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晩期資本論(連載第39回)

2015-04-21 | 〆晩期資本論

九 資本の再生産(1)

資本の再生産過程は、この(資本の)直接的な生産過程とともに本来の流通過程の両段階をも包含している。すなわち、周期的な過程━一定の周期で絶えず新たに繰り返される過程━として資本の回転を形成する総循環を包括している。

 『資本論』第二巻の最後は、資本の再生産の構造論で締めくくられる。復習すると、再生産が包含する「資本の直接的な生産過程は、資本の労働・価値増殖過程であって、この過程の結果は商品生産物であり、その決定的な動機は剰余価値の生産である」。

社会的総資本の運動は、それの独立化された諸断片の諸運動の総体すなわち個別的諸資本の諸回転の総体から成っている。個々の商品の変態が商品世界の諸変態の列━商品流通━の一環であるように、個別資本の変態、その回転は、社会的資本の循環のなかの一環なのである。

 マルクスがここで分析しようとしているのは、個別資本の再生産過程ではなく、個別資本の総計としての社会的総資本の再生産と流通過程である。ここから、マルクスは古典派経済学が一蹴したケネーの経済表にヒントを得た独自の再生産表式を導く。

・・・・・この社会的資本の一年間の機能をその結果において考察するならば、すなわち、社会が一年間に供給する商品生産物を考察するならば、社会的資本の再生産過程はどのように行なわれるのか、どんな性格がこの再生産過程を個別資本の再生産過程から区別するのか、そしてどんな性格がこれらの両方に共通なのか、が明らかになるにちがいない。

 言い換えれば、「生産中に消費される資本はどのようにしてその価値を年間生産物によって補填されるか、また、この補填の運動は資本家による剰余価値の消費および労働者による労賃の消費とどのようにからみ合っているか」ということが、再生産表式の問題提起となる。

社会の総生産物は、したがってまた総生産も、次のような二つの大きな部門に分かれる。
Ⅰ 生産手段。生産的消費にはいるよりほかはないかまたは少なくともはいることのできる形態をもっている諸商品
Ⅱ 消費手段。資本家階級および労働者階級の個人的消費にはいる形態をもっている諸商品。
これらの部門のそれぞれのなかで、それに属するいろいろな生産部門の全体が単一の大きな生産部門をなしている。すなわち、一方は生産手段の生産部門を、他方は消費手段の生産部門をなしている。

 ここで、マルクスは再生産表式分析の基本視座となる産業構成の二大部門を提示している。この視座は、資本主義のみならず、共産主義を含むあらゆる生産様式について妥当する普遍性を持つ。

それぞれの部門で資本は次の二つの成分に分かれる。
(1)可変資本。これは、価値から見れば、この生産部門で充用される社会的労働力の価値に等しく、したがってそれに支払われる労賃の総額に等しい。素材から見れば、それは、活動している労働力そのものから成っている。すなわち、この資本価値によって動かされる生きている労働力から成っている。
(2)不変資本。すなわち、生産部門での生産に充用されるいっさいの生産手段の価値。この生産手段は、さらにまた、固定資本、すなわち機械や工具や建物や役畜などと、流動不変資本、すなわち原料や補助材料や半製品などのような生産材料とに分かれる。

 可変資本と不変資本の区別は、以前の復習である。「つまり、各個の商品の価値と同じに、各部門の年間総生産物の価値もc(不変資本)+v(可変資本)+m(剰余価値)に分かれるのである」。再生産表式論とは、煎じ詰めれば上記二大産業部門間でのc、v、m三要素のインプットとアウトプットの法則を構造的に明らかにすることである。

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