Chick Corea / Return To Forever ( 西独 ECM 1022 )
盛夏がやってきて、空が青くて気持ちがいい。そういう空の色を眺めていると、短絡的だが、このアルバムを思い出す。ECMの一般的なイメージに反して、
このアルバムは夏になると聴きたくなる。「いまさら盤」の代表のようなアルバムだが、この時期を逃すと掲載する気も失せてしまうので、書いてみよう。
冷静に考えると、これは不思議な音楽だ。よく聴くと、如何にも70年代のジャズらしく、かなり混濁した音楽が展開されている。エレピのフレーズは
お世辞にも美しいとは言えず、時代の垢に塗れている。ベースも無軌道な早弾きをまき散らす。フルートの音は痩せていて弱々しく、あってもなくても
どちらでもいいような感じだ。ヴォーカルに至ってはおばさんのカラオケの域を出ていない。個々の要素を客観的に見れば、そういう感じだ。
にもかかわらず、それらが総体として集まった結果、不思議な爽快感へと昇華されているのだ。個々の弱点みたいなものが良い方へと裏返って、
なぜかさほど目立たない。これが不思議なのだ。
全編がエレピで統一されていることが直接の要因ではある。この音の輪郭の曖昧な楽器が、濁って混迷した泥臭さをうまくコーティングしているし、
フルートの音色や女性の声質が柔らかく優しい雰囲気で全体を中和していることもある。この音楽の核になっている70年代的蒸し暑苦しさと、
それらとは真逆の芳香を放つ優美さを対峙させることで、何かそれまでにはなかった新しい独特のものが奇跡的に出来上がっている。
チックがどこまで意識的に仕掛けたことなのかはよくわからないけれど、この音楽の中核に隠れている泥臭さが何より重要なのは間違いない。
これがなければ、ただの表層的な娯楽的音楽で終わっていただろう。
録音はニューヨークのスタジオで、通常のECMの冷たく澄んだ音質とは異なる。薄霞がほんのりとかかったようなところがあり、そのサウンドは
ちょっと独特な質感がある。こういうところもECMの他のアルバムとは距離を置いたユニークさがある。
チックはキース同様、美しいメロディーを書く人だが、彼の美メロはいつもその全容が披露されず、フレーズの大波に揉まれる中でチラリとしか
その姿の一部を見せないもどかしさがある。そういうところはモーツァルトなんかとよく似ていて、それが聴き手の興味をより掻き立てることにも
繋がっているけれど、このアルバムでもそういうところがとても顕著だ。
そういう様々な要素が重なり合って、このアルバムは出来上がっている。そして、ただの爽やかな音楽ではないなと意識の水面下ではぼんやりと
感じさせながらも、そういう実際の複雑さを聴き手に必要以上に考えさせないように聴かせるところに、このアルバムが大ヒット作となった所以が
あるのだろう。無軌道に崩壊したジャズ界に突如現れた、という時代背景だけでこのアルバムの魅力を語るのは不十分。ジャケット写真に映った
カツオドリがなぜカモメに見えるのか、を考えるのは重要なことに思える。