たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

「TOKYO街旅」隅田川5橋を渡り歩きました―中

2022-06-29 15:01:12 | 社会見学
令和4年6月29日 異例の速さで「全国的に梅雨明け」です。
6月が終わる。高齢者には命に係わる「酷暑の夏」が始まりました。
前回に続いて、隅田川の5つの橋を歩いた記録を書いています。



「中央大橋」を歩いて佃島に入りました。
開拓漁民によって干拓されれた「佃煮」発祥の地です。
今ではタワービルが林立するウォターフロントですね。



高層タワービルの中を通り抜け「佃公園」の川端に出ました。
「石川島灯台」「住吉水門」「住吉神社」「佃小橋」を回わる。
「佃煮屋さん」も2.3ありましたが休業していました。









③「佃大橋」に上がりました。大きな平らな橋でした。
広い歩道があり、人通りもあまりなくいい感じです。
上流を見れば「中央大橋」とスカイツリーが見えます。





下流を見れば「勝鬨橋」が目に入り、
「水上バス」が往来していました。



橋自体はまさに「道路の延長」といった普通の橋です。
上流下流右岸左岸、眺望は素晴らしいものでした。
右岸は明石町、聖路加ガーデン・ツインタワーが、
ひときわ目立って、目に飛び込んできます。



「佃大橋」を歩き対岸に出ました。明石町です。
「聖路加病院」を中心に歴史的な建造物・遺跡地区です。
花壇やベンチが置かれ、整備された墨田川テラスが続きます



高層ビルを見上げながら「勝鬨橋」の袂の公園に着きました。
「晴海通り」です。通りの向こうは「旧築地お魚市場」です。
「勝鬨橋資料館」に寄り、往時の「跳ね橋」の仕組みを見学。







④番目になる「勝鬨橋」を渡る。
中央の「分かれ部」は隙間になっていて、
大型車が通るたびに波打ちます。
渡り切れば「月島地区」です。



高層タワービルが林立しています。
橋の下に降りて「月島川水門テラス連絡橋」に出ました。
墨田川テラスの遊歩道がこの水門で途切れていたものを、
「連絡橋」で繋いだものです。





素晴らしい川面と橋と対岸がばっちり見えます。
「月島川水門」も「西仲橋」と「連絡橋」からと、
裏表両方見ることが出来ました。




(以下、次回に続く)

「TOKYO街旅」隅田川5橋を渡り歩きました―上

2022-06-27 13:16:33 | 社会見学
令和4年6月27日 今週で1年の半分が終わる。
84歳の誕生日が過ぎたら急に「ガクッと」来た。
左膝の痛みに「ヒアルロン酸」を5回注射した。



「関東甲信」が梅雨明けしたと発表されました。
睡眠障害で気が滅入る「鬱気味の半年であった」
ご近所、道野辺徘徊しても「妄想力」も衰えた。
緑陰の葉擦れを聞きせせらぎの川辺で眠りたい。



たにしの爺さん、「三途の川」ならぬ、
隅田川ウォーターフロントを徘徊しました。
何年も前から念願していた徘徊コースです。



門前仲町駅から永代通りを「永代橋」まで歩く。
下に降りて川沿いに歩き「中央大橋」まで行く。
「中央大橋」を渡り「佃島」に上陸し散策する。



「佃大橋」を渡って明石町側の川沿いを歩く。
「勝鬨橋」の麓まで行き、資料館を見学する。
「勝鬨橋」渡って対岸の「月島水門」を見る。



右手の対岸に「築地市場船着き場跡」を見ながら、
東京五輪に合わせて造った「築地大橋」へ向かう。
隅田川にかかる最も新しい大橋を渡る計画でした。



●5月の連休後に出かけた記録です。
老体の身では流石に、1日では無理でした。
天気も良く風に吹かれて5橋を2日かけて、
渡り歩き、「築地本願寺」がゴールでした。



①まず、「永代橋」へ。
メトロ門前仲町駅からスタートです。
「3番出口」を出るとそこは「永代通り」です。
「江戸情話」人情の街「深川」の中心ですね。
歩道に出ると「テイカカズラ」の甘い香りが漂います。



香りに包まれながら歩きます。
江戸時代から続く繁華な通りです。
史跡の表札も幾つかあります。


門前仲町駅3番出口、渋沢栄一住居跡、佐久間象山邸の跡

「永代橋」袂に来ました。
時代を感じさせる「大きな青い鉄橋」です。
美しいアーチ曲線構造の重量感が圧倒します。





橋の歴史は江戸時代の「大川渡し」が始まりですね。
時代小説の物語には、この渡し(橋)が登場します。
「大川渡り」なしに「江戸の話」は成り立たたない。



橋の両側には、ゆったりした歩道が整備されていて、
安心して川の両岸を見ながら歩くことが出来ました。
橋に入ると眼前には、素晴らしい景観が広がります。
左サイトを見ると青い川面と超高層ビルが林立する、
佃島リバーシティが、圧巻の眺望で目に入ってくる。



橋を渡り切り下に降りる階段がありました。
川辺に沿う「隅田川テラス」新川公園です。
ご近所の住民が管理する花の道が続きます。





次に渡る「中央大橋」の下まで来ました。
そのまま進み亀島川との合流地点にある、
史跡「霊岸島水位観測所」まで来ました。
残念ながら修復中とあって外観だけです。





②「中央大橋へ」--橋の下に戻り、
スロープを上がり橋の上に出ました。
八重洲通りに架かる中央区の「シンボルブリッジ」です。





以下、Webからの紹介です。
2本の角柱が斜めに伸びて塔頂部で接合され、
さらに末広がりに伸びる「A形形式」。
隅田川はパリ・セーヌ川と姉妹関係を結んでおり、
その関係でフランスのデザイン会社が設計しています。





中央橋脚部分には当時のパリ市長ジャック・シラクから、
友好の印として前衛彫刻家オシップ・ザッキン作の彫刻、
『メッセンジャー』(messenger)が配されています。
写真を撮りましたがよくわかりません。





佃島に向かって広い歩道が整備されて、
花壇もあり休憩ベンチもあり、川風が心地よい。
上流を見れば、永代橋の向こうには、
スカイツリーが見えてビューポイントでした。





右手には佃島の先端「石川島公園」パリ広場が広がります。
(以下、次回に続く)

「父の日」プレゼントに”切り身鮭”が泳ぎ寄る

2022-06-19 12:39:50 | 頂き物
令和4年6月19日 今日は「父の日」でした。
顔を合わせると、PCのメンテや何やら、
「面倒っくさい」ことを聞かされるので、
記念日の贈り物だけで、寄り付かない。

今日は「梅雨の晴れ間」と言うべきか。
晴れて、風もあり、気持ち良い日になっている。
「たにしの爺」は塩分控えめを注意されている。
明日は「加齢黄斑変性」の硝子体注射です。



それにしても、世の中、
いろいろ言いたいことばかりだ。

「何一つ不自由なくお育ちした」岸田総理殿。
「新しい資本主義」と声高に言っては見たが、
結局のところ、「資産家階級」の皆さんに、
「資産運用」の勧めでした。運用のリスクなんて犯すはずがない。
「無産階級」にはどうしよもない、まさに「旧資本主義」でした。

領土分捕り、版図拡大に憑りつかれた、
「ロシア」のプーチン殿、
何の罪のない子どもや母や老人を殺傷し、
団らんの家庭や街や文化を破壊して、
国土を広げる「野望」は何ですか。
あなたは21世紀最悪の「殺人鬼」なのです。



あす6月20日は「世界難民の日」だそうです。
誰でも、どこでも、いつでも、安全を求める権利を有する。
まさに「そいうことです」が、
なぜか現に「そいうことに」ならない。



「王冠をいただく頭は安らかに眠ることがない」
シェイクスピア「ヘンリー四世」
権力者も同然です。プーチン殿、習近平殿、金正恩殿、……

「ロシア文学」研究者、奈倉有里さんの本を読んだ

2022-06-10 17:18:48 | 本・読書
令和4年6月10日 「夕暮れに夜明けの歌を」
文学を探しにロシアに行く-奈倉有里さん著。
文豪レフ・トルストイの国で出会ったリアル。



大活字で過去の小説集を「読歴徘徊」している「たにしの爺」
久しぶりに最新刊の「小さい字」の本を2週間かけて読んだ。
「読んだら、何か書いてみる」のが84歳の「ボケ防止」です。
それで、1週間かけて迷文?で「読書感想文」を書いてみた。



なぜ、この本を読む気になったのかというと、
NHKR1で毎週金曜の夜9時5分から放送している、
高橋源一郎センセイがやっている「飛ぶ教室」という、
「読書会」みたいな番組を聴いたからです。



4月22日に取り上げられた本が「夕暮れに夜明けの歌を」でした。
高橋センセイが「グスン」と鼻をすすりながら読んだ箇所がありました。
礒野佑子アシスタントアナが「涙声でしたね」と応えました。



で、課題の『夕暮れに夜明けの歌を』の本は、
いつもの道野辺徘徊の途中に立ち寄る公民館、
併設市図書館の分室で取り寄せていただいた。
2週間ほど経って手に取ることができました。



県内でしたが、かなり離れた市立図書館の蔵書印がありました。
私が最初の読者のような、誰もめくったことがない感じでした。
担当司書さん、お手数をおかけしました。取り寄せありがとう。

肝心の本のレビュー(?)に入る前に、
ぐだぐだ前書きが長くなってしまった。

とてつもなく中身の濃い、自伝エッセー小説とも言うべきか。
「言語の憂愁」に満ちたロシア文学研究者の留学記録でした。





作者の奈倉有里さんは20歳の冬、
マイナス26度のロシア・ペテルブルグ空港にに辿り着いた。
ペテルブルグ大学の語学学校に通う寮生活が始まった。

寮で同室になったぺテルブルグ大学のユーリャが、
ロシアでの最初の友だちになった。
彼女から「言語」を通じてさまざまな、
ロシアでの考え方や暮らし方を学んでゆくのでした。
学校と図書館通いでロシア語漬けの生活を続ける。

奈倉さんはロシアで学究生活を通じて、
大学で、教室で、出合う先生、寮生活で、
さまざまな体験を通じてロシアを体感します。
とくに二人の先生には多大な深い影響を受け、
学究生活の礎になるのでした。

最初の語学学校では、
エレーナ先生の「文学精読」授業が好きになり夢中になってゆく、
個人授業を受ける幸運にも恵まれ、
文学の喜びを知る「言葉の魔法」をかけられてしまう。

エレーナ先生が個人授業中に、
「窓の外には雪が降って、鳥がとまっていたことも、
あなたは絶対に忘れないわ」の一言が、永遠に忘れられない瞬間になった。
エレーナ先生と読んだアレクサンドル・ブロークの詩が、
作者のロシア文学研究の「道しるべ」になった。

  僕は喜びに 向かっていた
  道は夕闇の露を 赤く照らし
  心のなか 息を呑み 歌っていた
  遠い声が 夜明けの歌を……
  心は燃え 声は歌った
  夕暮れに 夜明けの音を響かせながら……
 
本書の表題になっている詩です。
進路の相談で、エレーナ先生から薦められたのが、
モスクワの「ロシア国立ゴーリキー文学大学」だった。
 
モスクワでの大学と研究生活は文字通り、
ロシア文学、詩韻に没頭する日常になった。
「日本からきて勉強しかしない子」という評価が大学中に知れわたる。

ソ連邦崩壊後のロシアを…、
中央集権の強権国家の深い闇を…、
「言語をもって」「身をもって」「知をもって」知ることになります。
ウクライナの今日的状況はすでに内在していた。

文学大学での講義に魅せられていく中で、
もう一人の先生、とんでもない先生に出会う。
アレクセイ・アントーノフ先生です。

「酔いどれ先生の文学研究入門」の章です。
先生は寮に住んでいて、大学構内でしょちゅう酒を飲んで酩酊している。
ところが授業になると顔貌が変わり、別人になる。
講義内容の深さはもちろん、
「先生が話をはじめると、すうーっと教壇に気配を吸いとられるように透明になる。
まるで劇場の幕があがる瞬間だった。
魅了される観客と化した学生は、息を呑んで前を見つめる」

作者は講義をすべてノートに残すべく必死にノートを取る。
「すべての瞬間を心に留めよう」
アントーノフ先生の出会いが、
「ロシア文学研究」の指針になるのだった。

そして先生への想いが、最終章「大切な内緒話」で吐露される。
アントノーフ先生の「批評史」で学んだ研究レポート提出した。
先生は、ほかの生徒には普通にレポートを返してくれたが、
奈倉さんは別の日に呼び出され、
二人だけの教室に入り、先生は鍵を掛けてしまった。

レポートについてまるで、研究者同士のように、
検証と評価を時を忘れて述べるのでした。うれしかった。
先生は不意に、泣きそうな声で「あなたはすぐに発ってしまうんですか」と訊いた。
なんだ。これはいったい、なにが起こっているんだ。
急に胸が苦しくなる。私たちはずいぶんそのまま黙っていた。
「あなたのご活躍を祈っています」とかすれ声で告げて、鍵を開けて外に出してくれた。



「飛ぶ教室」で高橋源一郎センセイが、「グスン」と鼻をすすったのは、
このあたりを読んだときでした。
「聴き逃し」を何回も聴きながら、概要を抜書きしてみました。

高橋センセイ曰く「先生は奈倉さんのこと好きだったと思います。
それでもっと大事なのは、彼女が向かっているものは、
自分が向かっているものでもあったんですね。
それを傷つけることだけは絶対できないと。
教師の愛情っていうのはそういうもんだと思うんです。」

図書館の本には「ブックカバー」が付いていません。
版元のHPでカバーに付けられたのコピーを見ました。
「分断する」言葉ではなく「つなぐ」言葉を求めて。
まさに「文学の役割」を今日的なロシア状況の中で問いかけます。

本書にも記述されていますが、
この時期、トルストイのこの名言を
世界は、改めて肝に銘じることだと思った。

「言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこともできれば、人と人を分断することもできるからだ。言葉は愛のためにも使え、敵意と憎しみのためにも使えるからだ。人と人を分断するような言葉には注意しなさい」レフ・トルストイ


上記の写真は版元の株式会社イースト・プレスのHPから。

長々とお疲れさんでした。
最後まで読んでくださった来訪者の皆さん、
ありがとう。
「たにしの爺」徘徊綴り方でした。