月の船夢に疲れてゐたりけり ころころ
月の異名ならば「月の舟」とすれば良かったのか迷った挙句
「月の船」とした。先人は三日月を空に浮ぶ舟にみたて、
その航跡を楽しみ、歌に残した。なんという遊び心なのだろう。
そういう意味では「月の船」は現実的な表現をしたかったのかも
しれない。
私の俳句の基本は季語を詠むことから、教わった。
一句一章、二句一章にかかわらず、詩に季語を付けるのでは
ない。季感から感受した感動を詩に残すことがそうであり。
どんなに素晴らしい詩が有ったとしても、推敲の時に季語が
変わるというのは、それとは違う。
それは季が移るというのではなく、季が落ち着かないという。
作者も読者も詩にこだわり過ぎ、本来の「季」を忘れてしまう。