決勝の三沢商×光星戦。最後のサヨナラの「一球」。
あれが暴投だったのか捕逸だったのか判定には興味はないが、何を投げてもリスクのある中での選択とその結果だから、本人が悔しいのは当然としても、スポーツとしては見応えのある素晴らしいプレーだった。
打者には投げ勝ったが勝負には負けた。残酷だが、勝ち負けどちらかしかない。しかし敗者にも物語があり、一人一人が積み重ねてきた価値の構築があるはず。
三沢商の主将(三振振り逃げの選手)も結果的に相手のミスで勝てて良かったと答えていたが、それまで投手力と守備力で光星の打線を封じ込めてきたことが結果につながったのであり、「エラーによるあっけない幕切れ」などでは決してない。
あの場面までに大きかったのはセカンドゴロによる三塁進塁。当然、ピッチャーには大きなプレッシャーになったはず。
光星の投手はかなり疲れていたようで、前に打ち返されれば点が入る可能性が高く、何としても三振がとりたかった。
ストレートを投げるのはリスクが高い。
捕手のサインに首を振ってプレートを外したのも、自分で落ちる球による勝負を要求したのではないか。
投げた球は絶妙のコース。
この練習は何度も繰り返していたはずで、捕手はとれなくても前に落とすことができると判断したのだろう。
実際にグラブに当てているのだが、球が内角の厳しいコースに来たため、横に転がしてしまう。
その後のカバーとタッチプレーも高校生離れした素晴らしいプレー。
送球が高めになった分、僅かの差でセーフ。
この三塁ランナーもあらかじめ予測していて突っ込んだのだという。
その僅かなスタートの差がなければアウトになっていたかもしれない。
最後は見ていて思わず声を上げてしまったが、密度の濃い、決勝の幕切れにふさわしい一瞬のドラマだった。
光星のバッテリーは最後の一球の選択を悔いてはいないはずだ。
号外PDF
http://www.toonippo.co.jp/gougai/gou2015/0722.pdf
あれが暴投だったのか捕逸だったのか判定には興味はないが、何を投げてもリスクのある中での選択とその結果だから、本人が悔しいのは当然としても、スポーツとしては見応えのある素晴らしいプレーだった。
打者には投げ勝ったが勝負には負けた。残酷だが、勝ち負けどちらかしかない。しかし敗者にも物語があり、一人一人が積み重ねてきた価値の構築があるはず。
三沢商の主将(三振振り逃げの選手)も結果的に相手のミスで勝てて良かったと答えていたが、それまで投手力と守備力で光星の打線を封じ込めてきたことが結果につながったのであり、「エラーによるあっけない幕切れ」などでは決してない。
あの場面までに大きかったのはセカンドゴロによる三塁進塁。当然、ピッチャーには大きなプレッシャーになったはず。
光星の投手はかなり疲れていたようで、前に打ち返されれば点が入る可能性が高く、何としても三振がとりたかった。
ストレートを投げるのはリスクが高い。
捕手のサインに首を振ってプレートを外したのも、自分で落ちる球による勝負を要求したのではないか。
投げた球は絶妙のコース。
この練習は何度も繰り返していたはずで、捕手はとれなくても前に落とすことができると判断したのだろう。
実際にグラブに当てているのだが、球が内角の厳しいコースに来たため、横に転がしてしまう。
その後のカバーとタッチプレーも高校生離れした素晴らしいプレー。
送球が高めになった分、僅かの差でセーフ。
この三塁ランナーもあらかじめ予測していて突っ込んだのだという。
その僅かなスタートの差がなければアウトになっていたかもしれない。
最後は見ていて思わず声を上げてしまったが、密度の濃い、決勝の幕切れにふさわしい一瞬のドラマだった。
光星のバッテリーは最後の一球の選択を悔いてはいないはずだ。
号外PDF
http://www.toonippo.co.jp/gougai/gou2015/0722.pdf