廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

寄り道としてのシューベルト(4)

2021年02月20日 | Classical

Zhu Xiao-Mei / F. Schubert Piano Sonata No.23 D.960, L. V. Beethoven Piano Sonata No.32 Op.111  ( オーストリア Mirare MIR 157 )


シュ・シャオメイは日本ではバッハ弾きという程度の認知しかされていないだろうが、こうやってシューベルトやベートーヴェンも録音している。
どちらもそれぞれの生涯最後のピアノ・ソナタを取り上げた、いわばコンセプト・アルバム。シューベルトは第23番という表記になっているが、
一般には第21番ということになっているD.960のことである。先にも述べた通り、シューベルトの作品は現在もまだ研究中なのだ。

1949年に上海で生まれた彼女は文化革命時代の抑圧された生活から逃れるために欧州へ渡り、以降はフランスを中心にして活動している。
もう70歳を過ぎているのでリタイアしているだろうが、セーヌ川の畔にあるコンセルヴァトワール・ド・パリで長年教鞭を取っていた。

クラシックのピアニストは、コンサート・ピアニストとして世界を股にかけて飛び回るタイプと、音楽院で教師をしながらたまに請われて
コンサートを開いたり録音をしたりするタイプに分かれる。前者は人に聴かせるための派手なピアノを弾くし、後者は内面を見つめるような
演奏をする人が多い。彼女の演奏もアーティキュレーションは控え目で、作曲家や自身の内面を掘り下げていく。

シューベルトの曲を演奏して聴かせるということよりは、この曲を通して自分の想いを吐露しているかのような演奏で、それがいい塩梅で
バランスされている。こういう雰囲気でこの曲が弾かれた例はあまりなく、そこにこの演奏の価値がある。シューベルトのピアノ・ソナタを
覚えようとして聴くと上手くは馴染めないかもしれない。この曲を十分熟知した人が聴いて、その素晴らしさが身に染みるような演奏で、
そういう意味では聴く人を選ぶ作品かもしれない。

彼女のバッハもそういうタイプの演奏で、いわゆるバッハの雰囲気は希薄。そういうのを期待すると、肩透かしを喰らうだろう。
彼女は聴き手をかなりふるいにかけて落とし、何とか残った人だけに向けて語りかけてくる。



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