「絆」――今年一年を表す漢字です。
民主党政権下、政治も経済・財政再建も、人の心も、なにもかも、先の見えない閉塞状態にありました。
そして3月11日に東日本大震災・東電福島原発崩壊による大惨禍。
この国難に無策・迷走する国政に反して、国民の心は一つになりました。
励ましと支援と、そして改めて知ったのは「絆」の強さでした。
絶望から立ち上がる勇気を支える「絆」とは並べようもないものだと、思われましょうが、
今年、私たち(たにしの爺ら)も「絆の再発見」をしました。
秋、紅葉真っ盛りの軽井澤でクラス会がありました。
合併する上田市に移管されるために、私たちは神川中学校の最後の卒業生になりました。
30年代でした。以来、半世紀余の星霜が経ちました。「15の春」を同じ学び舎から離散して、
電化される前の信越線で碓氷峠を越して東京に出た人、嫁いだ人、Uターンした人も……。
また、生地に残り、むらおこし、地域事業に貢献し、要職に付いた人たち……。
それぞれが地域で、職場で、社会で、また航海士として世界の海を職場とした人もいました。
今はそれなりの知己を得て、家族を構成し、繋がりのなかでの人生を歩んでいます。
今年・2011年の春から、幹事団の奔走努力で全同年生の住所名簿を掘り起こしてくれました。
切なくも、鬼籍に入られた級友たちも幾人も居られました。
そして11月8,9日、ほぼ中間点になる軽井澤のホテルに、
郷土在住組みと東京・関東以西在住組み30人が集まりました。
「わたし分かる?」「えっ、誰?」「あっ…ちゃん?」と呼び合えば――
半世紀を超す歳月が一瞬に消える。女性の皆さんとは、旧姓で言われても面影が浮かびません。
それでも名乗りあえば幼馴染の面影がよみがえる。
懇親会では中学時代に、それほど話す機会もなかった方とも話が弾む。
翌日は手配のバスで紅葉の名所・雲場池、晩秋の唐松林、高級別荘地から、
旧中仙道を通り碓氷峠まで。峠では遊覧歩道を散策、影絵のような妙義山をみんなで眺めました。
国道18号に戻り、正面に真っ青な空に浅間山がくっきり見えるお蕎麦屋さんで昼食。
この後、軽井沢駅で解散。まるで修学旅行のような2日間。
長野新幹線上り、しなの鉄道、マイカーでとそれぞれの家路につきました。
「学び舎の友」が集い「郷友」との格別の絆を実感したクラス会でした。
またお会いしましょう。これまでの時間より、これからの時間の方が短いのです。
幹事団の皆さんありがとうございました。
「たにしの爺」自分を含め、一切のプライベートには触れないことにしています。
従って風景のみにして「クラス会の絆」に思いを残して、
今年最後の更新になりました。
一年間、ご来訪された皆さん、ありがとうございました。