( 菜漬・茎漬・漬け菜・菜洗う )
茎漬に霰のやうに塩をふる 細見綾子
茎漬や伊那をゆつくり風の神 磯貝碧蹄館
青々と出で湯に洗ひ上ぐ菜かな 安部元気
四斗樽に三人そろひお菜洗ひ 本間のぎく
「伊吹嶺」12月号より
被爆川西日まみれのドーム映ゆ 矢野孝子
( 菜漬・茎漬・漬け菜・菜洗う )
茎漬に霰のやうに塩をふる 細見綾子
茎漬や伊那をゆつくり風の神 磯貝碧蹄館
青々と出で湯に洗ひ上ぐ菜かな 安部元気
四斗樽に三人そろひお菜洗ひ 本間のぎく
「伊吹嶺」12月号より
被爆川西日まみれのドーム映ゆ 矢野孝子
( 桜鍋 )
二階より素足降り来る桜鍋 鈴木鷹夫
煮つまるを酒でうすめて桜鍋 飯島正人
おそく来て若者一人さくら鍋 深見けん二
ぶちぬきの部屋の敷居や桜鍋 綾部仁喜
「伊吹嶺」 12月号より
染工房紅花に足す林檎汁 平松公代
( 寒卵 )
結社の同人の方より類想類句についての同胞メールを頂く。
長く俳句を楽しんできて、何時もながらこの話は起こる。
その事の結末は兎も角。そんな時には必ずGH俳句の山田みのるさんの
「上達への近道」を読み返す。こんな時こそ初心忘るるべからずの心境となる。
http://minoru.moo.jp/hl/levelup.htm#i24
寒卵二つ置きたり相寄らず 細見綾子
寒卵狂ひもせずに朝が来て 岡本眸
はれやかに佐渡は近しや寒卵 黒田杏子
内からも殻割るちから寒卵 多摩 茜
「伊吹嶺」12月号より
新涼や素足で参る湯殿山 倉田信子
( 落ち葉 )
ラストシーンめきし欅の落葉道 楠元公平
落葉してそこより氷りはじめけり 吉田鴻司
落葉月夜目ざまし時計不意に鳴る 細見綾子
手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太
「伊吹嶺」12月号より
菊薫る大きな耳の飛鳥仏 奥山ひろみ
( 花八手 )
石垣の琉球ぶりや花八つ手 林田千代
唐ゆきの悲しき港花八つ手 岡部六弥太
竜泉寺界隈八つ手の花けむる 加藤三七子
遺書未だ寸伸ばし来て花八つ手 石田波郷
「伊吹嶺」12月号より
仏間まで萩の風入る合掌家 鈴木真理子
( 足袋 )
足袋あぶる能登の七尾の駅火鉢 細見綾子
足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田久女
白足袋の足の先まで几帳面 竹崎玉子
白足袋のよごれもつかずぬがれけり 富安風生
「伊吹嶺」12月号より
レース編む嬰の身丈を手秤に 二村美伽
( 冬景色 )
今日はカレンダーの日。明治6年この日に太陽暦(新暦)が採用された日です。
日めくりなら、あと28枚。残り少なくなりました。
後ろ手に閉ざして向かふ冬景色 佐藤美恵子
語らざる色をもちより冬景色 藤崎久を
空腹のはじめ火の色冬景色 飯田龍太
「伊吹嶺」12月号より
テンガロンハット被りて松手入 伊藤範子
( 十二月 )
武蔵野は青空がよし十二月 細見綾子
竹割つて鵜籠つくろふ十二月 栗田やすし
植木屋の妻の訃知りぬ十二月 沢木欣一
うろ覚えの話。棟方志功と沢木欣一との会話の中で「写生」についての事が有った確か志功は「空気を写生」すると答え、すなわちそれが即物具象だと欣一が頷く
例えば富士を見てそのままの富士を書いただけでは写生にはならない
富士を見て、どう感動したか,自分にしか見えない,感じ得ない空気を、主観を物に
託して表現することが本当の意味での写生になるのではないか・・・・
そこに感動や詩がなければ吟行句=写生句=即物具象の句とはならない。
そんな気がしている。
書物を頼りにこれを書いている訳ではないので、曖昧で不正確であると思うが
写生が苦手だったころころが辿り着いた今のところの灯りです。
結社に在りながら、自分流を通すことは偏屈に思われるかもしれないが、自分に
足りないものを学びに入会しているので、結果に揺れず,進むしかない。
「伊吹嶺」12月号より
冬瓜の餡掛仕立て母遠し 石原筑波
( 師走・初氷 )
うすうすと紺のぼりたる師走空 飯田龍太
遅刻教師に八方まぶし初氷 福永耕二
初氷夜も青空の衰へず 岡本眸
塩田に残る筋目や初氷 谷渡末枝
いよいよ12月,師走となりました。本当に早く感じる一年でした。結社
伊吹嶺にお世話になって22ヶ月。低迷の中にも栗田先生のご指導で
何とかやる気を繋いでおります。 さて今月は同人の句をご紹介してゆこうと
考えています。初めは先生の一句から。
青レモン一つ買ひ来し妻の旅 栗田やすし