5月23日

2009-05-23 00:27:17 | Weblog

    ( 岩煙草 )

 

岩煙草蓮台ほどの傘傾け       古舘曹人

 

岩壁の露の光の岩煙草        山根きぬえ

 

岩煙草どよもす滝に揺れやまず    河本好恵

 

 

俳句を始めて少し経つと大いなる勘違いをすることは誰にでもある
句会で高点を採ったり、結社の中で主宰の選などに多く入るように
なると「しかり」となる。それも良いとして肝心なのはどんな成績であっても
俳句に向かう心が名声や自己顕示や自己保身の状態に陥ることが
一番いけない。一般選から同人クラスにあがるとこれが見られる
自信の無い人ほど他を信用せず,遠ざける。これは社会生活と同じところ
もなるが、俳句は十七音の詩の世界。作品だけが評価であり、他はない。
指導の立場になるとこれが顕著に出る。
作品に自信が無いから組織云々、知識云々、師弟の関係は作品への
憧れがいかに強いかで決まる。最近,同じ結社のある同人の俳句は
まさに命の詩が綴られてひしひしと響く。病後の体に鞭打って作品を詠み
指導にあたって、大袈裟に言えば命の代償の詩だからかも知れない。
この向かう心を大切に、見習っていきたい。


過去ころころが味わってきた結社の否の部分は今の結社にも存在し、
最後まで自分の目的の為に入った結社に残るかはまだ決めかねる
どんなに結社が新しくとも,そこの人が新しくなければこれは解消しない
だろう。どんに悩んでも末端のそんな事に師を煩わせることはできないから。




コメント (4)
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