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近代革命の社会力学(連載第168回)

2020-11-16 | 〆近代革命の社会力学

二十三 チリ社会主義革命

(1)概観
 前回まで見たタイ立憲革命と同年、大恐慌の影響がより直接的な動因となって発生した革命として、南米チリにおける1932年6月の社会主義革命がある。この革命は、独立後も全般に保守寡頭支配の共和制が根強い南米大陸において、初の社会主義を標榜した革命である。
 チリを含む旧スペイン領南米諸国では19世紀におけるスペインからの独立以来、独立運動で功績のあった現地生まれの白人(クリオーリョ)が独立後共和国の支配階級に上り、政治経済を寡頭支配する構造が定着していた。その構造は強固で、革命によって揺らぐ余地は狭かった。
 チリでもそうした構造は同様だが、ここでは1891年、当時の改革主義的なホセ・マヌエル・バルマセダ大統領と議会の対立が内戦に発展した後、議会を中心とする議会共和制の仕組みが整備されるなど、執行権独裁を防ぐ制度が導入され、ブルジョワ、中産、労働者の三大階級が議会制のもとに一定の均衡を保つ体制が形成されていた。
 とはいえ、この議会共和制は保守勢力が議会を掌握し、大統領権力を制約する構制であり、実は寡頭支配を防衛するための仕掛けでもあった。これに対して、第一次世界大戦後、チリの基幹産業であったチリ硝石の国際価格の下落を契機とする経済危機の中、大統領権力を再強化する改革的な潮流が起き、1925年の新憲法で大統領共和制へ移行した。
 この新しい共和制の中では、進歩的な新政党として急進党が台頭し、1931年の大統領選挙で、同党のフアン・エステバン・モンテロが初当選する。しかし、大恐慌の渦中にあって、彼の緊縮財政政策は効果を上げず、国民生活の窮乏を招き、翌年の社会主義革命を惹起したのである。
 そうした意味では、まさに大恐慌が産み落とした「大恐慌革命」とも言える稀有の事例であるが、それだけに、この革命は一過性の性格が強く、十分に組織化されていない軍人と文民の社会主義者のグループがクーデターの手法で電撃的に実行したものであり、民衆的な基盤も、国際的な支援もほとんどなかった。
 そのため、「社会主義共和国」を標榜したものの、政権運営は当初から行き詰まり、わずか三か月余りで瓦解、革命前の大統領共和制がすぐに復旧されることとなった。総じて、チリにおける社会主義革命はこの時点では早まった革命であり、比喩的に言えば、産まれた未熟児がすぐに死んでしまったようなものである。
 ただ、この時、革命に結集した人士を中心に、翌年、社会主義者の包括政党として、チリ社会党が結党された。同党はこれ以降、共産党を含むチリにおける革新政党を糾合した人民戦線の中核政党となり、1970年の大統領選挙では世界で初めてマルクス主義を標榜する民選大統領を誕生させることになる。


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