浴室の前にタオルや着替えを収めるために竹籠を買った。あまり竹製品を気にしたことはなかったのだが、先週の日本民藝館での茶話会で参加者の荷物置き用に供されていた籠がよかったので、妻と相談して買うことにしたのである。竹は日本中どこにでもある素材なので、金属やプラスチックが普及する以前は一般家庭のなかで当たり前に使われていたはずだ。金属もプラスチックも元は鉱物であり、大地の産なので大本は竹と同じと言えないこともないが、やはり人間と素材との距離感が全然違う。生活に近いところにあるもので作った道具を使って暮らすというのは、なんとなく安心感があるものだ。竹の場合は、新しいうちは青々としているが、時間の経過に従って枯れて色艶が変わるのも自分に馴染むような心地がしてよいものだ。この竹籠が来年、再来年、その先にどうなるのか、そのときの自分はどうなっているのか、どうなっていたいのか、そんなことを考えるのも楽しい。
このブログのペンネームに合わせたわけではないが、この竹籠は熊本産だ。80ん歳の男性が毎日こつこつと作っているそうだ。籠の隣の椅子のようなものは数年前に私が木工教室で作った最初の作品。その教室で、初心者が木取りの仕方や道具の扱いを学ぶために規定演技のようなものとして課されるものである。椅子として使ったことはなく、何かを置く台としてこれまで使ってきた。シンプルなものなので使い勝手がよくて重宝している。