今週もCDの成果はなし。 予想通りとはいえ、常軌を逸した猛暑の中、足を運んだ身としてはつらいものがありました。 ならばレコードは、と覗いて
みましたが、こちらもものの見事に空振りです。 暑さが引くまで猟盤はやめるか、と思ってしまいます。
先週の記事で頂いたコメントでキースのサンベアの話があったので何気なくヤフオクを見ていたら、西独盤が出ていました。 で、冗談半分で安めに
札入れしたら、あっけなく落ちてしまいました、4,000円で・・・・。 そして、あっという間に郵送されて来てしまいました。
なんだか、ECMのレコードの方から笛や太鼓を鳴らしてうちに一方的に押しかけて来るような威圧感です。 まずいなあ、こういうの。
Keith Jarrett / Sun Bear Concerts ( 西独 ECM 1100 )
相場感がさっぱりわかりませんが、それでもおそらく出品された方の想定とは全然違う値段だったんじゃないかと思います。 何だか、申し訳ない。
それにこんなにごついレコードというもの想定外で、思わずたじろいてしまいます。
そうは言ってもやって来たわけなので、気を取り直して、手始めに札幌の演奏を聴いてみました。 ことのきっかけは例のレコーディングエンジニア
問題でしたので、音質チェックが最優先事項です。
結論から言うと、音質は良好です。 まあ、ケルンの音場感には遠く及ばないものの、ECMのブランド価値を毀損することのない、十分な録音です。
セシル・テイラーもせめてこれくらいの録音だったら、と思わずにはいられません。 こうしてみると、やはりエンジニアの手腕よりもレーベルポリシー
の方が上回るということなんだろうと思います。 RVGだって、サヴォイとブルーノートでは音がまったく違います。
ECMとライセンス契約をしていたトリオはECMの新譜を日本で発売する際は、まずテストプレスを作成してECM社へ送り、それをマンフレート・アイヒャーが
実際に聴いて、彼の合格が出るまでは日本での発売が出来なかったと言います。 だから、必要以上に録音技師を神格化することはないんだろうと思います。
この作品は日本での発売のほうが本国よりも早かったし、音質も日本盤のほうが幾分いいらしいので、日本のトリオ盤がオリジナルと言っていいのでは
ないかという話もあるようですが、私はそうは思いません。 発売時期が早かったのは日本でマスターテープが作成されたからだろうし、音のいいほうが
オリジナル、というのは根本的におかしな話です。
10枚組の大作なので、もうすぐやってくる夏休みにじっくり堪能したいと思います。 内容の感想はそれまでおあずけです。
馴染みの新宿や御茶ノ水が空振りだったのでキースのECM盤が他にないかと調べてみると、高田馬場店に "Staircase" の西独盤があることがわかったので、
行ってみました。 ここに行くのは初めてで、特にジャズに力を入れているわけでもない総合ジャンルのこじんまりとした店舗ですが、中はきれいで
清潔感のあるフロアでした。
Keith Jarrett / Staircase ( 西独 ECM 1090/91 )
ケルンの翌年(76年)にスタジオ録音されたソロ。 このレコードを聴いて驚かされるのは録音の良さもさることながら、ピアノの音が綺麗なこと。
ここまで録音がいいと各楽器毎の音の個性が手に取るようにわかりますが、ここで使われているピアノが純度の高い怖ろしく高貴な音で鳴っている
のに耳が奪われます。
楽器を弾く演奏者にとって、楽器そのものが出してくれる音の良し悪しというのは最も大事なことです。 だから、演奏者は常により良い楽器を探す
ものですが、ここまで美しいピアノの音を聴くのはレコードでは初めてです。 一体、どんなピアノだったんでしょう、できれば一度弾いてみたい。
あまりに綺麗な音鳴りなので、キースはメロディーを産み出すことよりも音の響きそのものを追いかけることに夢中になっているような気がします。
だからケルンのようなわかりやすいメロディーを弾くのではなく、粉雪がキラキラと舞うかのように美しいピアノの音が舞うように弾いています。
そのせいか、ジャズピアノというよりもクラシック音楽のような質感で、クラウディオ・アラウのフィリップス録音のような音鳴りです。
以前、キースが弾いたバッハの平均律やモーツァルトのコンチェルトをCDで聴いて「これじゃクラシック音楽とはとても言えないな」と思いましたが、
もう一度(レコードがあるなら、できればレコードで)聴き直してみようかな、と思わせるようなところがあります。
この数週間、奇しくもキースのECM盤をやたらとたくさん聴くハメになってしまいました。 私はキースの「自分は創造の神の神託の受け皿だ」とか
言うようなところがどうも好きにはなれないのですが、それでもこの録音の優秀さでその名を轟かすレーベルと稀代の演奏家のレコードは、
ピアノという楽器とその周辺にまつわるいろんなことを久し振りにあれこれ考えさせてくれるものでした。
みましたが、こちらもものの見事に空振りです。 暑さが引くまで猟盤はやめるか、と思ってしまいます。
先週の記事で頂いたコメントでキースのサンベアの話があったので何気なくヤフオクを見ていたら、西独盤が出ていました。 で、冗談半分で安めに
札入れしたら、あっけなく落ちてしまいました、4,000円で・・・・。 そして、あっという間に郵送されて来てしまいました。
なんだか、ECMのレコードの方から笛や太鼓を鳴らしてうちに一方的に押しかけて来るような威圧感です。 まずいなあ、こういうの。
Keith Jarrett / Sun Bear Concerts ( 西独 ECM 1100 )
相場感がさっぱりわかりませんが、それでもおそらく出品された方の想定とは全然違う値段だったんじゃないかと思います。 何だか、申し訳ない。
それにこんなにごついレコードというもの想定外で、思わずたじろいてしまいます。
そうは言ってもやって来たわけなので、気を取り直して、手始めに札幌の演奏を聴いてみました。 ことのきっかけは例のレコーディングエンジニア
問題でしたので、音質チェックが最優先事項です。
結論から言うと、音質は良好です。 まあ、ケルンの音場感には遠く及ばないものの、ECMのブランド価値を毀損することのない、十分な録音です。
セシル・テイラーもせめてこれくらいの録音だったら、と思わずにはいられません。 こうしてみると、やはりエンジニアの手腕よりもレーベルポリシー
の方が上回るということなんだろうと思います。 RVGだって、サヴォイとブルーノートでは音がまったく違います。
ECMとライセンス契約をしていたトリオはECMの新譜を日本で発売する際は、まずテストプレスを作成してECM社へ送り、それをマンフレート・アイヒャーが
実際に聴いて、彼の合格が出るまでは日本での発売が出来なかったと言います。 だから、必要以上に録音技師を神格化することはないんだろうと思います。
この作品は日本での発売のほうが本国よりも早かったし、音質も日本盤のほうが幾分いいらしいので、日本のトリオ盤がオリジナルと言っていいのでは
ないかという話もあるようですが、私はそうは思いません。 発売時期が早かったのは日本でマスターテープが作成されたからだろうし、音のいいほうが
オリジナル、というのは根本的におかしな話です。
10枚組の大作なので、もうすぐやってくる夏休みにじっくり堪能したいと思います。 内容の感想はそれまでおあずけです。
馴染みの新宿や御茶ノ水が空振りだったのでキースのECM盤が他にないかと調べてみると、高田馬場店に "Staircase" の西独盤があることがわかったので、
行ってみました。 ここに行くのは初めてで、特にジャズに力を入れているわけでもない総合ジャンルのこじんまりとした店舗ですが、中はきれいで
清潔感のあるフロアでした。
Keith Jarrett / Staircase ( 西独 ECM 1090/91 )
ケルンの翌年(76年)にスタジオ録音されたソロ。 このレコードを聴いて驚かされるのは録音の良さもさることながら、ピアノの音が綺麗なこと。
ここまで録音がいいと各楽器毎の音の個性が手に取るようにわかりますが、ここで使われているピアノが純度の高い怖ろしく高貴な音で鳴っている
のに耳が奪われます。
楽器を弾く演奏者にとって、楽器そのものが出してくれる音の良し悪しというのは最も大事なことです。 だから、演奏者は常により良い楽器を探す
ものですが、ここまで美しいピアノの音を聴くのはレコードでは初めてです。 一体、どんなピアノだったんでしょう、できれば一度弾いてみたい。
あまりに綺麗な音鳴りなので、キースはメロディーを産み出すことよりも音の響きそのものを追いかけることに夢中になっているような気がします。
だからケルンのようなわかりやすいメロディーを弾くのではなく、粉雪がキラキラと舞うかのように美しいピアノの音が舞うように弾いています。
そのせいか、ジャズピアノというよりもクラシック音楽のような質感で、クラウディオ・アラウのフィリップス録音のような音鳴りです。
以前、キースが弾いたバッハの平均律やモーツァルトのコンチェルトをCDで聴いて「これじゃクラシック音楽とはとても言えないな」と思いましたが、
もう一度(レコードがあるなら、できればレコードで)聴き直してみようかな、と思わせるようなところがあります。
この数週間、奇しくもキースのECM盤をやたらとたくさん聴くハメになってしまいました。 私はキースの「自分は創造の神の神託の受け皿だ」とか
言うようなところがどうも好きにはなれないのですが、それでもこの録音の優秀さでその名を轟かすレーベルと稀代の演奏家のレコードは、
ピアノという楽器とその周辺にまつわるいろんなことを久し振りにあれこれ考えさせてくれるものでした。