6月20日

2007-06-19 23:54:55 | Weblog

   (のかんぞう 野萱草 赤塚植物園)


     野萱草風に深手の父祖の墓


野萱草と藪萱草というのがあります。八重が藪萱草です
ゆり科の花びらは実は3枚であとの3枚はがくなんですよ。

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6月19日

2007-06-19 06:19:50 | Weblog

    (てっぽうゆり  赤塚植物園)


     鉄砲百合の狙いさだめし峠口


たまにはこんな詠み方もしてみました。
青畝さんのあの力が抜けていて的を得た詠み方は
魅力的ですよね。


     子分跳び親分飛跳ばず蟇   阿波野青畝


これが数十年経た句なんですからね・・・・
秀句はいつも新しい。
きっと、ずーっとこの蟇を見ていたんでしょう。
あまり動かない大きい方に親分の貫禄を見た。
親分が右を向けば、右にいた小さな子分がひょいと跳んだ。
こりゃ、親分の威光はすごい!なんてね。
ず~と見ている。親分子分と感じるまで見ている。
これが本来の写生でしょう。
嘱目のお題で詠みこむのも俳句ではありますが・・・
短時間での嘱目や少し洒落た言葉で詠んでみても
なかなか自分の歴史に残る句は生まれないでしょう。
昨年の9月に参加した現俳の講演会での坪内稔典さんの
話のなかに、「句会の高点句で有ってもそれだけで、残る句
とは言えない」そんなような表現だったと思うのですが、
印象的でした。
ころころも目指すところはらしい俳句の確立なのです。
まだまだ修行がたりません。

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6月18日

2007-06-18 06:11:03 | Weblog

   (菩提樹の花)


    菩提樹の花芳しき御堂かな

 

カメラの達人でもある連衆のムーさんとの雑談に思う、
俳句は写真では無いが、写真のようなもの・・・
掲載の写真は菩提樹の花と観音堂、ここにお坊さんと
蝶と観音堂が開いて中を拝することが出来たら
もう俳句に詠みこむことは難しい。
詠みたいもの(写したいもの)を一点に絞り、一景を切り取る
作業はまさしく同じですが、写真だけではここが観音堂とは
わからない、また句だけではこの花の色や日差しまでは
伝えることは出来ない。欠点を補うものが修練なの
だろうと思う。写真も俳句も程ほどの省略がよいのだろう。
伝えようとして伝わらない、そのもどかしさも俳句ならではの
楽しみの一つでも有るのですが・・・

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6月17日

2007-06-17 07:10:20 | Weblog

    (苔の花と日の斑)


   涼しさや日の斑のあそぶ苔の上


いろいろ生意気な事を書きつつ、まだまだ迷いがある
のは修行の足らないところだろう。
ここのところの吟行でも木洩れ日と日の斑の詠み込み
方を考えていた。自分の解釈では、相反するもので
斑は影、木洩れ日は日当たり、つまり陰と陽の関係で
日の斑を詠むことで日当たりを暗喩し、木洩れ日を詠む
ことで影を暗喩する。表現したものの裏側を作為を見せず
読み手に伝えることが詩情ではないかと考えていたから。
先日参加した句会でこの両方を一句にしたためた高点句
があった。互選に加わり予選では頂いたものの本選では
頂かなかった。その辺りにまだ拘りがあるからだろう。


私にとって句会は高点を得るためのものでなく
自分の鑑賞力、観察力、感性を他の連衆と比較して
実感するところ。つまり他人の目を通して自分を見つめる
ところ、修行の場だと思っている。
高点を得た句を残すのではなく、高点を得た心の昂揚を
積み重ねてゆく事こそが大切な修行でもある。
句会の選評にも少し付け加えたが、吟行句会では秀拙を
問わず挨拶句を必ず詠むことをお薦めします。
挨拶句は俳句の基礎、発句になるもので、自然に大きな景
を詠めてしまうものです。そんなことが少し気になりました。


      滝壷へ砕け散ったる日の欠けら


  


    

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6月16日

2007-06-16 06:57:17 | Weblog
     (絵手紙)
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6月15日

2007-06-15 06:21:39 | Weblog
  (清澄額アジサイ  白山神社)
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6月14日

2007-06-14 06:44:00 | Weblog

   (マイコアジサイ 白山神社)

 

ここ数日は何となく忙しく、書き込みもまばらでした。
やっと東京も午後からの雨で梅雨に入ったようですね。
俳句をしない友人は、もし日本に四季が無かったら
俳人は困るだろうね・・なんてひやかしますが、本当に
そうですね。
俳句は季題を詠むものでもありますから・・・
季語集も一季だけのもので、そうなったら無季の俳句も
もっと詠まれるのでしょう。
まあ、いろいろ志向されることも良いことで、有季、無季で
目くじらを立てるより十七音の世界を楽しむことが一番で
ありましょう。
何でもそうでしょうが、ころころの場合、俳句をやってて
職場や一般社会では得られない友人に出会えたこと、
例えば紫陽花など植物の観察を楽しむこと、それに
かこつけて旅の機会が増えたこと。などなど・・・
いっぱい俳句と俳句のまわりを楽しんでいます。
皆さんはどうでしょうね。
今日アップした写真「舞妓紫陽花」と言うそうです。
命名者の詩情も大したものです。
今まで紹介してきた紫陽花はみな「ユキノシタ科」の植物です。
今でこその花を楽しみましょう。


     海霧深し島にひとつの濡れ仏

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6月13日

2007-06-13 07:01:13 | Weblog
  (ゆきのした 赤塚植物園)
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6月12日

2007-06-12 00:03:50 | Weblog
   (ウズ額アジサイ 白山神社)
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6月11日

2007-06-11 06:24:26 | Weblog

  (ウズアジサイ  白山神社)


集真藍(あづさあい〉・「あづ」は集まるの意 
・「さ」は意味のない接頭語 ・「藍」は青の意
と知りました。

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