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近代革命の社会力学(連載第415回)

2022-04-22 | 〆近代革命の社会力学

五十八 アフリカ諸国革命Ⅳ

(3)ソマリア救国未完革命
 エチオピア救国革命とほぼ同時並行で勃発したのが、隣国ソマリアでの救国革命である。ソマリアは、1969年の社会主義革命以来、バーレ大統領による実質的な軍事独裁体制が続いていたが、エチオピアとの戦争以来、親ソから親米に鞍替えして政権を維持していたことは以前に見たとおりである。
 そうした立場変更に伴い、マルクス‐レーニン主義の標榜も形骸化し、実態として伝統の氏族縁故政治がはびこるようになっていた。総力戦となった対エチオピア戦争の敗北後は、経済的にも畜産の不振やインフレーションの亢進、さらに冷戦終結後は用済みとなったことで、米国からの援助も打ち切られ、ソマリアは急速に破綻国家へと向かった。
 そうした中、非道な弾圧を強めるバーレ体制に対し、不平氏族を中心とする反体制運動が次々と立ち上がった。とりわけ大集団であるハウィエ氏族が創設した統一ソマリ会議(USC)は、オガデン戦争の英雄ながらバーレ政権に冷遇され、体制を離脱したモハメド・ファッラ・アイディード将軍に率いられ、戦術的にも長けており、1989年の結成から間もない1990年末には首都モガディシオに進撃し、政権は崩壊、バーレはナイジェリアへ亡命した。
 この体制崩壊はエチオピアよりも数か月早く、これがエチオピアでの救国革命への波及的な動因となった可能性はあるが、ソマリアでは革命が早期に収束することがなかった点で、エチオピアとは対照的に、遷延した革命となった。
 その要因として、首都を落としたUSC内部で、軍事部門を率いるアイディードと文民の有力幹部で91年1月に一方的に大統領就任を宣言したアリ・マフディ・ムハンマドの間の激しい主導権争いが生じ、革命政権を樹立できなかったことがある。
 この無政府状態をもたらした対立は、国連や米国を巻き込んで、96年にアイディードが対立勢力との戦闘で負傷し、死亡するまで続き、その間、93年10月には米軍とアイディード派民兵の戦闘で米軍兵士19人が死亡する事態となった。国連が新機軸として打ち出した重武装の平和執行部隊も武力衝突を助長しただけの逆効果に終わった。
 最終的に、アイディードを継いだ子息フセインとアリ・マフディ・ムハンマドの和解を経て、2000年に暫定国民政府が樹立されたことで、長い革命過程はひとまず収束したと言えるが、この間に軍閥化した他の氏族集団はそれぞれの支配地域で事実上分離独立しており、ソマリアは四分五裂した状態となっていた。
 皮肉なことに、ソマリアは人口の大半をソマリ族が占める比較的に単民族的構成でありながら、同族内の氏族(さらにその支族)間の対立が激しいことが救国革命に際しても糾合を困難にし、かえって分裂を助長したのであった。
 この分裂は2012年に正式の連邦政府が樹立されても解消されておらず、統一国家が完全に再構されたとは言えない。それは、一方で海賊集団やイスラーム過激勢力が割拠する温床を形成し、1990年に発したソマリア救国革命は、30年以上を経ても、なお未完の状態にあると言わざるを得ない。

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