何度もため息をつきながらこの長い物語を読み終えた。鎌田慧さんが最初に取材を始めてから40年以上の歳月が流れ、その間にスリーマイル、チェルノブイリ、そして福島原発事故という大惨事を経験してもなお、核燃サイクル堅持を叫んで青森にお金を落とすために全国の原発を動かし続けようとしている三村知事や、「世界一安全な原発」を再稼働させようとしている安倍首相の姿は、ここに登場する竹内知事や北村知事以上に、県民や国民の真の幸せを考えない醜悪なものだ。
鎌田さんは昨年も今年も3.11あおもり集会で「白河以北一山百文」という言葉を用いて、原子力産業や中央政権が六ヶ所村や青森県で行ってきた「開発」の差別性や欺瞞を強く指弾した。その欺瞞や差別のあからさまな実態がここに描かれている。この(欺瞞や差別の)歴史を知ることが原発・核燃の問題を知る第一歩だ。私自身、3.11以前からちゃんと読まなければと思いつつ、後回しになっていた。
青森の高校生が、核燃マネーによる海外エネルギー視察にこぞって応募するなどということではなく、自ら越えるべき壁としてこの県で起きてきた歴史の実態に目を向けるようになれば、少しは希望が持てるようになるのだが。
「83年12月、総選挙の応援で青森を訪問した中曽根首相は、下北半島が「原子力のメッカになると発展する」と語った。六ヶ所村は、いわばメッカであり、トイレである。」(←ここで思わず吹き出してしまった)
「そして、「むつ小川原開発」に失敗した竹内知事の長男、黎一が第二次中曽根内閣の科学技術庁長官に抜擢され、それを合図として、一挙に「核燃サイクル」建設が押し進められることになった。」
「核廃棄物は、それぞれの原発用地内に保管すればいい。それができないのなら、原発の稼働をやめるしかない。核の生ゴミをひとに押しつけてはいけない。原発政策とは、原爆とおなじように、ひとに害を加えて自分だけ繁栄しようという、あさはかな思想のあらわれでしかない」
91年版あとがき「原発と廃棄物をどうするか、いまや国民レベルで討議する時期にはいっている。すべての危険性を六ヶ所村に押しつけて解決したと思っている無関心は、将来、事故発生によって報復される危険性がたかい」
2011年版あとがき「村を核の掃きだめにする計画をたてたものは、呪われるべきだ。ただカネのためにだけ受け入れた、歴代の青森県知事と村長も同罪である。高濃度核廃棄物の運搬専用船に六栄丸(六ヶ所の繁栄)、低レベル運搬船は青栄丸と名づけたものの罪は深い」
97年文庫版の解説は広瀬隆氏。「いよいよ原子力も幕をとじる日が来た。鎌田慧氏と寺下力三郎氏に、みなでその言葉を贈りたい。敬愛の念をこめ、感銘のうちに」(←その後、寺下氏は亡くなり、福島の大惨事が起こり、原子力劇場の悲喜劇は未だ幕を閉じる気配がない)
同じく広瀬隆氏解説より「高レベル放射性廃棄物は、…つまり三十年は五十年となり、五十年が永久となることは、青森県民より、ほかの四十六都道府県が熟知のことで、みな心中でそう願っている。こんなものを保管してくれるお人好しがいるとはありがたい、と」
ちなみに、六ヶ所村民図書館の蔵書には鎌田慧さんの著書は16冊あり、『六ヶ所村の記録』も3冊含まれている。さすがにそこまで弾圧することはできなかったようだ。八戸市図書館には2011年の岩波現代文庫版も所蔵されている。高校の図書室にあるだろうか。
鎌田慧さん91年知事選でのコメント
北村氏が強いとは思っていたが、予想以上だったので愕然としている。核燃選挙といわれていたが、それが焦点になっていなかったからだ。
核燃をどうしようかという前の段階でのファクター、つまり権力、経済構造という保守基盤を、突き崩せなかった。(焦点が)核燃問題にぶつかる以前に、いろいろな問題に拡散したのではないか。北村氏が、副知事時代を含めた24年間で形成してきた権力構造をぎゅっと締め、核燃問題がそこに入り込めなかった、ということだと思う。
代議士選挙とちがい、知事選は待ったなし。県知事を代えるということは、大変なこと。核燃には反対だが、北村氏に入れよう、ということになったのではないか。それだけ県民にも古い意識が根強い、ということだ。
金沢氏は「県民は核と運命共同体になるのを選んだ」といったが、そう単純なものではなく、そこまでいかないうちに、古い県民意識と自民党がつくった「権力のガード」に疎まれたのだと思う。
さらに、山崎氏の「凍結」とい選択肢にうやむやにされた。今日の敗北は反対運動にとっては確かに打撃は大きい。しかし、白紙撤回、凍結を合わせれば北村票を上回る。
六ヶ所村の土田村長は今後、どうするのか。県民が賛成しているとして「ゴーサイン」を出すかもしれないが、そうではない。県民がノーという前に、締め付けの緩衝剤をばらまかれて、「核燃反対」が直撃しなかった、といえる。
北村氏も「おれを支持したから、県民が核燃を選択した」と言うかもしれないが、そういう論理は成り立たない。相対的にみれば、明確に、賛成しないという人が多い。過半数以上の根強い反対を無視して(核燃サイクル基地建設を)強行するのは、誤りだ」(朝日新聞2月4日朝刊)
長々と引用してきたが、その再処理工場が、福島原発事故を経て再び全ての原発が停止する今年の秋に向けて、本格稼働を目指すという馬鹿げた事態になってきている。この40年もの記録は過去の話ではなく、今もその続きの物語がより喜劇性を強めながら繰り広げられている。
(そのツケは必ず県民にまわってくる…)
もう1冊、本棚から島田 恵さん(写真・文)の『六ヶ所村 核燃基地のある村と人びと』を引っ張りだして読み直している。その前著『いのちと核燃と六ヶ所村』も、うちの待合室に置いてあります(貸出可)。
(オマケ)
「低線量セシウム無害」(3/13国会質問)の維新・西田譲議員について、私の興味は、1)どうして選ばれたのか、2)どうやったらこういう人間が形成されるのか。1)については、選挙で投票したのにこんな人だったのかと頭を抱えている選挙区民もいるかもしれないが、それは選んだ貴方の責任。
西田譲1)どうして選ばれたのか? 何年か県議をやっていたならトンデモとかアブナイ言動とかはわかるはず。公開討論会でもやれば一発。維新というブランド(?)や、公約や演説の字面、見てくれ(顔見るとちょっとこれは?と感じるが若くてイケメンと思う人もいたかも)で選んだか。
西田譲2)どうやったらこういう人間が形成されるのか? こういうのは謎。学歴見るといわゆる学力はあるようだが、まともな判断力、論理的思考能力がない。ただ未熟だとか思い込みともちょっと違う。ボーダーラインっぽい感じもするが、情報不足。幼児期、小児期はどうだったのか。
(ネトウヨとほとんど変わらないという気もするが…)
鎌田さんは昨年も今年も3.11あおもり集会で「白河以北一山百文」という言葉を用いて、原子力産業や中央政権が六ヶ所村や青森県で行ってきた「開発」の差別性や欺瞞を強く指弾した。その欺瞞や差別のあからさまな実態がここに描かれている。この(欺瞞や差別の)歴史を知ることが原発・核燃の問題を知る第一歩だ。私自身、3.11以前からちゃんと読まなければと思いつつ、後回しになっていた。
青森の高校生が、核燃マネーによる海外エネルギー視察にこぞって応募するなどということではなく、自ら越えるべき壁としてこの県で起きてきた歴史の実態に目を向けるようになれば、少しは希望が持てるようになるのだが。
「83年12月、総選挙の応援で青森を訪問した中曽根首相は、下北半島が「原子力のメッカになると発展する」と語った。六ヶ所村は、いわばメッカであり、トイレである。」(←ここで思わず吹き出してしまった)
「そして、「むつ小川原開発」に失敗した竹内知事の長男、黎一が第二次中曽根内閣の科学技術庁長官に抜擢され、それを合図として、一挙に「核燃サイクル」建設が押し進められることになった。」
「核廃棄物は、それぞれの原発用地内に保管すればいい。それができないのなら、原発の稼働をやめるしかない。核の生ゴミをひとに押しつけてはいけない。原発政策とは、原爆とおなじように、ひとに害を加えて自分だけ繁栄しようという、あさはかな思想のあらわれでしかない」
91年版あとがき「原発と廃棄物をどうするか、いまや国民レベルで討議する時期にはいっている。すべての危険性を六ヶ所村に押しつけて解決したと思っている無関心は、将来、事故発生によって報復される危険性がたかい」
2011年版あとがき「村を核の掃きだめにする計画をたてたものは、呪われるべきだ。ただカネのためにだけ受け入れた、歴代の青森県知事と村長も同罪である。高濃度核廃棄物の運搬専用船に六栄丸(六ヶ所の繁栄)、低レベル運搬船は青栄丸と名づけたものの罪は深い」
97年文庫版の解説は広瀬隆氏。「いよいよ原子力も幕をとじる日が来た。鎌田慧氏と寺下力三郎氏に、みなでその言葉を贈りたい。敬愛の念をこめ、感銘のうちに」(←その後、寺下氏は亡くなり、福島の大惨事が起こり、原子力劇場の悲喜劇は未だ幕を閉じる気配がない)
同じく広瀬隆氏解説より「高レベル放射性廃棄物は、…つまり三十年は五十年となり、五十年が永久となることは、青森県民より、ほかの四十六都道府県が熟知のことで、みな心中でそう願っている。こんなものを保管してくれるお人好しがいるとはありがたい、と」
ちなみに、六ヶ所村民図書館の蔵書には鎌田慧さんの著書は16冊あり、『六ヶ所村の記録』も3冊含まれている。さすがにそこまで弾圧することはできなかったようだ。八戸市図書館には2011年の岩波現代文庫版も所蔵されている。高校の図書室にあるだろうか。
鎌田慧さん91年知事選でのコメント
北村氏が強いとは思っていたが、予想以上だったので愕然としている。核燃選挙といわれていたが、それが焦点になっていなかったからだ。
核燃をどうしようかという前の段階でのファクター、つまり権力、経済構造という保守基盤を、突き崩せなかった。(焦点が)核燃問題にぶつかる以前に、いろいろな問題に拡散したのではないか。北村氏が、副知事時代を含めた24年間で形成してきた権力構造をぎゅっと締め、核燃問題がそこに入り込めなかった、ということだと思う。
代議士選挙とちがい、知事選は待ったなし。県知事を代えるということは、大変なこと。核燃には反対だが、北村氏に入れよう、ということになったのではないか。それだけ県民にも古い意識が根強い、ということだ。
金沢氏は「県民は核と運命共同体になるのを選んだ」といったが、そう単純なものではなく、そこまでいかないうちに、古い県民意識と自民党がつくった「権力のガード」に疎まれたのだと思う。
さらに、山崎氏の「凍結」とい選択肢にうやむやにされた。今日の敗北は反対運動にとっては確かに打撃は大きい。しかし、白紙撤回、凍結を合わせれば北村票を上回る。
六ヶ所村の土田村長は今後、どうするのか。県民が賛成しているとして「ゴーサイン」を出すかもしれないが、そうではない。県民がノーという前に、締め付けの緩衝剤をばらまかれて、「核燃反対」が直撃しなかった、といえる。
北村氏も「おれを支持したから、県民が核燃を選択した」と言うかもしれないが、そういう論理は成り立たない。相対的にみれば、明確に、賛成しないという人が多い。過半数以上の根強い反対を無視して(核燃サイクル基地建設を)強行するのは、誤りだ」(朝日新聞2月4日朝刊)
長々と引用してきたが、その再処理工場が、福島原発事故を経て再び全ての原発が停止する今年の秋に向けて、本格稼働を目指すという馬鹿げた事態になってきている。この40年もの記録は過去の話ではなく、今もその続きの物語がより喜劇性を強めながら繰り広げられている。
(そのツケは必ず県民にまわってくる…)
もう1冊、本棚から島田 恵さん(写真・文)の『六ヶ所村 核燃基地のある村と人びと』を引っ張りだして読み直している。その前著『いのちと核燃と六ヶ所村』も、うちの待合室に置いてあります(貸出可)。
(オマケ)
「低線量セシウム無害」(3/13国会質問)の維新・西田譲議員について、私の興味は、1)どうして選ばれたのか、2)どうやったらこういう人間が形成されるのか。1)については、選挙で投票したのにこんな人だったのかと頭を抱えている選挙区民もいるかもしれないが、それは選んだ貴方の責任。
西田譲1)どうして選ばれたのか? 何年か県議をやっていたならトンデモとかアブナイ言動とかはわかるはず。公開討論会でもやれば一発。維新というブランド(?)や、公約や演説の字面、見てくれ(顔見るとちょっとこれは?と感じるが若くてイケメンと思う人もいたかも)で選んだか。
西田譲2)どうやったらこういう人間が形成されるのか? こういうのは謎。学歴見るといわゆる学力はあるようだが、まともな判断力、論理的思考能力がない。ただ未熟だとか思い込みともちょっと違う。ボーダーラインっぽい感じもするが、情報不足。幼児期、小児期はどうだったのか。
(ネトウヨとほとんど変わらないという気もするが…)