Ⅱ 悪魔化の時代
精神障碍という観念
今日では、いわゆる心の病を指す用語として普遍的に用いられる精神障碍という観念は身体障碍と比べても、各文化によりその把握の仕方に相当の違いが見られる。例えば中国では伝統医学(中医)において、古代から精神疾患を身体疾患と関連づけた一つの病として治療の対象とした。
また律令制では精神障碍者の犯罪行為に特別の規定が置かれ、日本初の律令法典・大宝律令及びそれを継いだ養老律令にも精神障碍者による犯罪の減免に関する規定が存在するなど、意外にも近代を先取りするような処遇が定められていた。
古代ギリシャにおいては、西洋医学の祖ヒポクラテス名義の著作に精神疾患に関する記述が見られるとともに、社会的にも精神疾患を神がかったインスピレーションの表出としてポジティブに見ようとする傾向があった。
こうしたギリシャ的観念は古代ローマにも継承されたが、キリスト教はここでも悪魔化を行なっている。すなわち精神障碍を悪魔に取り憑かれた状態と解釈し、医学より道徳の問題として把握して精神障碍者を迫害の対象とするようになった。正確な統計はないものの、中世ヨーロッパで隆盛化する異端審問や魔女裁判では少なからぬ精神障碍者が誤審の犠牲になったと想定される。
この時代も精神障碍に対する「治療」が否定されていたわけではないが、それはヒポクラテスに始まる古代ギリシャ医学の「四体液説」をベースとした非科学的な理論に基づくものにとどまっており、また多分にしてキリスト教的な解釈が加えられていた。
こうして教義宗教の発達は精神障碍に関しても悪魔化を助長したが、イスラーム教ではいささか事情が異なる。イスラーム圏ではギリシャ医学が取り入れられるとともに、独自の医学理論が発達し、8世紀初頭のバクダッドを皮切りとして中東各地に精神医療施設が開設された。
それらは近代的な意味での病院ではなかったとはいえ、施設では薬物療法のほか、水浴療法、音楽療法、作業療法など近代的精神医療を先取りするような取り組みがなされ、中世イスラーム圏は精神医療の先進的地域となったのである。
ちなみに、日本では律令制が崩壊した平安時代頃より精神障碍を「狐憑き」とみなして加持祈祷の対象とする傾向が全国的に広まり、また中世以降、精神障碍者を「仕置き」するような慣習法も現れた。ある意味では近代先取り的だった古代より後退したとも言えるが、この背景には神仏習合的な独特の形で発達した日本仏教の影響が伺える。
なお、広義の精神障碍には知的障碍も包含されるが、知的障碍という概念把握の歴史は浅く、17世紀以降のことであり(後述)、それ以前の知的障碍者はその程度に応じて愚か者や半人間ないし動物扱いされ、重度者は施しの対象とされるばかりであった。