「少女像」対立、米が仲介へ ケリー氏、電話会談を検討
釜山の日本領事館前に設置されてしまった慰安婦像については、近頃、名称を”少女像”として報じる記事が増えてきました。慰安婦像は、アメリカをはじめ、世界各地で韓国系支援団体が設置を試みており、一種の視覚的イメージ戦略のための偶像です。それでは、この少女は、一体、幾つなのでしょうか。
大半の人々は、その髪型やあどけなさが残る表情から、ようやく十を越えたくらいの年齢に見えるのではないでしょうか。”少女像”には絶大な効果が期待されています。慰安婦像を敢えて”少女”として表現したことで、朝鮮半島の無垢な少女たちを慰安婦として戦地に強制連行した日本軍の非道性を人々の視覚に訴えているからです。少女の像を見る者の頭には自然と”非道で残酷な日本軍”のイメージが湧き、幼気な少女に同情を寄せることでしょう。しかしながら、この”少女像”は、史実を正確に描き出しているのでしょうか。
韓国側の主張に拠りますと、戦時期の朝鮮半島では、日本軍による”慰安婦狩り”が行われ、未成年の少女たちも強引に連れ去られとされています。ところが、慰安婦とは、日本国内であれ、朝鮮半島であれ、その募集は事業者によるものです。法律によって就業年齢が定められており、日本国内では、戦時にあっては満16歳以上であり、朝鮮半島でも、その募集広告を見ますと、18歳、あるいは、17歳以上と記されています。となりますと、少女として制作されている慰安婦像の年齢とは合わず、この像は、慰安婦の実像とはかけ離れているのです。
それでは、一体、何故、慰安婦像は少女の姿をしているのでしょうか。その一つの理由は、韓国側が、慰安婦ともう一つの”日帝による被害”と主張する戦時動員の一環であった女子勤労挺身隊とを意図的に混合していることにあります。高崎宗司氏の研究調査(「「半島女子勤労挺身隊」について」)によれば、朝鮮半島では、1944年4月以降に女子の動員が始まり、静岡県や富山県など、日本国内の工場で兵器等の生産に当たったそうです。もっとも、この動員も強制ではなく募集であり、その総数は、最大に見積もっても4000名程であったそうです(確認できるのは2350から2450名)。そして、ここで留意すべきは、朝鮮半島から出勤した挺身隊は国民学校6年生以上の生徒や学生であり、最も低い年齢では、少ないながらも11歳という少女が含まれていることです(73名中3名あるものの、日本国内で勤務したかは不明…)。つまり、”少女像”は、慰安婦像ではなく、「女子挺身隊像」と呼ぶ方が史実に対しては誠実ということになります。
そして、”少女像”の実態が女子挺身隊であるとしますと、韓国の主張には重大な矛盾が生じます。それは、工場勤務の女子挺身隊の募集が実施されるさ中、20万人もの女子を慰安婦として強制連行することは凡そ不可能であることです(女子挺身隊は、戦場に連行されなかったごく少数の幸運な人々であったことに…)。韓国は、女子挺身隊を認めれば、慰安婦の強制連行説を否定せざるを得ないという自己矛盾に陥っているのです。挺身隊から慰安婦にされたとする”証言”もありますが、それは、事業者に騙されたり、戦災の混乱によるものであったりと、どれも日本政府や日本軍による強制ではありません。”少女像”の名称は、図らずも、韓国の主張に潜む矛盾を露わにしているように思えるのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村
釜山の日本領事館前に設置されてしまった慰安婦像については、近頃、名称を”少女像”として報じる記事が増えてきました。慰安婦像は、アメリカをはじめ、世界各地で韓国系支援団体が設置を試みており、一種の視覚的イメージ戦略のための偶像です。それでは、この少女は、一体、幾つなのでしょうか。
大半の人々は、その髪型やあどけなさが残る表情から、ようやく十を越えたくらいの年齢に見えるのではないでしょうか。”少女像”には絶大な効果が期待されています。慰安婦像を敢えて”少女”として表現したことで、朝鮮半島の無垢な少女たちを慰安婦として戦地に強制連行した日本軍の非道性を人々の視覚に訴えているからです。少女の像を見る者の頭には自然と”非道で残酷な日本軍”のイメージが湧き、幼気な少女に同情を寄せることでしょう。しかしながら、この”少女像”は、史実を正確に描き出しているのでしょうか。
韓国側の主張に拠りますと、戦時期の朝鮮半島では、日本軍による”慰安婦狩り”が行われ、未成年の少女たちも強引に連れ去られとされています。ところが、慰安婦とは、日本国内であれ、朝鮮半島であれ、その募集は事業者によるものです。法律によって就業年齢が定められており、日本国内では、戦時にあっては満16歳以上であり、朝鮮半島でも、その募集広告を見ますと、18歳、あるいは、17歳以上と記されています。となりますと、少女として制作されている慰安婦像の年齢とは合わず、この像は、慰安婦の実像とはかけ離れているのです。
それでは、一体、何故、慰安婦像は少女の姿をしているのでしょうか。その一つの理由は、韓国側が、慰安婦ともう一つの”日帝による被害”と主張する戦時動員の一環であった女子勤労挺身隊とを意図的に混合していることにあります。高崎宗司氏の研究調査(「「半島女子勤労挺身隊」について」)によれば、朝鮮半島では、1944年4月以降に女子の動員が始まり、静岡県や富山県など、日本国内の工場で兵器等の生産に当たったそうです。もっとも、この動員も強制ではなく募集であり、その総数は、最大に見積もっても4000名程であったそうです(確認できるのは2350から2450名)。そして、ここで留意すべきは、朝鮮半島から出勤した挺身隊は国民学校6年生以上の生徒や学生であり、最も低い年齢では、少ないながらも11歳という少女が含まれていることです(73名中3名あるものの、日本国内で勤務したかは不明…)。つまり、”少女像”は、慰安婦像ではなく、「女子挺身隊像」と呼ぶ方が史実に対しては誠実ということになります。
そして、”少女像”の実態が女子挺身隊であるとしますと、韓国の主張には重大な矛盾が生じます。それは、工場勤務の女子挺身隊の募集が実施されるさ中、20万人もの女子を慰安婦として強制連行することは凡そ不可能であることです(女子挺身隊は、戦場に連行されなかったごく少数の幸運な人々であったことに…)。韓国は、女子挺身隊を認めれば、慰安婦の強制連行説を否定せざるを得ないという自己矛盾に陥っているのです。挺身隊から慰安婦にされたとする”証言”もありますが、それは、事業者に騙されたり、戦災の混乱によるものであったりと、どれも日本政府や日本軍による強制ではありません。”少女像”の名称は、図らずも、韓国の主張に潜む矛盾を露わにしているように思えるのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村