
猫好きの私は、絵の中に猫がいるとそれだけでうれしい~っ!猫そのものを描いた作品も楽しいけど、さりげなくちょこんと座っている猫、くるっと丸まっている猫、べ~と伸びきっている猫、どんな猫も大好き!
猫が大好きな画家といえば、藤田嗣治がいます。1886年11月27日東京に生まれた藤田は、子供の頃から絵を描き、1905年東京美術学校(東京藝大)に入学。1913年念願のフランス・パリに渡りモンパルナスに住みます。隣人にはモディリアーニがいました。
後の“エコール・ド・パリ”(パリ派)のメンバー、ピカソ、アンリ・ルソー、モイズ・キスリングらと交流。日本の洋画を学んで来た藤田は、パリで絵画の自由奔放さに衝撃を受け、それまでの作風をすべて捨ててしまいます。
そこから生まれた藤田の作品は、繊細な筆致と“すばらしき乳白色”といわれた裸婦によって、一躍“エコール・ド・パリ”の寵児となります。第2次世界大戦後の1955年フランス国籍を取得、59年には洗礼を受けレオナール・フジタとなった話はファンには有名ですね。
最近、藤田作品の展覧会がよく見られるようになりましたが、上野の森美術館で開催の「レオナール・フジタ展」は“最初で最後”とあります。なにが最後なのかというと、幻の群像大作が公開なのです。
『ライオンのいる構図』 『犬のいる構図』 『闘争Ⅰ』 『闘争Ⅱ』(すべて1928年)と題されたその作品は、1992年パリ郊外の倉庫から発見されたもの。縦横3mの4枚の作品。そこには“すばらしき乳白色”で描かれた裸体がひしめき合っています。すごい迫力!
作品の中にはもちろん、猫がいます。この連作は、仏エソンヌ県で現在建築中の美術館に常設展示されるので、日本での展示は最初で最後なのです。他にも『猫』(36)と題された、水彩と墨でたくさんの猫を描いた屏風も公開されます。わくわく!
藤田の本に、『藤田嗣治画文集 猫の本』(講談社)があります。私の愛蔵書。藤田の猫への愛情がヒシと感じられる本です。お勧め!本展は、出品数約230点!見に行かニャくっちゃ。
猫が大好きな画家といえば、藤田嗣治がいます。1886年11月27日東京に生まれた藤田は、子供の頃から絵を描き、1905年東京美術学校(東京藝大)に入学。1913年念願のフランス・パリに渡りモンパルナスに住みます。隣人にはモディリアーニがいました。
後の“エコール・ド・パリ”(パリ派)のメンバー、ピカソ、アンリ・ルソー、モイズ・キスリングらと交流。日本の洋画を学んで来た藤田は、パリで絵画の自由奔放さに衝撃を受け、それまでの作風をすべて捨ててしまいます。
そこから生まれた藤田の作品は、繊細な筆致と“すばらしき乳白色”といわれた裸婦によって、一躍“エコール・ド・パリ”の寵児となります。第2次世界大戦後の1955年フランス国籍を取得、59年には洗礼を受けレオナール・フジタとなった話はファンには有名ですね。
最近、藤田作品の展覧会がよく見られるようになりましたが、上野の森美術館で開催の「レオナール・フジタ展」は“最初で最後”とあります。なにが最後なのかというと、幻の群像大作が公開なのです。
『ライオンのいる構図』 『犬のいる構図』 『闘争Ⅰ』 『闘争Ⅱ』(すべて1928年)と題されたその作品は、1992年パリ郊外の倉庫から発見されたもの。縦横3mの4枚の作品。そこには“すばらしき乳白色”で描かれた裸体がひしめき合っています。すごい迫力!
作品の中にはもちろん、猫がいます。この連作は、仏エソンヌ県で現在建築中の美術館に常設展示されるので、日本での展示は最初で最後なのです。他にも『猫』(36)と題された、水彩と墨でたくさんの猫を描いた屏風も公開されます。わくわく!
藤田の本に、『藤田嗣治画文集 猫の本』(講談社)があります。私の愛蔵書。藤田の猫への愛情がヒシと感じられる本です。お勧め!本展は、出品数約230点!見に行かニャくっちゃ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます