踊る小児科医のblog

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なぜ小児科医が「福島の子どもは大丈夫」と言ってはいけないのか(2)

2012年06月07日 | 東日本大震災・原発事故
前掲の『なぜ小児科医が「福島の子どもは大丈夫」と言ってはいけないのか』に対して、(いまの日本では)違和感や反発を感じる人の方が多いのかもしれません。

私自身は、事故直後に医療者が適切な情報発信を行って避難を促すことができなかったことに対して痛切な責任を感じています(自分自身はその立場にも無かったし事実上不可能だったことを言い訳にしたくない)。その後も、福島は安全だから避難しなくても良いと講演してまわった「専門家」や、それを現在まで追認して何の疑問も感じない医学界全体にも深く絶望しています。

放射線被曝の危険性を知っているはずの医師が、福島の被曝線量は医療被曝と比べて全然大したことない、逃げなくても良いと強調していた政府を批判するのではなく支持したのですから。

当時の政府、メディア、専門家の言動について、事故検証委員会だけでなく、物理学や人文科学などの分野では痛烈な反省や検証作業が行われています。

ひとり医学界だけが、何の反省も検証作業もなく、「福島の子どもたちは大丈夫だけど念のため一生検査します。医療費もタダにするから福島から逃げないように」という政府や県の政策も問題なしと追認している。これは一体どういうことなのだろうか。

線量の基準については、既にこのブログだけでなく多くのサイトで触れられているように、放射線管理区域の基準が約0.6μSv/hで、その中で暮らすことは勿論、未成年が入ることも法律で禁じられていること。国の除染基準が0.23μSv/hであること。単純にそれだけで判断できるはずです。

早川教授も0.25と0.5を判断の基準としているようですが、このブログではそれを少し緩めて0.3で除染、0.6で子どもや妊婦はまず避難、1.0では移住権利をと呼びかけてきました。前述のように1年以上経った現在では、呼びかけをする時期は過ぎたと感じていますが、判断基準は変わりません。

このブログにも何度か書きましたが、私自身も、2人の子どもが除染対象地域で暮らしている被害者の一人であり、事故直後に(ある程度の知識があったはずなのに)適切な判断が下せなかったことを繰り返し悔いています。(そのレベルで被害者と言うのであれば、福島だけでなく東北関東の数千万人、あるいは日本全体が被害者でもあり、福島だけを特殊化することには無理があります。この言説にも批判があることを承知の上で。)

まして、その何倍、何十倍もの苦渋の念を抱いている福島のお母さん方の気持ちを察するに余りあります。もし福島の危険性を外から煽っているかのようにとられるたのであれば片腹痛い思いです。

前掲の「なぜ小児科医が…」に書きそびれましたが、小児科医が「福島は大丈夫」と言うことが、避難を妨げて子どもの被曝線量を増す方向に作用するだけでなく、政府や東電の補償負担を少なくし、福島原発事故が「大したことのない事故だった」かのごとき風化を促し(それが政府の目的)、結果的に原発再稼働へと連綿とつながっているという現実があります。

その現実を直視せずに、構文を逆にして「反原発の急進派が原発を止めるためにあえて福島の危険性を強調している」と取られているとしたら、論理的で説得力があるとは言えないのではないでしょうか。

福島の危険性を針小棒大に騒ぎ立てて不安を煽りたいなどという目的は毛頭ありません。ただし、最初に書いたように、結果的に「杞憂に過ぎなかった」のかどうかがわかる頃には、私たちには責任を持てないし、そもそも責任の取りようがありません。

福島県には2年だけですが初期研修でお世話になり、浜通の原発立地地域も何度か車で往復したことがあり、福島の子どもたちに何もできないことを心苦しく感じてはいますが、それは自分自身で受け入れるしかありません。

子どもは親の生き方に強く影響され、それに対して小児科医の力など無力であることなどわかっているつもりです。しかし、小児科医は「子どもに代わって発言する(advocacy)」などといった幻想をかすかに信じていた一人としては、現状に異を唱えることだけはしておきたい。

おそらく戦前の日本はこんなんだったんだろうなと思いつつ。。
(言論の自由がある分だけマシなのではなく、言論の自由がある分だけひどくなっている。)

↑この文章は全ての方に対して書いたものですが、主張や呼びかけなどと言うほどのものではなく、私が痛切に後悔し毛嫌いしていたはずの「アリバイづくり」の独り言に過ぎません。