万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

陰謀論は健全な知的探究心の証し

2012年03月04日 16時42分22秒 | 社会
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明 メディア陰謀論を共有する人たち (日経ビジネスオンライン) - goo ニュース
 インターネットの普及により、これまでインテリ達の知的な遊戯に過ぎなかった陰謀論が、世間一般にまで広がったことに対して、批判的な意見もあるようです。知的レベルの低下であると…。

 日本国内のみならず、世界中の出来事を眺めてみますと、合理的に説明できない現象は多々あります。歴史上の事件のみならず、つい数日前に起きた事件でさえ、客観的に検証できないこともあるのです。そして、情報が充分に提供されておらず、”ミッシングリンク”があったり、提供されていても、辻褄が合わない、相互に矛盾する情報が多方面から発信されていますと、何かがおかしいと、受け取る側の脳内の認識センサーが異常をキャッチします。人間とは、不合理であったり、矛盾するものには、本質的には耐えられない存在ですので、どこかに隠された何かがあるはずと、怪しむようになるのです。ここに、陰謀論が流行る理由があります。しかも、現実には、スパイや工作員が暗躍しているのですから、なおさらのことです。

 ですから、逆から見ますと、陰謀論が存在していない社会とは、公私共に全ての情報が白日の下に晒されている透明化された社会であるか、あるいは、逆に、情報統制が徹底した社会であるのかの何れかです。大抵は、両者の間の何れかに位置していますので、本当の事を知りたい人々は、それを信じるか否かは別としても、陰謀論にも興味を示すのです。合理的な説明を求めて。陰謀論が、世間一般に知的な懐疑心と探究心が働いている証しであるならば、陰謀論に寛容である方が、健全な社会なのではないかと思うのです。そしてそれは、陰謀を企む側への牽制ともなるのではないでしょうか。


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コメント (2)
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