えるのです。

コミュニスト:たしかに、労働形態の問題を家族形態の問題に関連付けたのは、少し性急だったかもしれません。あなたが悲観されるように、共産主義社会下でも「男=夫は仕事、女=妻は家事」というような古い婚姻家族モデルが根絶されない可能性はあるでしょう。ですが、私はもう少し楽観的な予測を持っています。

リベラリスト:すると、「21世紀の共産主義革命」においては、フェミニストの「女性戦士」が鍵を握っているということですか。

コミュニスト:21世紀中に革命が起きるかどうかについては、より慎重な見通しを持っておりますが、労働をめぐる価値観の転換は女性のみならず、男性も含めたすべての人の思考回路に革命が起きないと、なかなか根本的には進まず、空しいスローガンだけの“男女平等”に終わってしまうだろうとは言えます。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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