群れ雀(赤塚植物園)
25日は兄の命日、今日は姉と連れ立って墓苑へ、連日の黄砂で多くの墓石が
無縁墓のような有体・・「墓洗う」(初秋)になった。
帰路、姉の店のお客様で書家の作品展へ新松戸へ、今年古希の書家で矍鑠として
お話をされ、しかもその作品一つ一つに心を掴まれる。
そして何より感動したのは表装。奥様の羽織、着物が軸の表装となっている。
紺地に胡蝶の織り。ご夫婦一体の作品となっている。
ここからは姉との会話
私 「どうしたらあんな字が書けるんだろう?、」
姉 「古希という年齢のゆとりかなぁ・・きっと良い老後を過ごされているんだよ
ご夫婦で・・貴方も浮世から離れたらきっといい俳句が作れると思うよ」
こと俳句に関しては年齢で欲が薄れるとは思えない。
俳句を自分の人生の何処に置くかによって違うけど、最近の俳句は自己の主張的に
「私がここに居ます!」みたいなところがある。
その辺が「歌」との違いだろうなぁ・・・
詩の姿の美しさを忘れないために、多くの絵や書や音楽を体感して心から詠える
ようにしていきたい。借り物の俳句でない自分の俳句を詠みたい。
感動のない俳句はいけない。写生の場合でも感動しないものを詠んでいる自分が
情けない。一見句をまとめるのは俳歴があれば容易で、IT句会などでトップに
なる句はやはり人事句、何故ならば写生句より既視感があり季語に時間差がない。
花鳥諷詠には季語の理解が何より必要で、それが一番むずかしい。
一生浮世離れができないのが俳句かもしれない。
25日は兄の命日、今日は姉と連れ立って墓苑へ、連日の黄砂で多くの墓石が
無縁墓のような有体・・「墓洗う」(初秋)になった。
帰路、姉の店のお客様で書家の作品展へ新松戸へ、今年古希の書家で矍鑠として
お話をされ、しかもその作品一つ一つに心を掴まれる。
そして何より感動したのは表装。奥様の羽織、着物が軸の表装となっている。
紺地に胡蝶の織り。ご夫婦一体の作品となっている。
ここからは姉との会話
私 「どうしたらあんな字が書けるんだろう?、」
姉 「古希という年齢のゆとりかなぁ・・きっと良い老後を過ごされているんだよ
ご夫婦で・・貴方も浮世から離れたらきっといい俳句が作れると思うよ」
こと俳句に関しては年齢で欲が薄れるとは思えない。
俳句を自分の人生の何処に置くかによって違うけど、最近の俳句は自己の主張的に
「私がここに居ます!」みたいなところがある。
その辺が「歌」との違いだろうなぁ・・・
詩の姿の美しさを忘れないために、多くの絵や書や音楽を体感して心から詠える
ようにしていきたい。借り物の俳句でない自分の俳句を詠みたい。
感動のない俳句はいけない。写生の場合でも感動しないものを詠んでいる自分が
情けない。一見句をまとめるのは俳歴があれば容易で、IT句会などでトップに
なる句はやはり人事句、何故ならば写生句より既視感があり季語に時間差がない。
花鳥諷詠には季語の理解が何より必要で、それが一番むずかしい。
一生浮世離れができないのが俳句かもしれない。
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