[2月24日13:50.天候:晴 神奈川県相模原市緑区 JR藤野駅]
私を乗せた中型路線バスが最後のバス停を通過し、相模川に架かる日連大橋を渡る。
そして甲州街道に入った。
この辺りの甲州街道は国道20号線でも、狭くて走りにくい区間と言える。
何とかオレンジ色のセンターラインが引かれている二車線を確保してはいるものの、大型車だとそのセンターラインを踏んでしまうほどに狭い。
例え中型バスとはいえ、対向車線に大型トラックが来たりすると徐行したり、一旦停車しなければならないほどだ。
この辺りはそれでも旧甲州街道が残っていたり、或いは廃道になっていたりする箇所だ。
何が言いたいかというと、こんな低規格な道路でも、江戸時代から存在する旧道と比べれば高規格なのである。
駅前通りに入る丁字路交差点を右折すると、もう藤野駅前である。
駅前広場にはタクシー乗り場も存在する。
〔「ご乗車ありがとうございました。終点、藤野駅前、藤野駅前です。お忘れ物の無いよう、ご注意ください」〕
駅前の広場の中でバスが止まる。
ここで乗客を降ろし、転回してバス停に着けるのだろう。
私は手持ちのPasmoで運賃を支払った。
バスを降りると、冷たい風が私の素肌に当たる。
日に当たれば温かいかと思っていたのだが、風が冷たいので、体感温度は低い。
それとも、山間だからだろうか。
私は急いで駅構内に入っていった。
藤野駅は特急の通過する小さな駅だが、それでも改札口は自動化され、駅員もいる。
再びPasmoを取り出して、コンコースに入った。
ホームは限られた平場に通された線路と線路の間にあるせいか幅は狭い。
その代わり、有効長は長めに確保されている。
〔本日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。今度の2番線の列車は、14時4分発、普通、高尾行きです。この列車は3つドア、6両です。次は、相模湖に止まります〕
列車を待っている間、私はリサにLINEを送った。
この時間はまだ学校だろう。
午後の授業の最中かもしれない。
リサ:「先生、これから帰るの!?」
意外にも早くリサから既読が付き、すぐに返信が返って来た。
私は今、藤野駅のホームにいて、電車を待っている最中だと答えた。
リサ:「東京駅にはいつ着くの!?迎えに行く!」
有り難くも予想通りの答えが返って来た。
しかし、行き先が高尾止まりでは、東京駅にいつ着くのか分からない。
多分ちゃんと高尾駅で東京行きの電車に接続は取られているとは思うが、それがただの快速なのか特快なのか分からないからだ。
高尾から先は電車の本数も両数も多くなるので、その辺りは心配していない。
リサ:「分かったらすぐ教えて!なるべく早い電車に乗ってね!」
とのこと。
ということは、高尾で中央特快に乗ればいいわけだ。
愛原:「分かったから、高橋と一緒に来い。高橋にも伝えてあるから」
と、返した。
〔まもなく2番線に、普通、高尾行きが参ります。危ないですから、黄色い点字ブロックの内側までお下がりください。この列車は3つドア、6両です。次は、相模湖に止まります〕
そんなやり取りをしているうちに、接近放送が流れて来た。
下り方向から中距離電車タイプの6両編成がやってくる。
塗装が違うだけで、かつては宇都宮線や高崎線を走行していた電車だ。
〔ふじの~、藤野~。ご乗車、ありがとうございます。次は、相模湖に止まります〕
前に電車で行った時は、押釦式の半自動ドアだったと思うが、今度は自動でドアが開いた。
ああ、そうか。
前に宮城に行った時もそうだったが、今は新型コロナウィルス対策で、車内の保温よりも換気が優先され、普段から半自動ドアでやっていた線区や区間も、自動ドアでやっているのだった。
〔2番線、ドアが閉まります。ご注意ください〕
車内は全てロングシートだった。
空いているいる青緑色の座席に腰かける。
確か長野県から来た電車だったと思うが、長野からずっとロングシートでは、『18きっぱー』も大変だろう。
私みたいに2区間しか乗らない者は良いが。
ドアが閉まり、ガクンという揺れで電車が走り出した。
アナログチックな走り出し方だが、この211系も元は旧国鉄の車両であることを思い出した。
〔「次は相模湖、相模湖です」〕
ここまで特に体調に変化は無い。
別に熱っぽい感じはしないし、咳が出るということもない。
もちろん、周囲に合わせてマスクはしているが……。
[同日14:17.天候:晴 東京都八王子市高尾町 JR高尾駅]
中央快速線と違い、高尾から西の中央本線はトンネルが断続的に続いた。
そのトンネルの1つに湯の花トンネルというものがあり、これは第二次世界大戦中に米軍戦闘機による機銃掃射が行われたトンネルだという。
米軍の狙いはトンネルそのものではなく、トンネルに逃げ込んだ列車。
トンネルそのものは短く、列車は『頭隠して尻隠さず』の状態となってしまった。
そうなってしまったのは、機関士が『せめて機関車だけでも守らねば』とそこで止まった説と、機銃掃射により架線が断線され、停電でたまたま停車した場所がそこだったという説がある(列車はSLではなく、EL牽引だった)。
トンネルに入り切れなかった客車は集中砲火を浴びて、多くの乗員乗客が死傷し、トンネル付近には慰霊碑が建てられているという。
米軍側の言い分としては、『その列車は多くの軍人達を乗せた軍用列車だと聞いていて、敵の兵士を殺す為に攻撃した』とのことであるが、実際には兵士達が乗った車両は機関車に近い所に連結されていた2等車1両だけであり(つまり、トンネルの中に隠れることができた車両だった)、実際には多く乗っていたのは長野県に疎開する一般人達であった。
とまあ、こんな話を私は思い出していた。
しかし、東京中央学園旧校舎の防空壕の話といい、何だかここ最近は第二次世界大戦の話がまとわりつく。
〔「まもなく終点、高尾、高尾です。到着ホームは3番線。お出口は、右側です。お乗り換えの御案内を申し上げます。中央快速線、八王子、立川、国分寺、三鷹、新宿方面、快速の東京行きは4番線から14時20分の発車です。尚、中野から先へお急ぎのお客様は、その後の中央特快、東京行きをご利用ください。14時31分発、中央特快、東京行きは1番線から発車致します。京王電鉄高尾線ご利用のお客様は、一旦改札口を出てからのお乗り換えとなります。……」〕
フムフム。
すぐに乗り換えできるのはただの快速だが、やっぱり速いのは特快か。
リサの強い要望もあるし、特快に乗り換えるか。
ポイントを渡って、右に左に車体が大きく揺れる。
そして、電車は長旅を終えて高尾駅のホームにゆっくりと入線した。
もっとも、私はほんの一部分を利用させてもらったに過ぎない。
〔たかお~、高尾~。本日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございました。お忘れ物の無いよう、ご注意ください〕
列車がホームに着いてドアが開くと、一斉に乗客達が降り出した。
半分くらいは向かい側に止まっている快速に乗り換えて行く。
地域輸送の普通列車の乗客達だから、せいぜい八王子辺りまで行くのだろう。
私みたいに東京都の東側まで行こうとする人間は、半分以下の人数でしかないのかもしれないし、京王線に乗り換える客もいるだろう。
私はそんなことを考えながら、特快の発車するという1番線に向かった。
尚、その1番線は2番線と同じ島にあるが、2番線側には米軍機から機銃掃射された弾痕が未だに残っているのだという。
別にその2番線が、かつての軍用列車専用ホームだったというわけでもあるまいに……。
私を乗せた中型路線バスが最後のバス停を通過し、相模川に架かる日連大橋を渡る。
そして甲州街道に入った。
この辺りの甲州街道は国道20号線でも、狭くて走りにくい区間と言える。
何とかオレンジ色のセンターラインが引かれている二車線を確保してはいるものの、大型車だとそのセンターラインを踏んでしまうほどに狭い。
例え中型バスとはいえ、対向車線に大型トラックが来たりすると徐行したり、一旦停車しなければならないほどだ。
この辺りはそれでも旧甲州街道が残っていたり、或いは廃道になっていたりする箇所だ。
何が言いたいかというと、こんな低規格な道路でも、江戸時代から存在する旧道と比べれば高規格なのである。
駅前通りに入る丁字路交差点を右折すると、もう藤野駅前である。
駅前広場にはタクシー乗り場も存在する。
〔「ご乗車ありがとうございました。終点、藤野駅前、藤野駅前です。お忘れ物の無いよう、ご注意ください」〕
駅前の広場の中でバスが止まる。
ここで乗客を降ろし、転回してバス停に着けるのだろう。
私は手持ちのPasmoで運賃を支払った。
バスを降りると、冷たい風が私の素肌に当たる。
日に当たれば温かいかと思っていたのだが、風が冷たいので、体感温度は低い。
それとも、山間だからだろうか。
私は急いで駅構内に入っていった。
藤野駅は特急の通過する小さな駅だが、それでも改札口は自動化され、駅員もいる。
再びPasmoを取り出して、コンコースに入った。
ホームは限られた平場に通された線路と線路の間にあるせいか幅は狭い。
その代わり、有効長は長めに確保されている。
〔本日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。今度の2番線の列車は、14時4分発、普通、高尾行きです。この列車は3つドア、6両です。次は、相模湖に止まります〕
列車を待っている間、私はリサにLINEを送った。
この時間はまだ学校だろう。
午後の授業の最中かもしれない。
リサ:「先生、これから帰るの!?」
意外にも早くリサから既読が付き、すぐに返信が返って来た。
私は今、藤野駅のホームにいて、電車を待っている最中だと答えた。
リサ:「東京駅にはいつ着くの!?迎えに行く!」
有り難くも予想通りの答えが返って来た。
しかし、行き先が高尾止まりでは、東京駅にいつ着くのか分からない。
多分ちゃんと高尾駅で東京行きの電車に接続は取られているとは思うが、それがただの快速なのか特快なのか分からないからだ。
高尾から先は電車の本数も両数も多くなるので、その辺りは心配していない。
リサ:「分かったらすぐ教えて!なるべく早い電車に乗ってね!」
とのこと。
ということは、高尾で中央特快に乗ればいいわけだ。
愛原:「分かったから、高橋と一緒に来い。高橋にも伝えてあるから」
と、返した。
〔まもなく2番線に、普通、高尾行きが参ります。危ないですから、黄色い点字ブロックの内側までお下がりください。この列車は3つドア、6両です。次は、相模湖に止まります〕
そんなやり取りをしているうちに、接近放送が流れて来た。
下り方向から中距離電車タイプの6両編成がやってくる。
塗装が違うだけで、かつては宇都宮線や高崎線を走行していた電車だ。
〔ふじの~、藤野~。ご乗車、ありがとうございます。次は、相模湖に止まります〕
前に電車で行った時は、押釦式の半自動ドアだったと思うが、今度は自動でドアが開いた。
ああ、そうか。
前に宮城に行った時もそうだったが、今は新型コロナウィルス対策で、車内の保温よりも換気が優先され、普段から半自動ドアでやっていた線区や区間も、自動ドアでやっているのだった。
〔2番線、ドアが閉まります。ご注意ください〕
車内は全てロングシートだった。
空いているいる青緑色の座席に腰かける。
確か長野県から来た電車だったと思うが、長野からずっとロングシートでは、『18きっぱー』も大変だろう。
私みたいに2区間しか乗らない者は良いが。
ドアが閉まり、ガクンという揺れで電車が走り出した。
アナログチックな走り出し方だが、この211系も元は旧国鉄の車両であることを思い出した。
〔「次は相模湖、相模湖です」〕
ここまで特に体調に変化は無い。
別に熱っぽい感じはしないし、咳が出るということもない。
もちろん、周囲に合わせてマスクはしているが……。
[同日14:17.天候:晴 東京都八王子市高尾町 JR高尾駅]
中央快速線と違い、高尾から西の中央本線はトンネルが断続的に続いた。
そのトンネルの1つに湯の花トンネルというものがあり、これは第二次世界大戦中に米軍戦闘機による機銃掃射が行われたトンネルだという。
米軍の狙いはトンネルそのものではなく、トンネルに逃げ込んだ列車。
トンネルそのものは短く、列車は『頭隠して尻隠さず』の状態となってしまった。
そうなってしまったのは、機関士が『せめて機関車だけでも守らねば』とそこで止まった説と、機銃掃射により架線が断線され、停電でたまたま停車した場所がそこだったという説がある(列車はSLではなく、EL牽引だった)。
トンネルに入り切れなかった客車は集中砲火を浴びて、多くの乗員乗客が死傷し、トンネル付近には慰霊碑が建てられているという。
米軍側の言い分としては、『その列車は多くの軍人達を乗せた軍用列車だと聞いていて、敵の兵士を殺す為に攻撃した』とのことであるが、実際には兵士達が乗った車両は機関車に近い所に連結されていた2等車1両だけであり(つまり、トンネルの中に隠れることができた車両だった)、実際には多く乗っていたのは長野県に疎開する一般人達であった。
とまあ、こんな話を私は思い出していた。
しかし、東京中央学園旧校舎の防空壕の話といい、何だかここ最近は第二次世界大戦の話がまとわりつく。
〔「まもなく終点、高尾、高尾です。到着ホームは3番線。お出口は、右側です。お乗り換えの御案内を申し上げます。中央快速線、八王子、立川、国分寺、三鷹、新宿方面、快速の東京行きは4番線から14時20分の発車です。尚、中野から先へお急ぎのお客様は、その後の中央特快、東京行きをご利用ください。14時31分発、中央特快、東京行きは1番線から発車致します。京王電鉄高尾線ご利用のお客様は、一旦改札口を出てからのお乗り換えとなります。……」〕
フムフム。
すぐに乗り換えできるのはただの快速だが、やっぱり速いのは特快か。
リサの強い要望もあるし、特快に乗り換えるか。
ポイントを渡って、右に左に車体が大きく揺れる。
そして、電車は長旅を終えて高尾駅のホームにゆっくりと入線した。
もっとも、私はほんの一部分を利用させてもらったに過ぎない。
〔たかお~、高尾~。本日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございました。お忘れ物の無いよう、ご注意ください〕
列車がホームに着いてドアが開くと、一斉に乗客達が降り出した。
半分くらいは向かい側に止まっている快速に乗り換えて行く。
地域輸送の普通列車の乗客達だから、せいぜい八王子辺りまで行くのだろう。
私みたいに東京都の東側まで行こうとする人間は、半分以下の人数でしかないのかもしれないし、京王線に乗り換える客もいるだろう。
私はそんなことを考えながら、特快の発車するという1番線に向かった。
尚、その1番線は2番線と同じ島にあるが、2番線側には米軍機から機銃掃射された弾痕が未だに残っているのだという。
別にその2番線が、かつての軍用列車専用ホームだったというわけでもあるまいに……。