ザ・コミュニスト

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戦後日米関係の精神分析(下)

2015-05-02 | 時評

前回の末尾で、戦後日米関係において、原爆を投下して叩き潰すほど憎かった日本を戦後は一貫して庇護し続ける米国側心理の分析を予告しておいた。

これについてはまず、「ストックホルム症候群」と対照される「リマ症候群」が想定できるかもしれない。リマ症候群はストックホルム症候群とは逆に人質監禁等の加害者側が被害者の人質等に親近感を抱くようになる心理であり、「症候群」とはいうものの、必ずしも病的な反応ではない。

これは一般に、監禁等の加害者側の人数が被害者側よりはるかに少なく、加害者側が知的な面で被害者側より劣勢であるような場合に好発するとも言われるが、占領中、米軍関係者はもちろん日本国民よりはるかに少なく、兵士の多くは低学歴者で、当時から比較的啓発され、礼儀正しい日本国民への親近感や畏敬が生じても不思議はない。

こうして米国は7年の占領統治の間、日本に駐留した米軍人たちの見聞を通して日本に対する偏見を解き、親近感をも持つようになっていった。

それだけのことなら、単なる友好国で終わるだろうが、占領終了後も日本を衛星国に付けて半永久的に日本を庇護するのはなぜだろうか。極東地域における米国のプレゼンス云々という政治的な説明を抜きにすれば、原爆投下に対する罪悪感の沈潜を想定することができるのではないだろうか。

米国では今日に至るまで、「原爆投下は無駄な抗戦を続ける軍国日本を降伏させ、戦争を早期に終結させるために必要な正しい政治決断であった」というのが通念であり、原爆投下の反人道性を自己批判したり、公式に謝罪したりすることはタブーとされている。

だが、米国人も総体としては決して情性欠如のサイコパスではないからして、原爆投下による大量殺戮を心底正当化しているとは考えられない。公式には口にできないために抑圧隠蔽された罪悪感が深層に蓄積しているのだ。

そうした深層心理的な罪悪感が、日本の変わらぬ忠誠心への好感と相乗して、日本に対する一貫した庇護的態度を支えている―。そのような仮説を立ててみたい。

ただ、このように両国ともに原爆投下という反人道的事象を半世紀以上も引きずりながら続けられているいささか症候的な忠誠と庇護の関係がいつまで続くかは、予断を許さない。原爆投下も遠い歴史的過去のこととなれば、また違った関係性が生まれてくるかもしれない。

その場合、どちらかと言えば症候的心理よりも戦略的な思惑の強い米国側から先に変化するだろう。今般首脳会談後に発せられた「不動」「強固」「希望」等々の演出的な美辞麗句の裏で、どこか冷めた感情もすでに働き始めているようには感じられないだろうか。

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戦後日米関係の精神分析(上)

2015-05-02 | 時評

安倍‐オバマの今般日米首脳会談で、「不動の同盟」とまで規定されるに至った戦後の日米関係が世界史的にも稀有なのは、人類史上初の核兵器使用により壊滅させられた被害国が加害国に対して、不動の忠誠を誓っていることである。

安倍や彼の支持者たちのように、東京裁判の意義を否定し、現行憲法を米国主体の連合国軍による占領下押し付け憲法と被害的に受け止める勢力ですら、対米協力姿勢はそれこそ不動である。

反米気風が世界一強いアラブ人がよく口にする素朴な疑問は、「日本人はなぜ原爆投下という歴史的な残虐行為をされながら、米国にこれほど忠実なのか?」だそうであるが、十分頷ける疑問である。反抗精神の強いアラブ人ならば、徹底抗戦で復讐しようとするだろうからだ。

ここには、人間が持つ一般的な精神病理とともに、日本人固有の精神構造も深く関わっているように見える。

まず人間が持つ一般的な精神病理としては、いわゆる「ストックホルム症候群」が想定される。これはご存知の方もあるだろうが、人質監禁などの被害者が長時間犯人と過ごすことで、犯人に親近感を抱くようになる病的心理である。

この心理の根底にあるのは、真の意味での親近感ではもちろんなく、恐怖心である。抗うことのできない凶暴な相手への畏怖の念が、親近感へと変わる。ただ、この心理は通常一過性のもので、監禁等の状況から解放されれば、親近感は憎悪へと反転するという。

日本人は敗戦後、7年に及んだ占領下、原爆投下の「犯人」であり、圧制的支配者である米軍(軍人)と共に過ごす中で米国への親近感を持つようになった。占領終了後も米軍は各地に居座り、日本を衛星国支配している現実は変わらない。よって、日本人のストックホルム症候群もまだ治癒していないのだ。

こうした自然の生体反応である精神病理に加え、より打算的な心理として、「長いものには巻かれよ」という日本人に多い行動原理がある。米国は近年覇権に陰りは見えるが、依然として世界最強の軍事‐経済大国。世界最大級の「長いもの」である。これに巻かれない法はないというのが、日本人的心理であろう。

この長いものに巻かれるという行動原理は当然、短いもの=弱者の戦略であるが、反面、自分よりも弱者には強い態度で出るという反転原理を伴う。これは、目下、苦境にある韓国に対するバッシング的な態度に表現されているように見える。

このような「強きを助け、弱きをくじく」ような行動原理―強者追随心理―がどこから来たのかは難問であるが、日本人の集団主義的心性の所産であるというのが一つの仮説である。集団主義は、集団の頂点に立つ強者に集団メンバーが追随することで集団の結束を維持する。集団主義では、長いものに巻かれることはメンバーにとって必須の生き残り戦略である。

ただ、集団主義は通常、仲間内で成立するもので、集団外部には及ばないはずであるが、国際政治も人類という大集団内部の生活現象ととらえるならば、この人類大集団の最強者である米国に追随するのが得策という戦略的判断となろう。

こうしたストックホルム症候群の遷延+長いものに巻かれるという生理的‐戦略的な行動が、戦後日本のまさしく不動の対米追随姿勢を支えているものなのではないだろうか。

一方、かつては主敵として戦い、ナチスドイツに対しても使わなかった原爆投下という残虐な手段を辞さないほど憎悪していた日本を戦後は一貫して庇護し続ける米国の精神構造はいったいどういうものなのであろうか。(つづく)

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