ザ・コミュニスト

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共産論(連載第25回)

2019-04-08 | 〆共産論[増訂版]

第4章 共産主義社会の実際(三):施政

(4)官僚制が真に打破される

◇立法・行政機能の統合
  現代国家はその体制のいかんを問わず巨大な官僚制を擁するようになっており、暗黙のうちに民主主義と等置される議会制にあっても、議会審議の舞台裏を仕切る官僚制のために蝕まれ、表層だけの「看板民主主義」と化している。
 そこで官僚制の打破がスローガンとしては唱えられるが空文句に終わりがちなのは、「権力分立」の考えの下に立法とは別個に行政を観念するからである。
 行政とは単に立法府の制定した法律を機械的に執行するだけの権力作用ではなく、まさに「政を行う」より総合的な権力作用であって、そこには立法の前提となる政策立案から法案作成の権限まで含まれ得る。そのため、立法府(議会)の立法能力の欠如とあいまって、行政官僚が自立化し、行政府(政府)の法案提出権を通じて官僚が事実上立法権を簒奪するに至るのである。かくして、議員はラバー・スタンパーと化していく。(※)
 このような事態を打破するためとして、大統領や首相(地方自治体であれば首長)といった総裁職の政治主導権を大幅に強化することは、まさに「ボス政治」の極致であって、執行権独裁・ファシズムへつながる道である。
 そうではなく、古典的な権力分立の構造そのものにメスを入れ、民衆会議の下に立法と行政とを統合していくことが「真の民主主義」の道である。
 とはいえ、外見上の構制の点で、民衆会議と議会には類似点も多い。例えば民衆会議にも多くの諸国の議会と同様、政策分野ごとに常任委員会と個別問題に対応するための特別委員会が設置される。
 議会制度と異なる点は、政策立案や法案提出をする政府が存在しないため、案件の発議はすべて代議員自らが行い、具体的な政策立案から法案作成に至るまで常任委員会または特別委員会が中心的に担うことである。
 それを可能とするべく、各委員会には常勤・非常勤の専門調査員が多数配置され、以上のプロセスを強力にサポートする。これら専門調査員は研究者や法律家、その他の各種実務家といった個別の政策や法令に通じた専門家の中から幅広く任用される。
 議会制度との決定的な違いは、民衆会議が立法機能に加えて行政機能も持つことである。つまり、法執行機関を含むすべての行政機関は民衆会議の下部機関として関連する常設委員会の管轄下に置かれ、委員長はこれらの機関を指揮監督する責任を負う。
 民衆会議各委員会の委員長は一種の閣僚的な役割を果たし、全委員長及び民衆会議正副議長で構成する合議体である「政務理事会」が民衆会議の執行部を構成する。
 この政務理事会は現在の国家制度で言えば内閣に近いが、単なる行政機関ではなく、民衆会議の議事日程の調整なども担う中枢機関である。ただし、政務理事会には首相に相当するような筆頭職は置かず、民衆会議議長が会務を司る。
 以上のような民衆会議の基本構制は全土・地方とも共通である。なお、民衆会議の下に立法・行政機能が統合される以上、民衆会議は単なる立法府以上のものであるから、それは会期制を採らない常設機関でなければならない。
 また民衆会議の任務の多さに照らせば、代議員定数は全土・地方とも現在の議会の議員定数と比べてもはるかに多数であることを要する。この点、貨幣経済の廃止が財政難からの定数削減という本末転倒の必要を失わせるのである。念のため付言すれば、民衆会議代議員は全土・地方どのレベルにおいても完全に無報酬である。

※行政府に法案提出権を認めず、法案すべてが議員立法として成立する米国の議会制度には、民衆会議制度に近い面も認められる。しかし、反面、米国の立法過程では業界利益を代表する圧力団体とその代理人たるロビーイストが暗躍する。このように利権団体の性格を持つ圧力団体が立法過程を支配することも、官僚制とは別ルートによる民主主義の空洞化の一形態であると言える。

◇法律と政策ガイドライン
  民衆会議の立法機能は現在の議会のそれと大差あるわけではなく、やはり法律の制定が中心である。ただ、先述したように、街区を除く地方自治体の民衆会議も、その権限に属する事項に関してれっきとした法律を制定することができることは、議会制度との相違点である。
 ところで、現代国家は一般的に「法治国家」を自称するため、あらゆる政策を法律化しようとする衝動が強い。この法律こそ、その形式的な立法技術に通じている官僚たちの最大の武器なのである。いかなる政策も最後は法律化しなければならないとなれば、しょせんは官僚天下である。
 しかし、すべての政策を法律化しなければならないというのは大きな思い込みである。実際のところ、法律化が必要なのは司法関連分野のように権力行使を適正に規律しなければならないような分野を筆頭として、そう膨大ではない。特に一般民生に関わる分野では、形式的な法律化がかえって政策展開の柔軟性を失わせる場合すらある。
 そこで、あえて法律化を必要としない場合や法律化が適切でない場合は、法律に代えて「政策ガイドライン」という手段による。「政策ガイドライン」とは、一定の政策の遂行に関する準則を定めた規範文書の一種であり、法律とは異なるが、法律に近い手続きによって民衆会議が制定・改廃するものである。このガイドラインには法律ほどの拘束力はないが、単なる指針でもなく、担当公務員に対しては職務忠実義務の内容を成す規範性を有するのである。
 ただ、法律と政策ガイドラインのいずれによるにせよ、民衆会議は第一段階から自力で練り上げていかなければならないことに変わりはない。そのために民衆会議の立法手続きは議会のそれよりも精緻を極めるであろう。以下、その一例を示す。
 まずすべては代議員(最低三人以上)の発議から始まるが、発議は必ず発議者たる代議員の所属する委員会に対してなされる。発議を受けた委員会では最初に「予備審議」(非公開)を行って、発議内容をそもそも法律化ないしガイドライン化すべきか、すべきとしてもいずれが妥当かを審議する。
 そこで、法律化またはガイドライン化すべきとの決議を得た場合は、発議者と他の代議員及び外部の専門家を加えた「立法調査パネル」を設置する。同パネルは外部の幅広い有識者に対して文書による意見照会を行い、その内容を検討しつつ調査報告書を作成する。この報告書は一般に公開されたうえ、担当の小委員会で審議にかけ採否を決する。
 可決された場合、同報告書に基づいて法案またはガイドライン案を作成する。法案の場合は民衆会議法制局で形式的な文言や表現の正誤、他の法令との整合性などの精査を受け、必要な修正を加えて正式に法案化したうえ委員会審議にかける。ガイドライン案の場合も、法律との整合性などに関して法制局の精査を経て委員会審議にかける。
 政策ガイドラインは、委員会で可決されれば、それで有効に成立する。この点が、法律との最大の相違点となる。法案の場合は、委員会で可決された後、事前に全代議員に全文が配付され、回覧に付されたうえで本会議にかけられる。
 今日、委員会中心主義を採る議会の本会議はほとんど儀式と化しているが、民衆会議の本会議は最終的な総括審議の場として重要である。そこでは発議した代議員との間で質疑応答が交わされたうえ、単純に可決か否決かではなく、委員会への差し戻し・修正という議決も認められる。
 差し戻しの場合は質疑応答で出された意見を添えて委員会へ持ち帰られ、修正するか継続審議とするかが採決される。修正案を作成する場合は、再度立法調査パネルを設置して上述の手続きを繰り返す。

◇一般市民提案
 以上は民衆会議の原則的な立法手続きのあらましであったが、民衆主権を旨とする共産主義社会では一般市民提案(イニシアティブ)による立法も促進される。この点、地方自治のレベルでは従来から直接請求の制度などが発達してきているが、共産主義はこの方向をいっそうプッシュするであろう。
 これに対して、全土のレベルでは全土的な利害に関わる大きな政策を扱うことから、直接請求を制度化することは困難であり、ここでは請願制度の強化が目指される。ブルジョワ国家への請願はお上への願い事にすぎないが、民衆会議体制の下での請願は一般市民提案の有力な手段となる。
 その場合、正式の請願は有効性が証明できる所定数の署名をもってする必要はあるが、適法に請願された案件については、民衆会議の常任委員会の一つである「請願委員会」が受理したうえ、該当の委員会へ回付すべき案件かどうかを採決する。回付が議決された場合には、該当の委員会において法律化またはガイドライン化すべきかどうかの「予備審議」を行う。その後の手続きは上述した立法手続きに準ずるが、この場合の立法調査パネルは該当する委員会または小委員会の委員長を中心に構成する。
 以上の請願制度をいわゆる陳情やロビー活動と混同してはならない。議会制度の下で盛行する陳情やロビー活動はまさにブルジョワ階級の利益共同体たるブルジョワ国家にふさわしく、利害関係を持つ者たちが自分たちに有利な法律を制定させるための利権拡大運動にほかならない。
 民衆会議体制にあっては利害当事者による代議員に対する直接的な陳情、ロビー活動は法律をもって一切禁止される。およそ法律の制定を望む者は前述した請願や直接請求の方法によることを要し、かつそれが唯一のルートである。

◇官僚制の解体・転換
 かくして民衆会議体制の下では中央省庁や都道府県庁、市町村役場といった官僚制の牙城はすべて解体されることとなるが、以上のような民衆会議の仕組みからすれば、官僚制なしに社会の運営は可能だと確信できるはずである。 
 旧官僚制諸機関は基本的にすべて政策調査機関または単なる行政サービス機関に転換される。政策調査機関とは、各政策分野ごとに設立される民衆会議直属のシンクタンクであって(例えば環境政策研究所、交通政策研究所等々)、民衆会議の政策立案、立法にあたって代議員や委員会の求めに応じて必要な情報や統計などを提供する任務を負う。その中核スタッフは一種の研究職であって、官僚のように法案作成に関与することはなく、政策の当否について発言することもない。こうしたシンクタンクは、地方の民衆会議にも相似的に設置される。

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共産教育論(連載第45回)

2019-04-08 | 〆共産教育論

Ⅷ 課外教育体系 

(3)未成年者向け私的学習組織  
 共産主義的な課外教育体系における未成年者向けの私的学習組織としては、いわゆる習い事の各種学習組織がある。広い意味では、前回見たスポーツクラブもそこに含まれるが、ここではスポーツ以外の学習組織を扱う。  
 このような私的学習組織は、習い事の数だけあり得るというほかないが、それらはいずれも民間人によって自由な形式で運営される。資本主義社会ではしばしばこうした私的学習組織も株式会社のような営利企業として法人格を有しているが、貨幣経済が存在しない共産主義社会では私的学習組織が営利企業化することはなく、法人格を持つこともない。  
 すなわち、こうした私的学習組織はすべてその運営者がボランティアで任意に指導する私塾のような性格のものであり(ただし、助手や職員を雇用する場合は、労働法の適用を受ける。)、学習者もまた自身の関心と適性に応じて任意に通学するだけである。   
 その点、発達した資本主義社会では労働者階級にも経済的な余裕が生じ、親の指示で子どもが多数の有償の習い事をさせられるような風潮が見られるが、共産主義社会ではそのような風潮には歯止めがかかるだろう。なぜなら、無償の私的学習組織は自ずとその数も限られるからである。反面、営利主義と無縁な限られた私的学習組織はその指導の質や熱意においては高いレベルが保証されるはずである。  
 一方、教科学習の補習を目的としたいわゆる学習塾のようなものは、そもそも社会的なニーズがほぼ存在しない。すでに見たように、共産主義的な13か年一貫制の基礎教育課程は通信制をベースとする個別教育を旨としており、集団的な学校教育に伴いがちな「落ちこぼれ」を生まないよう配慮されているからである。  
 なお、入学試験によって分断されず、かつ大学のような選抜的高等教育制度も持たない13か年一貫制の公教育制度において、受験指導に特化した受験予備校のような学習組織のニーズも存在しないことは明らかである。

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