学校の夏休みも終盤ですね。
地方によっては、すでに2学期が始まっている。
夏休みの終わりといえば、中高生の皆さんを悩ますものに、
「自由研究」と「読書感想文」がある。
少年だった爺の自由研究は専ら「植物採集」でした。
といっても、2学期開始の数日前から、庭先の雑草を採ってきて、
新聞紙に挟んで重石をして、半乾きのまま提出する。
「読書感想文」の方は、余り困まった記憶がないが、
「猿飛佐助」や「鞍馬天狗」「シャーロックホームズ」
「宝島」「三銃士」では、どんな感想文を書いたか記憶にない。
まともなものでは、中学のときヘッセ「車輪の下」くらいかな。
後年、毎日新聞社で主催している「青少年読書感想文全国コンクール」に多少、関わったことがあり、
毎年指定される「課題図書」について、作者、出版社、教師を巻き込んで、
このコンクールのすごさを知った。
小中高生の最優秀作品には「内閣総理大臣賞」授与、
表彰式には、皇太子が臨席することもあるようでした。
「そうならねばならぬのなら」
須賀敦子全集(河出文庫版)第4巻まで読み終えました。
この第4巻は、書評を中心にした須賀の読書日記であり、
本に夢中になり、知的な糧としてきた本について、
自身にどんな意義と影響が与えられたかを書いています。
巻頭所収の「遠い朝の本たち」で綴られている本をはじめ、
須賀が読んだ本の数、質の高さ、
そして「知・肉」としてきたすごさに圧倒されます。
「読書感想文コンクール」用に読む本との違いは、(比較する質が違いすぎるが)、
読書によって自身の、モノ書き人生を形成して行ったところにあるのでしょうか。
とくに、大西洋を初めて単独飛行した<翼よ、あれがパリの灯だ>のリンドバーグの夫人アン・モロウ・リンドバーグが、
不時着した日本滞在について描いたエッセイに思い入れを込めています。
須賀は「文章が身体の中に吸い込まれていくようだ」「このようなモノ書き」になりたいとも記しています。
さらに、アンが日本語の「さよなら」という言葉について、
<さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、……「そうならねばならぬのなら」という意味だと私は教えられた。なんという美しいあきらめの表現だろう。>
と書いたことについて、須賀は強い感動に包まれます。
また、サン・テグジュペリの「星の王子様」への深い思いも、素敵な一章となっています。
須賀は読書と書物との結びつきを通し、
必然的に「コルシア・ディ・セルヴィ書店」に関わり、
その後の人生と伴侶を決めることになりました。
須賀の著作の中心は「本の思い出」と「人の思い出」が底流となっていることを知った。
昨秋以来、更新してきた<須賀敦子の著作に出会う>は、
この「遠い朝の本たち」でひとまず終わりにしたい
●<須賀敦子の著作に出会う>アーカイブ
須賀敦子の著作に出会う
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<1>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<2>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<3>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<4>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<5>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<1>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<2>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<1>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<2>
須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<3>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<1>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<2>
須賀敦子の著作に出会う「トリエステの坂道」<3>
須賀敦子の著作に出会う「モランディの静物」
須賀敦子の著作に出会う「遠い朝の本たち」<終章>