

Wes Montgomery / Full House ( 米 Riverside RLP-434 )
友達から連絡がきて、来月武道館で行われるクイーンのコンサートに行かないか、と言う。 別にいいけど、人妻と2人で行くのはまずいだろう、という
ことで、あと2人誘ってうち1人が都合が付かず、結局3人で観に行くことになった。 アダム・ランバートという歌手が歌うそうだが、こいつが何者なのか
よくわからない。 フレディのいないクイーンなんて・・・という気がしなくもないが、まあ、あまり小難しいことは言わず、気楽に愉しめばいいかと思う。
そこそこの値段のチケットにも関わらず行く気になったのは、やはりライヴは目の前で観ることに意味があるからだ。 私がクイーンを熱心に聴いていたのは
中学生の頃だったが、その時は「ああ、クイーンのライヴなんて一生観れないんだろうなあ」と思っていた。 でも、今じゃ映像でいくらでも観ることが
できるわけで、未来なんてどうなるかわからないものだ。 でも、今ネットでフレディがくねくね踊りながら歌うのを観ていても、さほど愉しくはない。
画面を眺めているだけでは、どうも有難みが感じられないのだ。 それに音楽にもイマイチ乗れない。 やっぱり、その場にいなければ駄目なんだろうと思う。
ウェスの代表作として名高い "Full House" にも同様のことが言えると思う。 グリフィンがオブリガートに徹しているおかげでウェスのギターがよく
鳴っているのが聴こえて、ジャズギターの快楽度が高いとてもいい内容になっている。 全編がノリノリ、というよりかなりのハイテンポで演奏されており、
観客の反応もすごぶる良く、さぞや素晴らしいライヴ演奏だったんだろうなあ、とただひたすら羨ましい。
でも、このアップテンポにこちらの身体がうまく乗れないのだ。 ソファーにもたれかかって聴いているこちらの気分とこのレコードの中に込められた
熱気の間には、どうにも乗り越えられない大きな壁がある。 こういう状況でこんな熱いライヴ演奏を聴くこと自体が間違っているんだろうと思う。
やはりその場にいて、目の前で彼らの動いている姿を目撃して、初めて自分の身体に火が付くのだ。 それが大事なのであって、庭にマイ電柱を建てたら
フレディが目の前で歌っているように聴こえた、という類の話とは本質的に違うということだ。 生演奏とレコードとどちらが優れているか、というような
とんちんかんな話ではない。 それは体験としての種類が違う。
レコードで聴くライヴ演奏が熱ければ熱いほど、それに乗り切れないもどかしさの総量は大きくなるような気がする。 やっぱり、たまにはライヴ会場へ
足を運び、全身で音を浴びることも必要なんじゃないかな。