Facebookで一度公表した「核兵器・原発・核燃料サイクルの歴史」年表を一部修正し、いくつかの項目を追加してみました。画像はスクリーンショットで画質が良くないので、PDFをダウンロードしてご覧下さい。
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個人的なメモとして作成したものですが、主な目的は、1ページの中に、核兵器、原発と重大事故、核燃サイクル、青森県の原子力施設、日本と世界の原子力政策が概観できるように収めることです。
なので、一部詰め込みになって、違う年のものが押し込まれているところもあります。
これ以上の情報を入れると見にくくなるので、ここまでで作業終了とします。
★が重大事故、被曝
◎は青森県関連
*は日米原子力協定関連
あらためて眺めてみると、スリーマイル、チェルノブイリ以降の原子力産業が停滞して行き詰まっていく時期に、青森県が原発・核燃施設の誘致・建設にのめり込み、2011年の福島原発事故へと流れ込んで行った経緯が一目瞭然であることに加えて、この国の戦後史は核(原子力)の歴史であり、今後もあり続けるであろうということも痛感させられます。
※
「確約」は最終処分場にしないという確約
「覚書」は再処理が行われない時には「施設外に」搬出するという三者間の覚書
(この点については別に記事にしたいと思います)
個人的なメモとして作成したものですが、主な目的は、1ページの中に、核兵器、原発と重大事故、核燃サイクル、青森県の原子力施設、日本と世界の原子力政策が概観できるように収めることです。
なので、一部詰め込みになって、違う年のものが押し込まれているところもあります。
これ以上の情報を入れると見にくくなるので、ここまでで作業終了とします。
★が重大事故、被曝
◎は青森県関連
*は日米原子力協定関連
あらためて眺めてみると、スリーマイル、チェルノブイリ以降の原子力産業が停滞して行き詰まっていく時期に、青森県が原発・核燃施設の誘致・建設にのめり込み、2011年の福島原発事故へと流れ込んで行った経緯が一目瞭然であることに加えて、この国の戦後史は核(原子力)の歴史であり、今後もあり続けるであろうということも痛感させられます。
※
「確約」は最終処分場にしないという確約
「覚書」は再処理が行われない時には「施設外に」搬出するという三者間の覚書
(この点については別に記事にしたいと思います)