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晩期資本論(連載第57回)

2015-08-10 | 〆晩期資本論

十三 金融資本の構造(1)

 マルクスは商業資本の分析に続いて、金融資本の分析に取り組む。もっとも、彼は金融資本という機能的な語は用いず、利子という利潤形態に着目して「利子生み資本」と呼ぶが、ここでは現代的に金融資本と称することにする。金融資本のプロトタイプとなるのは旧両替商のような貨幣取引資本である。マルクスはこれについて、さしあたり商業資本の特殊形態として分析している。

産業資本の流通過程で、また今ではわれわれがつけ加えることのできる商品取引資本の流通過程で(というのは商品取引資本は産業資本の流通運動の一部分を自分自身の特有な運動として引き受けるのだから)貨幣が行なう純粋に技術的な諸運動―この諸運動は、それが独立して一つの特殊な資本の機能となり、この資本がそれを、そしてただそれだけを、自分に特有な操作として営むようになるとき、この資本を貨幣取引資本に転化させる。

 具体的には、「貨幣の払出し、収納、差額の決済、当座勘定の処理、貨幣の保管などは、これらの技術的な操作を必要とさせる行為から分離して、これらの機能に前貸しされる資本を貨幣取引資本にする」。

貨幣取引業、すなわち貨幣商品を扱う商業も、最初はまず国際的交易から発展する。いろいろな国内鋳貨が存在するようになれば、外国で買い入れる商人は、自国鋳貨を現地の鋳貨に、また逆の場合には逆に両替えしなければならないし、あるいはまたいろいろな鋳貨を世界貨幣としての未鋳造の純銀や純金と取り替えなければならない。こうして両替商が生まれるのであるが、これは近代的貨幣取引業の自然発生的な基礎の一つとみなすべきものである。

 かくして両替商は金融資本の原初形態となるが、今またビットコインのような新たな電子貨幣システムの発明により、その取引を仲介する一種の両替商が出現してきていることは注目される。貨幣の電子化という段階に達した現代資本主義が生みだす新たな貨幣取引資本とも言える。

貨幣取引業が媒介するのは貨幣流通の技術的操作であって、この操作を貨幣取引業は集中し短縮し簡単にする。貨幣取引業は、蓄蔵貨幣を形成するのではなく、この蓄蔵貨幣形成が自発的であるかぎり(したがって遊休資本や再生産過程の撹乱の表現ではないかぎり)、それをその経済的最小限に縮小するための技術的な手段を提供するのである。

 貨幣取引業の本質は仲介であって、「貨幣取引業は、ここで考察しているような純粋な形態では、すなわち信用制度から切り離されたものとしては、ただ、商品流通の一契機としての貨幣流通の技術と、この貨幣流通から生ずるいろいろな貨幣機能とに関係があるだけである」が、それは貨幣流通の効率化という点で不可欠の役割を果たすことになる。

貨幣取引資本は、それの元来の機能に貸借の機能や信用の取引が結びつくようになれば、もはや十分に発展しているわけである。といっても、このようなことはすでに貨幣取引業の発端からあったのではあるが。これについては、次篇、利子生み資本のところで述べる。

 貨幣取引業は仲介業であるとはいえ、通常は金融機能が付加され、信用取引の仲介も展開する。その結果、貨幣取引資本はその発端から金融資本としての性格を有していた。現代資本資本主義においては、そうした金融資本が貨幣取引資本を吸収しているので、純粋形態の貨幣取引資本はほとんど見られない。

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