中国新聞趣聞~チャイナ・ゴシップス 河村市長“南京事件発言”を考える 政治としての歴史認識問題(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース
中国政府は、満州事変から日中戦争に至るまでの一連の流れを、大日本帝国による一方的な侵略戦争と見なし、南京事件を、その過程で起きた虐殺事件と位置付けているようです。しかしながら、イデオロギー優先の中国共産党の史観には、当時、自国が、無政府状態とでも言うべき大動乱期にあり、統合問題を抱えていたとする認識が欠如していると思うのです。
孫文が率いた辛亥革命によって清朝は倒されたものの、すぐさま中国大陸に統一された近代国家が出現したわけではなく、南北政府の地理的な対立のみならず、共産党による革命運動もまた、内部から揺さぶりをかけていました。国民党、北方の軍閥、共産党との三つ巴の状況にあり、しかも、これらの勢力の背後には、それぞれ外国が陰に日向に支援や介入の機会を覗っていたのです。共産党がソ連邦を後ろ盾としたことを言うまでもありませんが、権益を保持する欧米諸国や日本国もまた、混迷を深める中国情勢に対しては無関心ではありませんでした。動乱期に外国の介入を招くことは、歴史にしばしば現れる現象であり、この点、中国も例外ではありません。この視点からしますと、関東軍による満州事変とそれに続く満州国の建国には、日本国と清との連合としての側面が見えてきます。日本国が権益を確保している満州の地は、女真族である清皇室の故地であり、万里の長城の以北に位置していたのですから。ここに、北部を緩衝地帯としたい日本国と清を再興したい溥儀との利害が一致するのです。
このことは、1930年代に発生した一連の出来事が、清朝滅亡から続く中国の統合問題と密接に結びついていたことを示しています。中国とは、一体、どこからどこまでなのか、という問いは、現代に至っても明快な回答はなく、それゆえに、チベットや東トルキスタンでも分離・独立、あるいは、自治権強化の要求が続いています。そして、一党独裁体制としての共産党政権の正当性も・・・。この点を踏まえますと、日本国による単純な”侵略戦争”とする見方は、中国人が、中国の歴史そのものに目を瞑ることでもあると思うのです。
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中国政府は、満州事変から日中戦争に至るまでの一連の流れを、大日本帝国による一方的な侵略戦争と見なし、南京事件を、その過程で起きた虐殺事件と位置付けているようです。しかしながら、イデオロギー優先の中国共産党の史観には、当時、自国が、無政府状態とでも言うべき大動乱期にあり、統合問題を抱えていたとする認識が欠如していると思うのです。
孫文が率いた辛亥革命によって清朝は倒されたものの、すぐさま中国大陸に統一された近代国家が出現したわけではなく、南北政府の地理的な対立のみならず、共産党による革命運動もまた、内部から揺さぶりをかけていました。国民党、北方の軍閥、共産党との三つ巴の状況にあり、しかも、これらの勢力の背後には、それぞれ外国が陰に日向に支援や介入の機会を覗っていたのです。共産党がソ連邦を後ろ盾としたことを言うまでもありませんが、権益を保持する欧米諸国や日本国もまた、混迷を深める中国情勢に対しては無関心ではありませんでした。動乱期に外国の介入を招くことは、歴史にしばしば現れる現象であり、この点、中国も例外ではありません。この視点からしますと、関東軍による満州事変とそれに続く満州国の建国には、日本国と清との連合としての側面が見えてきます。日本国が権益を確保している満州の地は、女真族である清皇室の故地であり、万里の長城の以北に位置していたのですから。ここに、北部を緩衝地帯としたい日本国と清を再興したい溥儀との利害が一致するのです。
このことは、1930年代に発生した一連の出来事が、清朝滅亡から続く中国の統合問題と密接に結びついていたことを示しています。中国とは、一体、どこからどこまでなのか、という問いは、現代に至っても明快な回答はなく、それゆえに、チベットや東トルキスタンでも分離・独立、あるいは、自治権強化の要求が続いています。そして、一党独裁体制としての共産党政権の正当性も・・・。この点を踏まえますと、日本国による単純な”侵略戦争”とする見方は、中国人が、中国の歴史そのものに目を瞑ることでもあると思うのです。
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