リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

「らしさ」という同調圧力は手ごわい

2017年03月10日 | 日々の風の吹くまま
3月9日(木曜日)。曇りのち雨。まずはちょっと念入りに床掃除。ゼラニウムやアザレアがリ
ビングの窓や窓際の低い本棚に並んで花を咲かせていて、ピンクや赤の花びらが床にひら
ひら。春っぽい感じでいいけど、散ったらごみだから箒でそっと掃き集めて、スティック掃除
機でガガァ。掃除が終わって、雨が降り出す前に小包受取り代行オフィスに行ってプリンタ
のトナー3色パックを引き取って来たら、待っていたように雨。ちょっと風も出て来て、雨粒が
窓を叩く音はまさにmusic to my ears(音楽のように心地よい=うれしいこと)・・・。

めんどうくさそうな仕事が入っているけど、納期が2週間あるせいでなかなか手をつける気
にならなくて、午後はだらだら。きのう日本語の「女子力」の意味合いを考えていた流れで、
「○○らしさ」って何だろうと思案。これ、あまりにも日本語過ぎるもので、翻訳原稿に出て来
るたびにわわわっと焦ってしまう永遠に謎の言葉。「日本人らしさ」、「女らしさ」って何なんだ
ろう。ワタシは昔から「日本人らしくない」、「女らしくない」と言われて来たから、要求に応え
られなかったのは確かだけど、カナダ人らしいのかとなると、カナダ人らしくあろうと努めて
いるわけじゃないし、そもそも「カナダ人らしさ」って何なのかわからないから答えようがない。

ワタシには「○○らしさ」の要求は自分の「○○ならかくあるべき」という思い込み(期待)に
基づく行動様式や思考を他の人間や社会に求めることで自分のアイデンティティを確かめ
るための手段のように見えるんだけど、それって本来は個人の固定観念の域に留まってい
るべきじゃないのかな。それを集団になって要求すれば負の同調圧力になって、呪縛にも
なると思う。でも、他人に「○○ならかくあらねばならぬ」(でなければ「友だち解除」!)と押
し付けるのは相手の人格否定になりかねないし、そんなんで友だちを解除する(村八分に
する)ってのは差別につながるんじゃないかと思うんだけど・・・。

ワタシはどこの誰に「○○らしくない」と言われても、「ワタシらしさ」がわかっていて、それを
良しとして受け入れているから、他人が自分と違ってもそれが「その人らしさ」だと思って違
和感や不快感を持たずに済んでいるけど、そんなだから集団的「らしさ」に囲まれて安心し
たい人たちに勝手に自己完結していると叱られてしまうらしい。人間らしくあるってのは難し
いもんだなあ。