万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

期待薄の日中”海上連絡メカニズム”-”戦争防止メカニズム”ではない

2015年06月15日 15時06分37秒 | 国際政治
日中連絡、領海・空は除外…尖閣問題切り離し
 2013年2月、東シナ海で起きた中国海軍艦艇が日本国の海上自衛隊の護衛艦に対して射撃管制レーダーを照射した事件は、日本国のみならず、国際社会にも衝撃をもたらしました。ロックオンの状態であったというのですから…。

 ロックオンとは攻撃の前段階である標的の捕捉を意味しており、発射ボタンが押されば、最悪の場合、海上自衛隊の護衛艦は海に沈むところでした。中国による先制攻撃ともなりかねず、偶発的な事件が武力衝突にまで発展しかねなかったのです。そこで、日中間では、こうした事件の再発を防ぐための”海上連絡メカニズム”の構築で合意し、実際に、領海・領空は除外するものの、その運営が開始される見通しなそうです。しかしながらこの仕組み、それほど期待はできないのではないかと思うのです。確かに、日常的な巡視活動における偶発的な衝突を避けることはできるかもしれませんが、中国が、海洋戦略の一環として尖閣諸島や沖縄に対して軍事侵攻を実行する場合、中国が、日本側に自国の艦隊の行動計画に対する重要な情報を伝達するはずもありません。否、日中間の海上連絡メカニズムを利用した事前の攪乱作戦さえ懸念されるのです(偽情報等の伝達…)。しかも、領海・領空は除かれるというのですから、尖閣諸島や沖縄に対しては無力となります。

 集団的自衛権否定論者や親中派の人々は、両国間における海上連絡メカニズムの運営開始を以って、中国脅威論の火消としたいのでしょうが、この仕組みに”戦争防止メカニズム”を求めるには無理があります。防止できるのは、現場における偶発的な武力衝突のみなのですから、中国の拡張政策に起因する安全保障上の危機には備えを怠ってはならないと思うのです。

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MERSの流行-やはり韓国への渡航は危険では?

2015年06月14日 14時57分11秒 | 国際政治
MERS感染者145人に=サムスンソウル病院は部分閉鎖―韓国
 中東呼吸器症候群の名が示すように、人がラクダと接触することによって感染するMERS。ところが、現在、韓国では、このMERSが猛威を振るっております。

 最初の患者の報告は5月とのことですが、日本国の外務省は、ようやく今月12日に海外安全ホームページにおいて渡航情報としてMERS情報を掲載しましたが、”感染症危険情報”に基づく渡航延期は出していないそうです。また、マスコミ報道などでは、専門家の見解として、マスクや消毒などで対策をとれば感染の可能性は殆どはないと説明しており、こちらも危機感は薄いようです。しかしながら、韓国のMERS、楽観視しても大丈夫なのでしょうか。韓国側も、感染は病院内に限られており、通常の日常生活にあっては感染の心配はないかのように説明しています。その一方で、患者情報や採られている対策等の情報からしますと、コロナウィルスの感染力は、相当に強力なのではないかと推測されるのです。その理由は、MERSは、「現時点では持続的なヒトからヒトへの感染を裏付ける証拠は見つかっていない(6月2日のWHOの見解…)」とされていますが、韓国には媒介となるラクダは生息しておりませんので、患者数の増加は人・人感染の結果としか考えられないからです。実際に、せきやくしゃみといった飛沫感染は認めておりますので、やはり、人から人へ感染するのでしょう。また、感染の拡大を防ぐために、韓国保健当局は、医療機関のみならず、交通機関やホールといった一般の建物などに対しても徹底的な消毒作業を実施しております(患者の発生した村全体の消毒も…)。この行動から推測されるのは、コロナウィルスは、患者の体内から飛沫として対外に排された後も、長期にわたって感染力を維持しているのではないか、というです。つまり、発病によって隔離される前の時期に(潜伏期間は10日程?)、患者が行動した範囲において、コロナウィルスがそのまま生存している可能性が疑われるのです。仮に、コロナウィルスが長期的な感染力を備えているとしますと、楽観は許されないことになります。

 コロナウィルスについては不明な部分も多く、上述した推測も杞憂に終わるかもしれませんが、MERSの流行は、国民の不安を掻き立てると共に(致死率36%とも…)、マイナス影響は経済にも及んでいると報じられています。日本国にMERSが上陸した場合にも、対応に不手際があれば同様の状況に見舞われることが予測されますので、日本国政府はMERS対策を徹底するとともに、外務省も、大事を取って”感染症危険情報”の案件として扱うべきではないかと思うのです。

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中国が最も恐れるのは日本国の集団的自衛権

2015年06月13日 15時17分55秒 | アジア
中国、「対尖閣」で大型基地を計画
 国家百年の計で世界の覇者の地位を狙う中国。本来であれば、世界征服の陰謀を企てたとして、国際犯罪である平和に対する罪を問われるべきなのですが、最近では、この野望さえ隠さなくなりました。

 報道によりますと、中国は、東シナ海に面する温州に大規模な基地を建設する計画を推進しているそうです。「沖縄県・尖閣諸島周辺に派遣している公船の停泊や補修点検、乗員の訓練が目的とみられる」と説明されていますが、そのような生やさしい目的であるはずもなく、日本国の尖閣諸島、並びに、沖縄に対する軍事侵攻を目的としていることは一目瞭然です。南シナ海で埋め立て中の基地についても、当初は、平和目的を強調しておりました。対中戦略の遂行は、一国の猶予も許さない状況に至っておりますが、中国が、最も恐れているのは、日本国の集団的自衛権に他なりません(日本国の野党は、内部から中国に協力している?)。何故ならば、中国の基本的な戦略は、”サラミ戦術”であるからです。”サラミ戦術”とは、周辺諸国が連携しないように分断を図り、個別に攻撃を加えることで、段階的に支配地域を拡大してゆくというものです。対中包囲網が形成されていない現状にあっては、既にこの作戦は成果を上げており、ブータンなどでも国境線の浸食が進んでいるそうです。”サラミ戦術”に対する最も有効な対抗策は、周辺諸国による包囲網であることは、言うまでもないことです。

 包囲網なきままでは、相当に高い確率でアジア並びに世界は中国の手に落ちます(国際社会の法の支配も終焉…)。一方、集団的自衛権の発動には、確かに自国への直接的な攻撃なくして戦争になる可能性は高まりますが、包囲網による抑止力が働けば、戦争の回避と中国の野望の抑え込みの両者を実現することができます。中国が尖閣諸島や沖縄を狙っている以上、戦争は起きるのですから、中国包囲網の形成を選択した方が、軍事戦略面でも賢明なのではないかと思うのです。

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”法の支配”の対極は安保法案違憲論者では?

2015年06月12日 09時18分05秒 | 日本政治
【論戦 安保法制】衆院憲法審で自・民幹部が直接対決 高村氏vs枝野氏
昨日、衆議院の憲法審査会において、民主党の枝野議員が”専門家の指摘を無視して都合よく否定する姿勢は法の支配とは対極そのものだ”と述べて、安保法案に反対したと報じられております。しかしながら、法の支配の意義に鑑みますと、安保法案違憲論者の方が、法の支配の対極に位置するのではないかと思うのです。

 法の支配の本質的な意義とは、全員に適用される一般的な法の下で、個々の基本的な権利や自由が等しく守られることにあります。中国やロシアが、法の支配に反するとして批判を受けるのも、国際社会の一員として遵守すべき法的拘束から自らを解き放つ一方で、他国の権利を侵害しているからです。つまり、国際社会における法の支配とは、主権国家の権利と自由を相互に保障するためにこそあり、それ故に、全ての国家には、等しく法を順守する義務が生じるのです。ところが、安保法案違憲論者は、本来の意義とは全く逆に、日本国の基本権の制限に対してこの原則を当て嵌めようとしております。個別的自衛権も集団的自衛権も、主権国家の正当防衛権ですので、主権国家の基本権に含まれます(個人レベルで言えば自らの人格、生命、身体…に対する基本的権利…)。国際社会において、法の支配が、特定の国だけに、国家の存亡に関わる死活的な権利である正当防衛権に対して制限を加えることを是認するはずもありません。正当防衛が認められない存在を認めることは、奴隷制を認めるに等しいのですから。国家の防衛や安全保障といった対外的な行動について、国内法のレベルで”法の支配”を持ち出すことは場違いなのです。

 法の支配の意義に鑑みれば、国家の主権に制限や義務を課すとすれば、それは、全ての国の基本的な権利と自由の保障、即ち、公平な国際秩序と平和の維持を目的とした一般的な国際法に基づくべきです。イタリア憲法にも戦争に対する制約が付されていますが、”他国と等しい条件の下で、各国の間に平和と正義を確保する制度に必要な主権の制限に同意する(イタリア憲法第11条)”と明記されています。先日の記事でも記しましたが、日本国憲法第9条の文面は曖昧であるが故に解釈の幅が広いのですから、国際法の行動規範に合わせて解釈すべきではないかと思うのです。

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”憲法9条原理主義”?-タリバンと共通する洗脳問題

2015年06月11日 15時18分50秒 | 日本政治
政府見解に「説得力なし」=長谷部早大教授が批判―安保法制
 宗教的な教義や思想を記した聖典を絶対視し、如何なる不都合にも目を瞑り、自らの解釈を他者にも押し付けようとする人々は、”原理主義者”と呼ばれています。”原理主義者”は、古今東西を問わず、あらゆる宗教や思想に現れますが、強固に凝り固まってしまった思考回路から抜け出ることは至難の業です。

 ”9条信者”と言う言葉は、日本国憲法第9条をあたかも宗教の根本教理の如くに崇める人々を表現した言葉であり、これらの人々にとって、憲法は聖典と化しています。そして、自らが正しいと決めた解釈を絶対視する状態に至りますと、それはもう、さらに極端へと先鋭化された原理主義に他なりません。戦後、日本国憲法は、日本国の武装解除と平和志向への転換を促進すべく、アメリカの占領行政の一環として制定されました。しかしながら、憲法制定時におけるアメリカの目的は冷戦の激化によって変更を迫られ、日米同盟の締結は、政府の合憲解釈を以って実現します(最高裁判所も合憲と判断…)。また、近年の中国の軍事的台頭を背景に、今日、安保法制を歓迎しているのは他ならぬアメリカであり、第二次世界大戦にあって、日本国の軍国主義の被害を受けたとされる東南アジア諸国です。ところが、日本国内には、既に、アメリカの思惑を越えて憲法第9条原理主義が根を張っており、軍事分野における日本国の行動に反対する一大勢力を形成しております。この展開、アフガニスタンのタリバンとも似通っております。反ソ勢力としてタリバンを支援したところ、ソ連軍撤退後、即ち、目的達成後は、神の名の下で非人道的な支配を標榜し、テロを攻撃手段とする反米勢力に転じてしまったのですから。

 一時的な政治的な目的のために宗教や思想を利用しますと、後に政策目的が変わっても、洗脳効果だけは長期的に人の行動を強力に方向付けますので、後からコントロールしようとしても、時すでに遅しとなります(対抗勢力に再利用されることにも…)。日本国憲法に関する議論が常に埒が明かなくなる原因の一つも、反対派の原理主義化に求めることができます(議論が成立しない…)。安保法制についても、日本国民は、常に、洗脳と原理主義の問題が横たわっていることを念頭において、現実的な評価をなすべきではないかと思うのです。

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日本国憲法第9条の憲法解釈の基準は国際法では?

2015年06月10日 14時57分04秒 | 日本政治
安保法案「憲法と整合」=中谷防衛相、「適応」発言を訂正―衆院特別委
 安保法案については、憲法学者による違憲意見が相次いだことから、”現行の法案は違憲である”とするイメージが広がりつつあります。しかしながら、そもそも、憲法の解釈は、何を基準とすべきか、と言う問題が問われていないと思うのです。

 日本国憲法は、国内法である憲法において、国の防衛や安全保障に関わる制約を置いている稀な憲法です。ドイツやイタリアなどの憲法にも侵略戦争を禁じる条文を見ることができますが、日本国憲法の第9条では、”戦争”に対して”侵略戦争”といった明確な限定化がなされていません。このため、条文の解釈の幅は、完全無防備論から無拘束論まで、極めて広くならざるを得ないのです。憲法の条文の文言が曖昧であり、解釈の幅が広い場合、憲法解釈は、一体、何を基準にすればよいのでしょうか。ここで考えるべきは、防衛や安全保障の分野における国家の行動に関する規範は、基本的には、国際法によって律せられていることです。一国だけで戦争が闘われることはあり得ず、防衛や安全保障の分野には、必ずや相手国が存在します。つまり、防衛や安全保障は、敵味方となる双方の国家や陣営に対して等しく法的な拘束力を有する法こそが適用される分野であり、一国レベルの”自主規制”は、意味がないのです。他の諸国に見られる”侵略戦争の禁止”も、侵略認定の問題は別としても、国際社会の一般原則として侵略を禁じている国際法と合致しております。そして、国際法に合致している限り、個別的自衛権であれ、集団的自衛権であれ、主権国家の防衛の権利を損なうこともないのです。

 このように考えますと、日本国憲法第9条は、国際法を基準として、国際法が禁じる戦争を放棄していると解釈すべきであり、安保法案も、国際法に違反しない限り、合憲とすべきではなのではないでしょうか。そして、憲法解釈の広さが日本国の安全を脅かし、かつ、国際平和への貢献の妨げとなるのであれば、憲法改正に正面から取り組み、憲法と国際法との明確なる整合化を図るべきと思うのです。

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矛盾に満ちた安保法案違憲論-日本国は国際社会に対して無責任でよい?

2015年06月09日 17時10分15秒 | 日本政治
安保法案、違憲批判に反論=「憲法の論理貫徹」―安倍首相
 目下、注目を集めておりました安保法案については、6月中の採決は見送られるとも報じられております。参考人として招致された憲法学者による違憲論の影響とも見られますが、この違憲論、矛盾に満ちていると思うのです。

 憲法第9条を擁護する人々は、今般の安保法案については、特に自衛隊の海外派兵に対しては並々ならぬ警戒感を示しております。しかしながら、日本国憲法の第9条が、国連、あるいは、”国際社会の善意”に依拠していることを考えますと、この態度は、あまりにも無責任としか言いようがありません。日本国憲法が制定された1946年当時、日本国の安全は国連によって完全に保障されるとする幻想が生きており、また、周辺諸国も善意に満ちていると信じられておりました。この二つの前提の下で、”戦争放棄”や”軍隊の不保持”が明記されたわけですが、今や、安保法制を違憲とする説は説得力を失っております。前提が完全に崩壊したことが最大の信頼喪失ですが、第二の側面は、前提の如何にかかわらず、自衛隊の海外派遣の否定は、自己否定となることです。即ち、安保法制違憲論者は、第9条において自国の安全を国連及び国際社会の救済に頼り切りながら、自らは、その活動を忌むべき”戦争”として批判し、その活動に参加しないと宣言しているのですから。自国の安全が脅かされた時には、国連や他国による救済を当然の事のように期待する一方で、他国の安全や国際の平和が侵害された時には、自衛隊も出さずに傍観すべし、となりますと、日本国は、国際社会のフリーライダーとなりかねません。

 憲法第9条が、国連や国際社会に依存しているのであればこそ、国際社会の一員であり、国連にも加盟している日本国は、国際社会全体の平和と秩序の維持に対しても相応の責任を負うべきなのではないでしょうか。自衛隊の海外派兵の否定を以って”平和”であるとする主張は、利己的であると共に、論理的にも重大な矛盾を抱えていると思うのです。

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G7南シナ海埋め立て反対-国際社会全体の問題

2015年06月08日 14時35分57秒 | 国際政治
G7首脳、南シナ海埋め立て反対=停戦なければ対ロ制裁強化も―外交政策討議
 中国は、埋め立てを強行している南シナ海の問題について、”域外国”が口を挟む問題ではないとして、アメリカの介入を退けて、あくまでもアジア域内の問題として扱う方針を示しております。アジア域内の問題に限定化すれば、軍事力を背景に南シナ海一帯を支配できると考えているのでしょう。

 しかしながら、中国のこの見解は甘すぎます。そもそも、紛争地域における中国による一方的な埋め立て強行や領域化は、国際社会における一般ルールである国際法に違反しているからです。国際法上の違法行為への対処は、当然に、国際社会全体で取り組むべき問題となります。中国には、アジアを国際社会から切り離し、国際法の非適用地帯とする資格も権限もありません。言い換えますと、国際社会は、全世界を包摂する法秩序を維持するために違法行為を取り締まる責務を負う一方で、中国は、違法行為を実行している国として取締のターゲットとなるのです。もはや、南シナ海の問題を”アジア域内の問題”とする中国の抗弁は通用せず、この問題は、国際レベルにおける平和に対する脅威と認識されます。

 もっとも、中国は拒否権を持つ常任理事国であるため、国連の安保理にこの問題の解決求めることは不可能です。そうであればこそ、G7の枠組みは、国連に代替する問題解決の重要な機関とし位置付けられるのではないでしょうか(常設仲裁裁判所等の判決も、中国は、無視するかもしれない…)。中国の拡張主義が顕わとなる今日、安保理の機能不全に備えた受け皿となる体制作りは、国際社会の急務なのではないかと思うのです。

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安保法制違憲論-立憲主義は本当に危機なのか?

2015年06月07日 14時02分41秒 | 日本政治
 昨日、安保法制違憲論に関連して、都内で「立憲主義の危機」と題するシンポジウムが開催されたそうです。名だたる憲法学者の方々が壇上で講演をなさったと伝わりますが、立憲主義の危機を根拠とした安保法制反対論には疑問を抱かざるを得ないのです。

 シンポジウムには出席しておらず、ネット上で紹介されている断片的な情報しか手元にありませんので、本記事に若干の誤解や曲解があるかもしれません(予めご了承くださいませ)。講演では、立憲主義の歴史を詳らかに解説しながら、今日の安保法制を”憲法の根幹を揺るがす”愚かで危険な行為と捉えているようです。”イギリス、ドイツ、アメリカも、憲法の根幹を変えることはしない”と…。しかしながら、近代の立憲主義には、そもそもは、絶対王政、即ち、君主が無拘束な状況で権力を振るう体制に対する抵抗から生じた歴史があり、その本質的な価値は、憲法の下における権力分立による統治の健全化にあります。近代憲法の制定が議会開設とセットになっていたのも、民主的な機関としての議会を統治機構に組み込むことで、国民を含む国全体を考慮した統治の実現が求められたからです(為政者による権力の私物化、統治目的からの逸脱、暴走を防ぐ…)。仮に、立憲主義の本質を揺るがす事態があるとすれば、それは、憲法が定めた相互抑止体制が崩壊し、拘束無き独裁体制が出現する時です。

 この点からしますと、防衛や安全保障の権限に拘束を課す日本国憲法第9条は、立憲主義の本質とは関連性がないと考えられます。実際、例として挙げられていたイギリス、ドイツ、アメリカの憲法にも、第9条に該当する条文は存在していません(イギリスには憲法典自体が存在せず、ドイツ基本法で禁じているのは侵略戦争のみ…)。如何なる憲法も、国の安全を脅かすはずはなく(統治機能の否定になる…)、日本国憲法もまた、国際法が許容する範囲の行動を許していると解釈すべきなのではないかと思うのです。

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中国客船転覆事故-無責任な船長

2015年06月06日 14時31分05秒 | アジア
【中国旅客船転覆】死者331人に 数多くの遺体に救援現場で混乱も
 中国の長江で発生した旅客船転覆事故は、死者331人を数える大惨事となりました。行方不明者も100人を越えており、今後、さらに犠牲者の数が増えることでしょう。沈没船に乗船していた方々の恐怖を想像いたしますに、まことに心が痛みます。

 ところで、この事故で救助された人の中には、船長と機関士が含まれているそうです。海難事故に際しての最高責任者としての船長の任務は、乗員を指揮して乗客の避難誘導に当たり、出来る限り多くの人々を速やかに船外に逃がすことにあります。かつては、船長は船と運命を共にすることが名誉とされておりましたが、沈みゆく船に留まり、最後の一人となる乗客・乗員の救出を見届けるのが船長の任務であったはずなのです。ところが、船長が救出されたとする情報が事実としますと、この事故では、真っ先に乗客を残して逃げ出したのでは船長以下乗員であったことが疑われます。誰からの避難指示もなく乗客たちが船室に取り残されたのでは、助かる命も助からなくなります。この事故は、竜巻が原因ともされておりますが、船舶の違法改造も含めて、安全管理を怠った人災とも言えそうです。

 韓国で起きたセウォル号事件にあっても、船長は、乗客を見捨てて自分だけは生き残ろうとする無責任な行動をとりました。中国の共産党幹部は、海外に既に家族や資産を逃避させているとも指摘されており、地位と責任が反比例する中国大陸や朝鮮半島では、”国家沈没”の危機に際して、国民が混乱の中に置き去りにされるという事態を招くのではないかと思うのです。

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安保法制違憲論-亡国の憲法論争

2015年06月05日 09時42分46秒 | 日本政治
違憲指摘「全く当たらない」 菅氏、衆院憲法審査会参考人質疑に反論
 昨日、衆院憲法審査会の参考人質疑において、招致された3人の参考人の憲法学者が、口を揃えて安保法制を違憲とする見解を述べたそうです。与党の参考人も含めて…。

 しばしば、憲法第9条を絶対視し、無条件に戦争と軍隊の全面的な放棄を求める態度は、”憲法守って国滅ぶ”と揶揄されてきました。中国の軍事的脅威を前に、最近では、さすがにこれ程まで極端な意見は影を潜めるようになりましたが、それでも、国の安全よりも憲法、しかも、現実離れした理想論に立脚した憲法を優先する思考回路は、学識者の間でも根強く残っているようです。この倒錯した思考回路が、国際常識のみならず、人間の理性に反していることは言うまでもなく、国の滅亡を前にした”小田原評定”ともなりかねません。憲法が国の安全を阻害するという状態は、本来、あってはならないことなのです(憲法は、他国に対する侵害を禁じることはあっても、自国の安全確保まで禁じることはない…)。中国の軍事戦略を前提に、その拡張主義を押さえるという基本目的を見失った議論は、亡国の憲法論争に過ぎません(二国間であれ、多国間であれ、集団的安全保障体制の強化が必要…)。

 護憲派の人々は、参考人の”違憲一致”で安保法制を違憲立法と見なそうとしておりますが、まずは、憲法解釈であれ、憲法改正であれ、憲法が現実の必要性、すなわち、国の安全の確保に対して障害とならないよう務めることこそ、政治家や学識者の役割なのではないかと思うのです。国が滅びますと、国民もまた滅亡の憂き目にあうことは歴史が証明しております。

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フィリピン大統領の警告-歴史の教訓は今こそ活かすべき

2015年06月04日 15時18分16秒 | アジア
 訪日中のベグニノ・アキノフィリピン大統領は、国会演説をはじめ、都内でも講演会を開くなど、積極的にフィリピンの立場を発信なさっておられるようです。第二次世界大戦において激戦地となりながら、戦後の日本国の歩みを肯定的に評価してくださったことも、まことにあり難いことです。

 ところで、アキノ大統領は、昨日、極めて重要な発言をなさっております。それは、現在の中国の行動を戦前のナチス・ドイツの領土拡張主義と重ね合わせ、安易な宥和政策に警鐘を鳴らしたことです。中国は、これまで、日本国に対して執拗に歴史を直視するように強要し、”歴史に学べ”とさえ諭してきました。しかしながら、真の意味で歴史に学ぶとは、過去に起きた失敗や悲劇的な経験を冷静に分析し、その要因を解き明かした上で、二度と繰り返さないことに尽きます。つまり、悲劇の繰り返しが阻止されてこそ、真に歴史を学んだことになるのです。特定のイデオロギーによって染め上げられ、当局によって絶対化された”公定の歴史”を暗記しても、それは思想の統制や洗脳を受けることでしかなく、後世の人々を悲惨な歴史の繰り返しから救い出すことはありません。

 ミュンヘンの融和が第二次世界大戦を誘発したとしますと、第二次世界大戦が残した重要な教訓の一つは、国際法を無視した領土拡張主義に対しては、初期段階において、国際社会が協力し、断固として抑え込む必要があるということです。時が移ろい、主役となる国が変わっても、時代を越えて真に糾弾されるべきは、その危険な破壊行為なのですから。

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高齢生活保護者には専用施設を-川崎市火事事件にみる劣悪な生活

2015年06月03日 15時22分50秒 | 日本政治
生活保護の受給162万世帯余 過去最多
 生活保護を受けている世帯が、過去最高の162世帯を記録したそうです。高齢者の世帯が増加傾向にあるとされていますが、将来的な就業の可能性が低い高齢者に対しては、専用施設を用意した方が、望ましいのではないかと思うのです。

 これまで、生活保護者を施設に収容することには、人道的な見地から批判的な意見がありました。一般社会から切り離すことにもなりかねませんし、生活保護者の心理的な引け目を考慮してのことです。しかしながら、現実には、先日発生した川崎市の簡易宿泊所家事事件が物語りますように、高齢生活保護者の多くは、劣悪な民間宿泊所に頼らざるを得ず、貧困ビジネスに囲い込まれてしまっております。事故が発生した宿泊施設の見取り図を見ますと、狭い”タコ部屋”が並んでおり、違法建築や消防法違反の建物も多々あるそうです。生活保護者には、医療費無償制度を悪用した医薬品の密売と言った問題も指摘されておりますが、医療機関を設置した専用施設での生活ともなれば、不正防止対策にもなります。

 現状の方式よりも、施設方式であれは、福祉レベルの向上、生活保護不正の防止、貧困ビジネス対策ともなりますし、個別に保護費を支給するよりも、施設運営の方が地方自治体等の負担も低減されるはずです。この事件を契機に、特に高齢者生活保護者については、保護のあり方を根本的に見直してはどうかと思うのです。

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寺社汚損カルト教団は異文化破壊テロ集団-ISILの同類

2015年06月02日 17時10分02秒 | 国際政治
寺社に油、男は成田経由変更し比へ…捜査警戒か
 事件発生から数か月が経過したにも拘わらず、犯人逮捕の報がなかった寺社汚損事件。ようやく、犯人の姿が浮かび上がってきたようです。

 これまでの報道、並びに、ネット情報によりますと、犯人は、ニューヨーク在住の日本国籍の人物であり、キリスト教系新興宗教教団の創始者を名乗っているそうです。キリスト教系とはいっても、韓国系キリスト教のカルト教団とされており、本人も、氏名からしましても、日本国籍を取得した韓国人である可能性が濃厚なそうです(*官報で確認されたとのこと…)。寺社を汚損した理由としては、”油で清めるため”と宗教的な理由を挙げておりましたが、この行為に、他宗教や異文化に対する攻撃性と破壊容認の意思が込められていることは疑う余地もありません。”浄化”の言い分は、、日本国の寺社が穢れていると見なしている証拠であり、油を撒く行為も、紛れもない汚損行為であるからです。こうした宗教集団(反日民族集団でもある?)による破壊行動はISILにも見られ、神の名を語りながら、他宗教の遺跡や神像などを徹底的に破壊しております。汚損事件を起こした教団もISILも、他者を認めず、暴力によって自己の思想を実現しようとするテロリストなのです。

 汚損事件が同時多発的に発生しているところから、本人のみならず、同教団の信者が加担している可能性も指摘されております。オウム真理教に対しては、対策が後手後手となり、大規模なテロ事件の発生を許しましたが、宗教の衣を纏ったテロ集団に対しては、初期的な対応を怠ってはならず、治安当局は警戒を強めるべきと思うのです。

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南シナ海埋め立て問題-中国の”合法”は国際法では違法

2015年06月01日 15時22分49秒 | アジア
岩礁埋め立て「合法で正当」=米の立場に断固反対―中国
 昨日、アジア安全保障会議の席で、人民解放軍の孫建国副総参謀長が説明した南シナ海の埋め立て強行の言い訳には、驚きを禁じ得ません。平然と、埋め立ては、”合法で正当”と言い放っているのですから。

 そもそも、南シナ海において、中国は、岩礁に関する権利を主張している国の一国に過ぎず、埋め立て海域は、国際社会において中国による領有が認められているわけではありません(中国は、南シナ海に九段線を引き、マレーシアあたりまで管轄権を一方的に主張している…)。係争地でこそあれ、”合法的”に埋め立てを強行する権利などないのです。ですから、仮に中国が、今後とも埋め立てを続行し、軍事基地を建設しようとするならば、第一に、領有権を主張している他の諸国との交渉による合意、あるいは、司法的手続きで解決すること(フィリピンが常設仲裁裁判所に提訴し、ベトナムとマレーシアも大陸棚限界委員会に申請を行っている…)、かつ、第二に、国連海洋法おける岩礁ではなく島であることが認められる必要があります。島でなければ、領海、領空、EEZ…を設定できませんし、軍事基地化などもっての他なのです。今のところ、中国の言い分とは、”争う余地のない歴史的及び法的証拠により支えられている”というものですが、歴史的にも、法的にも、中国の主張は証明されておりません。と申しますか、歴史的にも法的にも証拠が存在しないのが現状なのです。こうした状態にあって、中国が埋め立てを”合法で正当”と言い張るとしますと、それは、国際法に対する重大な挑戦であり、無法者と見なされても致し方ありません。中国の言う”合法で正当は”は、国際法では”違法で不当”なのですから。

 埋め立ての目的に軍事使用が含まれることを遂に認めたように、中国の戦法は、常に”既成事実化”です。仮にこのような前例が造られますと、南シナ海のみならず、全ての公海は、中国によって浸食されかねないと思うのです。

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コメント (2)
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