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共産論(連載第19回)

2019-03-21 | 〆共産論[増訂版]

第3章 共産主義社会の実際(二):労働

(4)婚姻はパートナーシップに道を譲る

◇婚姻家族モデルの揺らぎ
 ここで労働に絡めて家族の問題を取り上げておきたい。庶民層の家族のありようは労働のありようとも密接に結びついているからである。
 例えば、封建的農奴制の時代、農奴の家族は農作業集団であったから、それは子沢山の大家族であるほうが都合がよかった。しかし、資本主義的賃奴制の下での家族は次世代労働力を生産する「工房」であると同時に、日常の消費単位でもある。そのため、家族はもはや大家族である必要はなく、小さな核家族で十分であり、むしろ消費搾取の標的としては核家族の方が資本にとっては都合がよいとも言える。
 しかし、核家族化は必然的に少子化につながり、次世代労働力の確保という総資本にとってのゴーイング・コンサーンが失われかねない矛盾も抱え込んだ。もっとも資本企業の側でも、電動機革命・電算機革命を経て、生産性の向上によってかつてほど大量の労働力を動員する必要がなくなったとはいえ、深刻な労働力不足は賃金水準の高騰を招き、資本企業の利潤率を押し下げ、ひいては長期の不況を引き起こす。そこで経済界としても「少子化対策」を政界に要望するところとなっている。
 ちなみにプロレタリアートとは語源的には「子孫を作って国家に奉仕する者」を意味していたが、資本主義社会のプロレタリアートはそれ以上に、「子孫を作って資本に奉仕する者」を意味している。
 しかしこの「少子化対策」は決して長期的な成功を収めることはないだろう。核家族化は、同時に自由婚の普及を伴っており、両親がセットする見合い婚のような風習をほぼ根絶させたため、「結婚しない男女」が増加し、非婚率が上昇しているにもかかわらず、資本主義は古い婚姻家族中心主義を本質的に乗り越えることができないからである。
 資本主義が婚姻家族中心主義に執着するのは、前近代的な封建制の名残というよりも―保守的風土の社会ではそうした要素も幾分かは認められようが―、資本主義社会において婚姻家族は最も安心できる次世代労働力再生産工房としての意義をなお維持しているためである。

◇公証パートナーシップ制度
 これに対して、共産主義社会では賃奴制が廃止されるから、もはや婚姻家族に労働力再生産機能を期待することはない。そこで、婚姻家族に代わって労働力の再生産を重要な目的としない公証パートナーシップ制度のような新しい共同生計モデルが登場してくるであろう。
 これは、伝統的な婚姻のように「重たい」関係ではなく、当面生活を共にしたい伴侶同士の公証された合意だけで成立する結合制度であって、通常の男女間のほか、婚姻配偶者に先立たれた高齢者同士、同性同士などでも使える汎用性の高いモデルである。
 こうした婚姻家族からパートナーシップへの転換は、欧米社会では資本主義の枠内で先取り的に近年相当進展してきているが、共産主義はその方向をいっそうプッシュするであろう。

◇人口問題の解
 脱婚姻家族化の方向性は、図らずもかえって少子化に歯止めをかける可能性すら秘めている。例えば、登録パートナー間に生まれた子も法的には嫡出の地位を与えられるから、婚姻せずに子を作りやすくなり、かえって子作りの可能性が広がるのである。
 それに加えて、商品‐貨幣交換が廃される共産主義社会では医療・教育も完全無償となるから、家計負担を考慮した子作り抑制という現象も消滅するであろう。
 その一方で、共産主義は深刻な食糧難の要因でもある人口爆発が生じている南の地域では逆に人口増に歯止めをかける可能性がある。商品‐貨幣交換が廃されることによって、一家の働き手を殖やすという構造的貧困ゆえの多産は消滅するだろうからである。
 もっとも、人口爆発には宗教上の理由からの避妊禁忌や一夫多妻風習などの習俗的要因も介在していると言われ、そうした要因が強い伝統地域では公証パートナーシップのような新しい共棲制度は容易に普及しにくいかもしれない。それでも、少なくとも経済的要因からの多産が抑制できれば大きな前進であろう。
 過剰な楽観は許されないとはいえ、共産主義は世界が当面する人口問題―北での人口減と南での人口増―の解となる可能性を秘めていると言える。

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