万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

正義の議論は『コーラン』を読んでからでは?ー米司法長官代理の解任

2017年01月31日 15時47分15秒 | 国際政治
トランプ氏、反旗の司法長官代理を解任 「裏切った」
 トランプ米大統領は、就任するや否や、堰を切ったように選挙戦で掲げた公約を実行に移しています。イスラム教徒の入国禁止もその一つなのですが、本日は、中東・アフリカ7カ国からの入国を禁止する大統領令の執行を拒絶した司法長官代理を解任するという事態も発生しています。

 解任されたサリー・イェイツ司法長官代理は、大統領令に対する不服従を表明するに際して、「私には、常に正義を追求し、正しいことを弁護するという我々の機関に与えられた厳粛な責務を果たし続ける責任がある」と述べています。言葉そのものは正当な主張のように聞こえるのですが、正義の議論をするには、まずは、何故、イスラム教徒が危険視されているのか、その教義にまで踏み入って判断する必要があるように思えます。

 今般の入国禁止措置については、オバマ前大統領も、”宗教差別”として批判しております。しかしながら、『コーラン』を読みますと、他宗教に対する排他性という意味において、イスラム教ほど異教徒を”差別”している宗教はありません。この点、宗教差別批判は、宗教差別を奨励する宗教を擁護するという奇妙で矛盾した構図となるのです。また、イスラム過激派から狙撃を受けた過酷な経験を持ち、ノーベル平和賞受賞者でもあるパキスタン出身のマララさんも、トランプ大統領の措置を批判しておりますが、仮に、マララさんが居住しているイギリス国内に自由に入国してきたイスラム過激派の一味に再び命を狙われたらどうするのでしょうか。マララさんの批判も、”自らを暴力から保護しているものは何か”という視点が抜け落ちており、矛盾に満ちた擁護論となるのです。

 イスラム教が異教徒虐殺容認を含む危険思想であるにも拘わらず、国民すべての安全に責任を負う政治家が激しく糾弾される現状は、どこか倒錯しているように思えます。否、リベラル派やその影響下にあるマスメディアは、イスラム教に内在する危険性を客観的、かつ、冷静に批判する勇気もなく、暴力に屈してイスラム側に回り、自らは安全な場所にあって、無責任にも国民の安全を優先する人々を批判しているように見えます。司法長官代理の私見による大統領令の拒否は統治機構の崩壊にも繋がりかねませんので、リスクに関する公平な判断を欠いた独善的、かつ、偽善的拒絶は禁物であったと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする