今日は東日本大震災から3年目ということで世間は盛り上がっていたらしい。繰り返しになるが、我が家にはテレビがなく、新聞の類も購読していないので、生活のなかでそういう雰囲気を感じるのである。美術展もそうだが、「没後ン周年」とか「生誕ン年」というような企画をよく目にする。ン年だからどうだということではないだろう。なんとなく耳に残りやすい表現なので、商売のネタに使えそうだ、という程度のことだ。だから、東北のことや震災のことなど普段は考えもしないような人たちが思いついたように被災地に押し掛けて、そこで実際に暮らしている人たちの迷惑も顧みずに親切の押し売りのようなことをして盛り上がる。それもこれも市場原理だ。
何周年とかいうこととは関係なしに震災復興に関連した作業を地道に行っている人たちは当然いるだろう。心ある人はそういうことを殊更に見せびらかしたりはしないのではないか。震災があってもなくても生きている人たちの生活は止まらない。自分の生活の再建をあれこれ考えなければならないので、ただその時々に成すべきことを淡々と積み重ねていくよりほかにどうしょうもないのである。
世間の関心を喚起するという意味では馬鹿騒ぎも必要なのかもしれないが、必要なのは衰退する一方の地方経済の振興策と原発処理だ。震災があってもなくても、それこそ市場原理に従って製造業の生産拠点は海外へ移り、かつて企業城下町の様相を呈していたところほど衰弱が著しい。なかには生き残りを賭けて原発のようなものを誘致して、震災の被害には遭わなくても原発停止による雇用や税収の予期せぬ減少に見舞われているところもあるだろう。今回の震災に関しては福島の原発をどうにかしないことには事は何も進まない。立ち入ることができなければ復興もなにもないのである。今回のような事態に際し、原発あるいはもっと広範にエネルギーをどうするのかという具体的な議論や施策、その需要予測と密接に関連する産業政策や成長戦略、というようなものはどうなっているのだろうか。今存在している原発の運転再開という目先のことも大事なのだが、そういう国家としての戦略や政策が震災後3年を経ても何も伝わってこない。尤も、伝わってこないのは私がテレビや新聞と無縁に生活している所為かもしれないのだが。