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貨幣経済史黒書(連載第28回)

2019-11-17 | 〆貨幣経済史黒書

File27:1987年「ブラックマンデー」

 1929年に始まる大恐慌以来、株式市場の崩壊現象は半世紀以上発生していなかった。その要因として、アメリカをはじめ、主要な株式市場を擁する諸国の証券規制政策が進展し、監督行政もそれなりに整備されていったことが挙げられる。そうして大恐慌の記憶も消えかけていき、20世紀も残り十数年となった1987年に、再び株式市場の崩落が起きた。
 こたびの崩落の発端は、アジアの香港市場であった。香港は当時まだ英国植民地の地位にあり、証券市場も十分に整備されていない中、デリバティブのような複雑な金融商品の実験場のような状況にあった。その香港市場で10月19日の月曜日、最初の兆候的な暴落が発生した。
 これはローカル市場単体での問題にとどまらず、世界の金融中心となって久しいニューヨーク証券市場に波及し、ダウ平均株価の終値が22.6パーセントという下落率を示した。この数字は、大恐慌当当時の下落率12.8パーセントを倍近くも上回る史上最高の下落率であった。
 これを契機として、雪崩を打つように、日本をはじめとするアジア各国から欧州、さらには南太平洋のニュージーランドにまで暴落が波及し、いわゆる世界同時株安現象を引き起こした。時差の関係上、火曜日が発生日となったニュージーランドへの経済的打撃は特に大きかった。
 1929年とは異なり、この時代になると、すでに資本主義がアジアやオセアニアを含めた全世界にグローバルな拡散を見せ始めており、グローバル化なる用語はまだ普及していなかったとはいえ、ローカルな市場の崩壊が全世界的な波及を見せるドミノ現象の始まりであったと言える。
 市場の近代化が進む中で、なぜ1929年の再来のような事象が発生したかについては、アメリカの財政政策など人為的な要素があり、様々な分析がなされてきたが、技術的な問題として、コンピュータによる自動取引の普及やデリバティブのような複雑化金融商品の開発など、近代化が進展したがゆえの市場制御の困難さという皮肉な要因も隠されていた。
 元来、貨幣の流通を技術的に精密に制御することは困難なのであるが、複雑な金融商品の形で貨幣が不可視的な「商品」に化体されて瞬時に流通するようになれば、その制御はいっそう困難になる。このことを、世界は20年後に再び思い知ることになる。
 いずれにせよ、このような突然の大暴落は忘れかけていた1929年を思い起こさせたため、識者らは大恐慌の再発を予測、懸念した。これは過去の経験則以外に頼るもののない資本主義経済学にあって、予防的な意味でいささか大袈裟な予測を出したものだろうが、幸いにしてブラックマンデーは大恐慌を招来しなかった。
 株価は史上最高下落率という異常事態ながら、全体として、懸念されていたような恐慌には至らず、実体経済への損害が起こらなかったのは、各国金融当局の協調体制など、緊急的なグローバル化対応が当時かなり整備されてきていたことが作用したと考えられる。
 ちなみに、この時点ですでにバブル経済の膨張が始まっていた日本では、翌日に株価が反発を示して急騰、その後もオイルショック以来の金融緩和政策の継続でバブルがさらに助長されていき、1988年に暴落分を相殺して、89年には前回見たような史上最高値を更新していったのである。
 このような短期間での回復―というより、ブラックマンデーを奇貨としてバブルに突き進んだと言っても過言ではないだろう―は、日本経済に過剰な自信を与え、ひいてはバブル現象への警戒心を薄れさせ、数年後のバブル崩壊という形で、恐慌的なしっぺ返しを受けることになるのであるが、この件については次回にまわすことにしたい。


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