熊本熊的日常

日常生活についての雑記

健康診断考

2011年01月08日 | Weblog
先月受けた人間ドックの結果が届いた。いくつかの要経過観察項目があるもの、二次検査が必要なことはなく、経過観察項目も毎年指摘されていることなので、総じて想定の範囲内の結果と言える。

検査結果を眺めていて思うのは、健康診断を定期的に受けることにどの程度の意義があるかということだ。かつての職場の同僚で、健康診断を一切受けないという人がいた。人は必ず死ぬのだから、健康など気にしてもしょうがない、というのである。それはひとつの考え方だろう。しかし、日本では労働安全衛生法に基づき、事業者は「期間の定めのない契約により使用されるもの」つまり所謂「正社員」に対し健康診断を受けさせる義務を負っている。健康診断を受けない、という駄々をこねると人事管理部門の人達が困ることになる。健康診断にまつわる事故の類が皆無というわけではないだろうが、それで具体的な不都合があるわけではないのだから、受けないと我を通すのはいかがなものかと思い、そのように話したりもしたが、おそらく彼は今も受けていないだろう。ちなみに、この人は過去に交通事故で臨死体験をしている。お花畑のようなところにいて、そこがとても快適であったとのことだ。私なら、快適な場所から離れたりはしないだろう。

それで結果の話だが、自分の行動や意識でどうこうなるものというのは、それほど無いように思う。体重は食生活や運動量を調整することで管理できるかもしれないが、それは各自の生活様式というものがあるだろうから、年齢を重ねれば重ねるほど、管理は困難になるのが自然なのではないだろうか。そうなると、健康診断は数値が年々悪化していくのを眺めるだけのためのものということになってしまう。「体重を落としましょう」とか「運動をしましょう」と言うのは易しいが、食生活を変えるというのは容易なことではないだろう。体重を落としたところで、それが即、健康ということではなく、不健康のリスクが低下したというだけのことだろう。それでも、いつか必ず死が訪れるのである。医療機関としてはあからさまには言いにくいかもしれないが、漠然と「健康」を訴えるよりも、苦痛なく旅立つことのできる身体作りということに、もっと力点を置いた検査や指導を指向したほうが現実的なのではないだろうか。

私は酒もタバコも嗜まないのだが、甘いものは好きだ。時に過剰に摂取しているのではないかと感じることもないわけではない。しかし、これまでのところ標準体重を維持している。自分で食事を作るときは勿論のこと、外食のときも、野菜を多めにすることを意識している。食事を作ればわかることだが、肉を調理したときの調理器具や台所の汚れ方というのは、そうでないときよりも激しい。特に気になるのは脂肪分に由来すると思われるべたつきだ。それを目の当たりにすれば、自分の体内が目の前の鍋のようにべたべたすることが自然に想像されて、そういうものを口にする意欲が減退する。元来、肉は好きなのだが、そんなわけで自炊をするようになってから肉類の摂取は顕著に減少しているのではないかと思う。

食事に限ったことではないが、自分でやってみる、という経験によって多くのことを学ぶことができるものだ。今の自分の身体は半年前に食べたもので作られている、というようなことを耳にしたことがある。食の安全ということが話題になるようになって久しいが、自分が口にするものを自分で作ってみれば、インスタント食品だの冷凍食品だの工場で作られるようなものは、どのような食材がどのように調理されているのかわからないので食べたくないし、ファミレスの食も気持ちが悪い。ましてやファーストフードなど言わんをや。理想は作り手がどのような人間なのかわかっている食事。自分が作る分には、食材の選択基準も承知しているから間違いは少ない。外食となると、作り手が見える、というのはなかなか無い。有名店であることは何の意味も無いし、ナントカの星の数など糞食らえだし、食というものについての考え方を共有できない人の話など端から信用できない。

いつものように話は大きく脱線したが、結局、自分でできる健康管理は食の管理以外に無いのではないか。食は世界観や人生観の反映でもあるから、それを変えるというのは容易でない。ならば、自分で健康管理など、そもそも無理なのではないか。それなら、健康診断は何のためなのだろうか。話はここに戻る。