第10章 アジア諸国の農地改革
(1)戦後日本の農地改革
社会主義的な農地改革が断行された諸国を除くアジア諸国の中で、最も早くに革命的な農地改革が実行されたのは、戦後日本である。しかも、それは内発的ではなく、主として米国主導の占領下で断行された「横からの革命」であったことに最大の特色がある。
その点では、やはり戦後、ソ連軍占領下で断行されたドイツのユンカー制解体と類似した経過であるが、日本の場合は資本主義的な枠内で自作農を創設するための農地の再分配として純化されていたことも特徴的である。
それ以前の日本の近代的農地制度は、明治維新後の地租改正を契機に急速に築かれた。すなわち、金納地租の負担に耐えられない小農民が土地を富農に譲渡して小作人に落ちていくケースが続出することで、江戸時代にはむしろ制限されていた大土地所有制が短期間で構築されたのである。
ただ、大土地といっても狭い国土の日本では、ドイツのユンカーやラテンアメリカのアシエンダ地主のように自ら農場経営に当たるのではなく、地主は都市部に住み、小作料のみ徴収する不在地主型が多かった。
不在・在村いずれにせよ、地主らが小作料に依存して生計を営む寄生地主制は戦前日本における農村の貧困の要因であり、戦後の占領政策においては、農地改革が最初に着手された改革策となった。占領軍による農地改革は二次にわたって実施される。
その方法は、不在地主の全所有農地、在村地主の所有土地の相当部分を強制的に政府が買収し、小作人に廉価で譲渡するというものであったが、新憲法29条3項に「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と規定していながら、戦後のハイパー・インフレーションにより、地主からの買収は実質無償に等しくなり、結果としては社会主義的な農地改革に近い効果を持った。
この改革は占領軍の超法規的な統治の下、1947年から50年までのわずか3年間で断行され、全土の小作地のほぼ80パーセントが小作人に分配された。これにより、従前の地主制度は解体され、戦後の日本農業は小土地家族農を軸とした自作農制に大転換されたのである。
この過程は、あたかも明治維新後の地租改正後、急速に小農民層が没落していった過程をひっくり返し、今度は地主層が急速に没落していく結果となったので、実質においては「革命」と呼ぶに値するものであった。
その経済的効果として、農村の生活水準は向上したが、実際のところ、農地の細分化により個々の農家の生産力には限界があり、兼業農家の増加、政府の保護政策による価格競争力の低下という構造問題を引き起こした。
むしろ、日本の農地改革はその政治的な効果が大きく、土地を得た農民たちが持てる者の仲間入りを果たして保守化し、共産党のような革命政党の傘下を離れて互助的な協同組合にまとまり、戦後再編された新たなブルジョワ保守系政党の強固な支持基盤となったのであった。