先日、大宮駅東口と北与野駅前バス乗り場で、顕正会員による顕正新聞配布劇を目撃したとつぶやいた。
もちろん、その目撃証言に噓偽りは無い。
更にもっと先日には、22時40分頃であるにも関わらず、さいたま新都心駅前の高架歩道上(新しくできたホテルメトロポリタン付近)で3名ほどの顕正会員が新聞配布をやっていたのを目撃したくらいだ。
因みにそれに対して、折伏を敢行する法華講員の姿は無かった。
私には、それを行う権限はもう無い。
私のような不規則勤務の仕事をしている者にあっては、そのような顕正会員の街頭折伏に遭遇する機会は結構あるのだが、肝心なのは先輩信徒が規則的な勤務に就いていることが多く、応援を頼めないという点が問題である。
まあ、今となってはどうでも良いことだ。
それにしても、法道院でも三門前や近くの公園まで行ってリーフレット配りとかやってるけど、やっていること自体は顕正会員と大して変わらないというツッコミだ。
いや、別にそれでもいい。
正法にしろ邪法にしろ、それが宗教団体という体で成り立っているのなら、大なり小なり布教活動法が似てしまうのはしょうがないことかもしれない。
で、私が突っ込みたい所は、そういう仕方の無い事情があるにも関わらず、日蓮正宗の街頭折伏は内容の如何に問わず何でもOKで、顕正会員がそれをやろうとすると鬼の首を取ったかのように猛烈非難する一部信徒の言動と行動である。
元が同じなのだから、布教活動法がほぼそっくりになるのは仕方の無いことだろう。
ただそれが、後で警察がやってくるかどうかだろうが。
警察が来る分にはまだ何とかなるかもしれないけど、弁護士さんが来たらどうするんだろうね?
別に、どうもしないって?
まあ、別にいいけど。
香月車楽さんの盲信信徒に対する突っ込みにはスッキリするし、笑いも取らせてもらって面白く読ませて頂いている。
是非とも感想コメントを寄せたいところなのだが、残念なことに香月車楽さんのブログはアメーバにアカウントを持っていないとできないようなのだ。
仕方ないので、いおなずんさんに代わりに投稿をお願いし自分のこのブログに書くしかないというわけである。
ある盲信信徒さんのことを“fool,year!”と呼んでいらっしゃるが、もちろんそれが誰だかの答えは殆どそのブログに書かれている。
確かにFさんのブログも突っ込み所はかなりある。
車楽さんの所のコメントを見る限り、Fさんは所属寺院の御住職も指導に困っているのだとか。
何か、そういうの見たことがあるんだが。
少し昔で言うと、とある宿坊にいた某ひろしさんとかもそうじゃなかったか?
熱心に信仰をすることはけして悪いことではないが、御住職の言うことは聞かないとダメだな。
こんな不良信徒だった私も、少なくとも所属していた頃は、一応お坊さん達の言うことは聞いていたよ。
むしろ、不良信徒の方が素直に聞くかもしれないw
それで、だ。
これは車楽さんも突っ込んでいないかな?
あのFさんのブログ、最後の決め台詞がテンプレートで決まってるでしょ?
その文面だけ見れば、非常に良いことが書いてある。
……あるのだが、もしコメンターさんの言うことが本当であるのなら、ちょっとブーメランというか、残念なことになっているのだ。
いや、御住職が暖かく迎えてくれるっていうけどさ……そりゃ、新願者を暖かく迎えてくれるのは当たり前。
そうじゃなくて、新願者を連れて来た方が「別の意味」で指導される側ってのも変じゃない?
あと、もう1つが……。
Fさん、ツイッターでは自分の所属寺院を明かしている。
でも、ブログでは明かしていないようだ。
にも関わらず、新願候補者に対して個人情報を求め過ぎのような気がする。
そもそも、紹介者になってくれるかもしれない人の所属寺院が分からないってのはあまりにも不親切ではないかと思う。
連絡を寄越して来たら教えてやんよ、というのはちょっと……。
元信徒の私が、日蓮正宗入信希望者に言いたいことがある。
日蓮正宗への入信、お勧めはしないが止めもしない。
気をつけてもらいたいことがいくつかある。
1つは、紹介者をよく見ることだ。
補足として、その紹介者にくっついてきた応援者や随行者がいた場合は、その人達もよく見ておくこと。
私は紹介者たるトチロ〜さんしか見ていなかったばかりに、後で大きな失敗をすることになった。
こう書くと、「『法に依って人に依らざれ』だ!脱落信徒が何言ってやがる!」と反論する人がいるかもしれない。
だが、右も左も分からない新願者に対し、「法の正邪だけを見ろ!人は関係無い!」と言ったところで、相当無理のある論であると私は断言する。
もう1つは、その紹介者になる人がSNSをやっている場合、それをよく精査しておくこと。
コメント欄が荒れている場合はNGだ。
その人の紹介で入ったというだけで、あなたのブログやツイッターも炎上させられるだろう。
また、コメント欄が閉鎖されている場合も警戒が必要。
正しくそれまで荒れていたので慌てて閉鎖したか、或いはもうそれが想定されると本人も自覚しているほど記事の内容が過激なものになっている場合がある。
あとは必要以上に更新頻度が高過ぎる場合も注意。
先輩として育成する気が無い可能性がある。
むしろ更新頻度は低い方がいいかもしれない。
因みに法道院の紹介者は全く更新していなかったが、それはただ単に仕事が忙しいだけで、教化子たる私の相手すらもままならない状態であった。
それが良いのか悪いのか、判断するのは個人個人になるだろう。
因みに、私は悪い方だと思っているが……せめて素朴な疑問にくらいすぐ答えては欲しかったな。
あとは……絶対にお勧めできないのが、SNSで布教活動を大々的にやっておきながら、何故か自分の所属寺院は明かしていない場合かな。
こう書くと、先述のFさんなどのアメブロ系がそうだろうと思われるだろうが、その元祖たるものが“あっつぁブログ”の面々なんだけどね。
彼らは妙観講員ではないよ。
もちろん、あのお祭り騒ぎに便乗した妙観講員も多数いただろうけど。
妙観講ではない別の宿坊の人達さ。
真相を知ったら、嫌になるよ。
法華講という組織が。
……話が逸れてしまった。
お勧めはしないけれども、妙観講やそういった宿坊に所属するのもまた縁だ。
そこに関しては、私は止めない。
要は、自分のSNS運営方法が明らかに所属寺院に迷惑の掛かるやり方だと既に自覚しているから、明かしたくないんでしょ。
本人に面と向かって聞くと、「所属寺院に迷惑を掛けたくないから」と大抵は答える。
でもその答えはおかしい。
もし自分のやっていることが後で正しいことだと証明されるという自信があるのならば、ここは1つ、汚れ役になってでも布教の道を進もうとするだろう。
それができないということは……つまり、そういうことだ。
そういう人の紹介で入りたいと思うかい?私は嫌だね。
面と向かって聞けば否定するだろうけど、折伏を自分の幸福の肥やしとくらいしか考えていないんじゃないかな。
もちろん、それで折伏される側も一緒に幸せになれるという保証付きなら肥やしでも何でもいいだろう。
だけど、入信してから余計な苦労をさせられる、いきなりハードモードをプレイする気があるのなら……だよ。
私は初見プレイは、イージーモードでやってみるタイプだね。
とにかく、このブログを見ている人の中には今後、日蓮正宗に入信する機会のある人がいるだろう。
もう1度言うが、お勧めはしない。
が、止めもしない。
だが、どういう人に紹介されて、どういう支部の寺院に所属するかで、新願者の信仰人生が決まるといっても過言ではない。
いや、ほんとほんと。
例えば妙信講の祖、浅井甚兵衛氏が内山ワカ氏に折伏されなければどうなっていた?
妙信講自体が存在しなかったかもしれない。
池田SGI会長が戸田会長と会わず、小平教学部長にも折伏されていなかったらどうなっていた?
創価学会が今のように大きくなることも無かったかもしれない。
私は最初入った所では人に恵まれず、次に入った所では組織に恵まれなかった。
だから私は、今生ではもう少なくとも日蓮信仰をすることは無いのだと思う。
もちろん、その目撃証言に噓偽りは無い。
更にもっと先日には、22時40分頃であるにも関わらず、さいたま新都心駅前の高架歩道上(新しくできたホテルメトロポリタン付近)で3名ほどの顕正会員が新聞配布をやっていたのを目撃したくらいだ。
因みにそれに対して、折伏を敢行する法華講員の姿は無かった。
私には、それを行う権限はもう無い。
私のような不規則勤務の仕事をしている者にあっては、そのような顕正会員の街頭折伏に遭遇する機会は結構あるのだが、肝心なのは先輩信徒が規則的な勤務に就いていることが多く、応援を頼めないという点が問題である。
まあ、今となってはどうでも良いことだ。
それにしても、法道院でも三門前や近くの公園まで行ってリーフレット配りとかやってるけど、やっていること自体は顕正会員と大して変わらないというツッコミだ。
いや、別にそれでもいい。
正法にしろ邪法にしろ、それが宗教団体という体で成り立っているのなら、大なり小なり布教活動法が似てしまうのはしょうがないことかもしれない。
で、私が突っ込みたい所は、そういう仕方の無い事情があるにも関わらず、日蓮正宗の街頭折伏は内容の如何に問わず何でもOKで、顕正会員がそれをやろうとすると鬼の首を取ったかのように猛烈非難する一部信徒の言動と行動である。
元が同じなのだから、布教活動法がほぼそっくりになるのは仕方の無いことだろう。
ただそれが、後で警察がやってくるかどうかだろうが。
警察が来る分にはまだ何とかなるかもしれないけど、弁護士さんが来たらどうするんだろうね?
別に、どうもしないって?
まあ、別にいいけど。
香月車楽さんの盲信信徒に対する突っ込みにはスッキリするし、笑いも取らせてもらって面白く読ませて頂いている。
是非とも感想コメントを寄せたいところなのだが、残念なことに香月車楽さんのブログはアメーバにアカウントを持っていないとできないようなのだ。
仕方ないので、
ある盲信信徒さんのことを“fool,year!”と呼んでいらっしゃるが、もちろんそれが誰だかの答えは殆どそのブログに書かれている。
確かにFさんのブログも突っ込み所はかなりある。
車楽さんの所のコメントを見る限り、Fさんは所属寺院の御住職も指導に困っているのだとか。
何か、そういうの見たことがあるんだが。
少し昔で言うと、とある宿坊にいた某ひろしさんとかもそうじゃなかったか?
熱心に信仰をすることはけして悪いことではないが、御住職の言うことは聞かないとダメだな。
こんな不良信徒だった私も、少なくとも所属していた頃は、一応お坊さん達の言うことは聞いていたよ。
むしろ、不良信徒の方が素直に聞くかもしれないw
それで、だ。
これは車楽さんも突っ込んでいないかな?
あのFさんのブログ、最後の決め台詞がテンプレートで決まってるでしょ?
その文面だけ見れば、非常に良いことが書いてある。
……あるのだが、もしコメンターさんの言うことが本当であるのなら、ちょっとブーメランというか、残念なことになっているのだ。
いや、御住職が暖かく迎えてくれるっていうけどさ……そりゃ、新願者を暖かく迎えてくれるのは当たり前。
そうじゃなくて、新願者を連れて来た方が「別の意味」で指導される側ってのも変じゃない?
あと、もう1つが……。
Fさん、ツイッターでは自分の所属寺院を明かしている。
でも、ブログでは明かしていないようだ。
にも関わらず、新願候補者に対して個人情報を求め過ぎのような気がする。
そもそも、紹介者になってくれるかもしれない人の所属寺院が分からないってのはあまりにも不親切ではないかと思う。
連絡を寄越して来たら教えてやんよ、というのはちょっと……。
元信徒の私が、日蓮正宗入信希望者に言いたいことがある。
日蓮正宗への入信、お勧めはしないが止めもしない。
気をつけてもらいたいことがいくつかある。
1つは、紹介者をよく見ることだ。
補足として、その紹介者にくっついてきた応援者や随行者がいた場合は、その人達もよく見ておくこと。
私は紹介者たるトチロ〜さんしか見ていなかったばかりに、後で大きな失敗をすることになった。
こう書くと、「『法に依って人に依らざれ』だ!脱落信徒が何言ってやがる!」と反論する人がいるかもしれない。
だが、右も左も分からない新願者に対し、「法の正邪だけを見ろ!人は関係無い!」と言ったところで、相当無理のある論であると私は断言する。
もう1つは、その紹介者になる人がSNSをやっている場合、それをよく精査しておくこと。
コメント欄が荒れている場合はNGだ。
その人の紹介で入ったというだけで、あなたのブログやツイッターも炎上させられるだろう。
また、コメント欄が閉鎖されている場合も警戒が必要。
正しくそれまで荒れていたので慌てて閉鎖したか、或いはもうそれが想定されると本人も自覚しているほど記事の内容が過激なものになっている場合がある。
あとは必要以上に更新頻度が高過ぎる場合も注意。
先輩として育成する気が無い可能性がある。
むしろ更新頻度は低い方がいいかもしれない。
因みに法道院の紹介者は全く更新していなかったが、それはただ単に仕事が忙しいだけで、教化子たる私の相手すらもままならない状態であった。
それが良いのか悪いのか、判断するのは個人個人になるだろう。
因みに、私は悪い方だと思っているが……せめて素朴な疑問にくらいすぐ答えては欲しかったな。
あとは……絶対にお勧めできないのが、SNSで布教活動を大々的にやっておきながら、何故か自分の所属寺院は明かしていない場合かな。
こう書くと、先述のFさんなどのアメブロ系がそうだろうと思われるだろうが、その元祖たるものが“あっつぁブログ”の面々なんだけどね。
彼らは妙観講員ではないよ。
もちろん、あのお祭り騒ぎに便乗した妙観講員も多数いただろうけど。
妙観講ではない別の宿坊の人達さ。
真相を知ったら、嫌になるよ。
法華講という組織が。
……話が逸れてしまった。
お勧めはしないけれども、妙観講やそういった宿坊に所属するのもまた縁だ。
そこに関しては、私は止めない。
要は、自分のSNS運営方法が明らかに所属寺院に迷惑の掛かるやり方だと既に自覚しているから、明かしたくないんでしょ。
本人に面と向かって聞くと、「所属寺院に迷惑を掛けたくないから」と大抵は答える。
でもその答えはおかしい。
もし自分のやっていることが後で正しいことだと証明されるという自信があるのならば、ここは1つ、汚れ役になってでも布教の道を進もうとするだろう。
それができないということは……つまり、そういうことだ。
そういう人の紹介で入りたいと思うかい?私は嫌だね。
面と向かって聞けば否定するだろうけど、折伏を自分の幸福の肥やしとくらいしか考えていないんじゃないかな。
もちろん、それで折伏される側も一緒に幸せになれるという保証付きなら肥やしでも何でもいいだろう。
だけど、入信してから余計な苦労をさせられる、いきなりハードモードをプレイする気があるのなら……だよ。
私は初見プレイは、イージーモードでやってみるタイプだね。
とにかく、このブログを見ている人の中には今後、日蓮正宗に入信する機会のある人がいるだろう。
もう1度言うが、お勧めはしない。
が、止めもしない。
だが、どういう人に紹介されて、どういう支部の寺院に所属するかで、新願者の信仰人生が決まるといっても過言ではない。
いや、ほんとほんと。
例えば妙信講の祖、浅井甚兵衛氏が内山ワカ氏に折伏されなければどうなっていた?
妙信講自体が存在しなかったかもしれない。
池田SGI会長が戸田会長と会わず、小平教学部長にも折伏されていなかったらどうなっていた?
創価学会が今のように大きくなることも無かったかもしれない。
私は最初入った所では人に恵まれず、次に入った所では組織に恵まれなかった。
だから私は、今生ではもう少なくとも日蓮信仰をすることは無いのだと思う。