2月22日

2009-02-22 21:45:41 | Weblog

       ( 黄梅・迎春花 )

 

黄梅ゃ鎌倉山に風出でぬ        嶋田麻紀

 

魁けし花は黄光迎春花          阿波野青畝

 

黄梅の春のはじめの黄なるかな     大橋敦子

 

かく晴れてゐてかく寒し迎春花      河原白朝

 

久しぶりに右脳が動く
大切な俳句仲間の一句がそのきっかけかも知れない
詩情について、再考させられる。
ころころ流に言えば、それは主観と客観の狭間にあるように思っている。
感動(主観)を物(客観)に託す。これが難しいがそこに詩情が生まれる。

言いたい事をいかに削り、感動(発見)を伝えられるのかが本物の俳句
だと信じて。それが正しいのか誤っているのかは分からないが。
たった17音だから言葉一語一語の分量に主・客の見え隠れがはっきり
見えてしまう。
分かりすぎても,分からな過ぎても詩は見えてこないから・・・
俳句は勉強ではわからない・修練でしか得られないと思っています。

 



 




 

コメント (2)
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