六本木の国立新美術館で、6月から開催される“ワシントンナショナルギャラリー展”。絶対、見に行かねば。ところで、ここでワシントンナショナルギャラリーについてお勉強。
アメリカのワシントンD.C.にある美術館で、ナショナル・ギャラリー・オブ・アートと言います。1937年銀行家アンドリュー・メロンが創設資金と個人のコレクションを寄贈し、1941年に完成しました。
創設者のアンドリュー・メロン(1855~1937)は、1890年代末には実業家として成功を収め、1913年メロン工業研究所(現カーネギー・メロン大学)を設立。後に財務長官、英国大使を務めました。
他にサミュエル・H・クルス(1863~1955)は、元ペンシルベニア州の教師で日用雑貨店を開業し成功を収めました。弟のラッシュ・H・クルス(1877~1963)も協力しています。
ピーター・A・B・ワイドナー(1834~71915)は、フィラデルフィア近郊で北軍に食肉を供給して得た利益を公共交通機関に投資して財を築き、息子のジョセフ・H・ワイドナー(1872~1943)に引き継ぎます。
レッシング・J・ローゼンヴァルト((1891~1979)は、シカゴの実業家で父の後を継ぎ“シアーズ”の会長を務めました。チェスター・デール(1883~1962)は、NY株式市場で働き、債券などで財を成します。
エルサ・メロン・ブルース(1901~69)は、アンドリューの長女。ポール・メロン(1907~99)は、長男。いずれも美術品のコレクターだったり、各人の基金に係わったりしています。
こうした市民による寄贈から成り立つ“ワシントンナショナルギャラリー”。今回の展覧会には夢のような作品たちが来日します!ポスターはマネの『鉄道』(1873)、日本でも人気のゴッホの『自画像』(1889)
セザンヌの『赤いチョッキの少年』(1888~90)、ドガの『舞台裏の踊り子』(1876~83)、ルノワールの『モネ夫人とその息子』(1874)、ピサロの『カルーゼル広場、パリ』(1900)
ゴーギャンの『ブルターニュの踊る少女たち、ポン=タヴェン』(1888)、ロートレックの『アンバサドゥールの粋な人々』(1893)、モネ『ヴェトゥイユの画家の庭』(1880)…印象派ファンは、必見!
アメリカのワシントンD.C.にある美術館で、ナショナル・ギャラリー・オブ・アートと言います。1937年銀行家アンドリュー・メロンが創設資金と個人のコレクションを寄贈し、1941年に完成しました。
創設者のアンドリュー・メロン(1855~1937)は、1890年代末には実業家として成功を収め、1913年メロン工業研究所(現カーネギー・メロン大学)を設立。後に財務長官、英国大使を務めました。
他にサミュエル・H・クルス(1863~1955)は、元ペンシルベニア州の教師で日用雑貨店を開業し成功を収めました。弟のラッシュ・H・クルス(1877~1963)も協力しています。
ピーター・A・B・ワイドナー(1834~71915)は、フィラデルフィア近郊で北軍に食肉を供給して得た利益を公共交通機関に投資して財を築き、息子のジョセフ・H・ワイドナー(1872~1943)に引き継ぎます。
レッシング・J・ローゼンヴァルト((1891~1979)は、シカゴの実業家で父の後を継ぎ“シアーズ”の会長を務めました。チェスター・デール(1883~1962)は、NY株式市場で働き、債券などで財を成します。
エルサ・メロン・ブルース(1901~69)は、アンドリューの長女。ポール・メロン(1907~99)は、長男。いずれも美術品のコレクターだったり、各人の基金に係わったりしています。
こうした市民による寄贈から成り立つ“ワシントンナショナルギャラリー”。今回の展覧会には夢のような作品たちが来日します!ポスターはマネの『鉄道』(1873)、日本でも人気のゴッホの『自画像』(1889)
セザンヌの『赤いチョッキの少年』(1888~90)、ドガの『舞台裏の踊り子』(1876~83)、ルノワールの『モネ夫人とその息子』(1874)、ピサロの『カルーゼル広場、パリ』(1900)
ゴーギャンの『ブルターニュの踊る少女たち、ポン=タヴェン』(1888)、ロートレックの『アンバサドゥールの粋な人々』(1893)、モネ『ヴェトゥイユの画家の庭』(1880)…印象派ファンは、必見!