( 黄梅・迎春花 )
黄梅ゃ鎌倉山に風出でぬ 嶋田麻紀
魁けし花は黄光迎春花 阿波野青畝
黄梅の春のはじめの黄なるかな 大橋敦子
かく晴れてゐてかく寒し迎春花 河原白朝
久しぶりに右脳が動く
大切な俳句仲間の一句がそのきっかけかも知れない
詩情について、再考させられる。
ころころ流に言えば、それは主観と客観の狭間にあるように思っている。
感動(主観)を物(客観)に託す。これが難しいがそこに詩情が生まれる。
言いたい事をいかに削り、感動(発見)を伝えられるのかが本物の俳句
だと信じて。それが正しいのか誤っているのかは分からないが。
たった17音だから言葉一語一語の分量に主・客の見え隠れがはっきり
見えてしまう。
分かりすぎても,分からな過ぎても詩は見えてこないから・・・
俳句は勉強ではわからない・修練でしか得られないと思っています。