Ⅰ アメリカ―分権型多重警察国家
[概観]
アメリカは、その出発点においては組織的な警察制度を持たず、自治体ごとに選出される保安官が治安維持の要を担うというシンプルな構制を採っていた。合衆国成立当初、初代大統領ジョージ・ワシントンは連邦の法執行任務に当たる保安官を原始13州に一人ずつ任命したが、これとて連邦警察と言えるほどのものではなく、主要任務は連邦裁判所の令状執行を中心とした法執行及び警備であった。
このように言わば非警察国家として出発したアメリカであったが、19世紀に入ると、都市レベルで警察組織が徐々に整備されていく。その背景として、広域都市の出現と19世紀前半期にパリ警視庁、ロンドン警視庁など近代都市警察の制度が旧大陸で発達し始めたことの影響があったものと考えられる。
その嚆矢となったのが、1838年に設立されたボストン市警察である。その前身は17世紀の植民地時代に遡る自警団であり、アメリカではこうした伝統的な地域自警団が公式の警察に組織化される例が多かった。
ただ、連邦警察の組織化がなされることはなく、南北戦争まで連邦レベルでの警察相当機関としては前出の合衆国保安官のほか、当時は首都コロンビア特別区の連邦財産の警備を担った公園警備隊と郵便犯罪の取り締まりに当たる合衆国郵政監察局しか存在していなかった。
しかし南北戦争時、通貨偽造が多発したことを受け、時のリンカーン大統領は財務省に通貨犯罪など財務犯罪の取り締まりに当たる秘密捜査部を設置した。これがいわゆるシークレットサービスの始まりである。一種の秘密警察であるこの組織はその後、事実上大統領の身辺警護まで担うようになり、20世紀初頭以降、公式の大統領警護機関としても確立されていく。
ところで、連邦法の発達に伴い、捜査を伴う法執行に当たるより高度な専門機関の必要性が認識されると、1908年、時のセオドア・ローズベルト大統領はシークレットサービス要員の一部を移籍させる形で司法省捜査局を設立、これが今日最も著名な連邦法執行機関である連邦捜査総局(FBI)の前身となる。
他方、20世紀以降、州の増加と州法の発達に伴い、州レベルの警察組織の設立も相次ぐようになる。最も古い州法執行機関は1823年設立のテキサス州レンジャー部隊であったが、本格的な州警察の初例は1905年、炭鉱労働者のストを機に設立されたペンシルバニア州警察である。州警察の組織や権限は様々だが、上部機関として州公共安全省に所属するケースが比較的に多い。
アメリカでは連邦警察を持たないという慣習的な建て前は今日まで維持されているが、前出連邦捜査総局が巨大機関に成長していく一方、種々の特別法を執行する特殊連邦法執行機関の設立が相次ぎ、それら諸機関の集合体としての連邦警察が事実上存在しているに等しい。
またこうした犯罪取締機関とは別途、第二次大戦後、冷戦時代の産物として中央諜報庁(CIA)や国家安全保障庁(NSA)などの連邦諜報機関の設立が相次ぎ、これら諸機関も事実上の秘密政治警察的な機能を示すようになっている。
それに加えて、2001年の9・11同時多発テロ事件を機に、史上初めて連邦レベルの国内治安管理機関として合衆国国土保安省が設置されたことで、連邦治安機関の統合強化が進んできている。
さらに、従来よりアメリカでは民間企業や公社、大学等々の自律性を持った部分社会が独自の警察を組織することが認められている。これは、各部分社会の自律性を貫徹させるという民主的な意義に基づく分権化政策と釈明することもできるであろう。
とはいえ、「自由の国」アメリカでは連邦―州―都市(郡)の三層権力体及び部分社会における多数の警察組織が、その総数や詳細な権限関係を把握することも至難なほど複雑に入り組んだ網目状に全土を覆い尽くすような状況―分権型多重警察国家―が生じているのが実情である。次回以降は、このアメリカ流多重警察国家の迷宮をいくらかなりとも整理した形で探検してみることにする。