三十五 第二次ボリビア社会主義革命
(1)概観
第二次世界大戦後の中南米諸国は、未だ西欧列強の植民地支配下にあったカリブ海域の島々を除けば、冷戦期にはアメリカの覇権追求の拠点となり、「アメリカの裏庭」として親米政権が林立する地域となっていくが、戦間期に第一次社会主義革命を経験した南米ボリビアでは異なる潮流が見られた。
第一次社会主義革命は1939年、革命立役者でカリスマ的なヘルマン・ブッシュ大統領の自殺により収束するが、直ちに完全な反革命反動が起きたわけではなかった。
3年間の「軍事社会主義」の時代に革新的な政治運動が刺激されたことを背景に、1942年に民族主義的な社会主義政党として国民革命運動(MNR)が結党され、鉱山労働者を最大支持基盤として急速に台頭した。
MNRは1943年のクーデターで成立したビジャロエル政権に参加するが、ビリジャロエル大統領は社会主義者というよりはファシストに近く、反対派への苛烈な弾圧で国民の信を失い、第二次大戦後、1946年の民衆革命により崩壊した。
その後は、1950年代初頭にかけて暫定や保守系の短期政権が続く不安定な情勢に陥る。しかし、1951年に実施された大統領選挙では、MNR共同創設者でもあるビクトル・パス・エステンソロが当選を果たした。
この選挙結果が承認されていれば、第二次社会主義革命は生起しなかったはずであるところ、時の保守系政権はパス・エステンソロ候補勝利の選挙結果を認めず、軍部に政権を移譲した。その結果、軍事政権が成立し、MNRは抑圧された。
このように合法的な選挙結果が覆された状況下で抗議行動が高まる中、翌1952年4月、MNRと支持者の鉱山労働者や国家警察などが革命的に蜂起、軍事政権を打倒して、MNR政権を樹立したのである。
これは先年の合法的な選挙結果を取り戻すための決起であったという限りでは純粋の革命とは異なるが、その後、1964年まで続いたMNR政権の下で急進的な改革が推進された点において「長い革命」という性格を持つに至った。
その点、戦間期の第一次革命との間に担い手の連続性はなく、別個の革命現象であったが、12年間に及んだMNR政権の下で、錫財閥の解体、農地解放、普通選挙制、軍部の解体再編、先住民の権利保障など、第一次革命がやり残した多くの革命的課題が実現された点で、「長い革命」は第一次革命の継承・完成期とも言えた。
しかし、経済政策に関しては失政があり、インフレーションが亢進する中、MNR内部の路線対立も深刻化し、1964年、皮肉にも革命後再編された新軍部の背信的なクーデターにより第二次革命は終焉したのである。その後もMNRは存続するが、革命性を失い、保守系政党へと変節していった。
とはいえ、南米でボリビア第二次革命の規模と期間で社会主義革命を経験した国は他になく、ボリビアに社会主義的な志向性を刻印したことは否定できない。そのことが、時を経て冷戦終結後の21世紀、今度は先住民という新たな担い手によって再び社会主義政権を登場させる遠因ともなったと言える。