令和3年10月31日 October is over
「秋色たけなは(わ)」秋日好天とか。月並みなフレーズを並べてみました(汗)。
この時期らしい、情緒のある詩情を綴りたいが、ポエジーが出てこない。
大衆文芸・時代劇作家・村上元三の「変化物語」、
大型活字本で読んでいます。「河童将軍」に次いで、
今回は「天狗田楽(てんぐでんがく)」読感です。
鞍馬に棲む木の葉天狗八郎が人間界に興味を持ち、
とくに女性(にょしょう)の仕組みを知りたくて、
まあ、未知な世界を見てみたい、触れたい思いは、
とくに若い天狗としては「止み難い」衝動でした。
人間様に憑依してみたが、
色と欲の渦巻くおぞましさを知って、
散々に、逃げ出したという物語です。
作者によると、天狗には性別がない、ということのようです。
天狗は男女の営み、つまり生殖によって産まれるものではなく、
深山に立ち込める幽遠不可思議な山気から、
しずくのように滴り落ち、いつの間にか形を成すものだという。
八郎のような「木の葉天狗」は、
兜巾(とさん)に篠懸(すずかけ)、嘴は青く鳥に似て、
背には羽を生やし、羽団扇を持っている。
木の葉天狗も修業を積み、年数を経れば、嘴はとれて、
顔は赤くなり、鼻が飛び出し、髪は白くなり、
大天狗と称されて、仙術の奥義に達することができるが、
そこまでの道は厳しく、大天狗までになるものは少ない。
物語の木の葉天狗八郎は、
大天狗様から「こっぴどく叱られた」のです。
鞍馬の大天狗白雷僧正(はくらいそうじょう)、
「お前は、本来なら人間に生まれてくるところを、
間違って、天狗界に迷い込んできた。
もっと修業しないと、人間界に堕落してしまうだろう」と、
厳しく叱責を受け、羽をすぼめて意気消沈していた。
叱責された訳というのは、
他でもない「魔が差した」のです。それは、
八郎天狗の生来の人間界への興味からだった。
この日は鞍馬の火祭の夜のことだった。
杉の梢で人間たちの祭りの騒ぎを見ていたら、
「あん、」とか「いい、」とか「うむん、」とか、
木の根元で人間の男女が、うごめいているではないか、
八郎天狗は何事かと、木から降りて覗き込んだのです。
ああ、これが人間界の「営み」というものか、
目が眩みそうになりながら、覗き込んでいるうちに、
身体が熱くなり、姿を消す隠身の術が薄れて、
天狗の姿が現れてしまった。
びっくりした営み中の男女は仰向けに離れて転がった。
八郎天狗は人間の女の仕掛けはどうなっているかと、
見分し始めたとき、運が悪くというか、
鞍馬山の取り締り担当する山城坊に見つかってしまった。
これが木の葉天狗八郎が、大目玉を食らい、
謹慎処分になった所以でした。
魔が差したとはいえ、八郎天狗は師の「あまりの」叱責に、
それなら「いっそ、人間に堕落してやろう」と心に決めました。
魔王堂に忍び込み、あらゆる天狗の秘法を記した「巻物」から、
変身の奥義を記した――
「迦楼羅秘鍵波羅密法(かるらひけんぱらみっぽう)」を拝借し、
天空に飛び去ったのでした。
人間の姿になった八郎天狗は箱根の山中に立っていた。
姿成りは江戸日本橋の呉服問屋の若旦那となっていた。
八郎天狗が術で化身したわけではなく、
若旦那・丹之助に成り代わっていたのでした。
この呉服問屋伊勢屋の若旦那・丹之助は、
この男、実は箱根の山中で刺客に襲われ、
瀕死の状態になっていところ,
八郎天狗が乗り移ったというわけでした。
この丹之助は訳アリの男で、
放蕩が過ぎて商売に身が入らないので当主の儀兵衛が、
京都へ修業に出していたのでした。
儀兵衛の後妻が悪党で、長男の丹之助を差し置いて、
自腹の子を跡取りにしようとたくらんでいたのです。
丹之介を切ったのは、後妻が差し向けた「間男」でした。
久しぶりに江戸にもどった八郎天狗の丹之助は、
伊勢屋の店先に商いに出るのですが、
訳が分からず、番頭にまかせっきりでした。
ある日、掛け取りを任され集金に出た帰り、
丹之助の馴染みだった女に会い、
人間界の興味津々だった例の営みを初体験する。
手練手管を教えられ、散々楽しんだ後、
集金した金を持って吉原に乗り込んだ。
傾城屋の太夫を相手に思う存分楽しんだ。
さすが天狗の神通力でも「精魂果て」、
八郎天狗は前後不覚の態になった果てに、
(このあたり省略しますが)
木の葉天狗の姿が現れてしまい、
大騒動の捕り物騒ぎになってしまうのでした。
八郎天狗は空に向かって悲鳴を上げた。
ちょうどその時、一陣の風が吹きおろし、
八郎天狗は天空に引き上げられて消えた。
後には丹之助の骸が残っていた。
「天狗は天狗でいればよいのだ。今さら人間ごとき、
つまらぬ輩の仲間入りしてなんとなる。
愚かな真似をして、後悔したであろう」
鞍馬の大僧正白雲坊の小言を八郎天狗は、
泪を流して聞くのでした。
まあ、風刺の効いた「大人の童話」という感じの物語でした。
83歳、老境の徘徊爺には、たわいもなく面白かった。
そう言えば、「女性の天狗」って聞いたことがありませんね。
天狗様について、いろいろ知りたい方は、ここで見てください。
「日本文化研究ブログ」
「たわいもない長文」お付き合いさせてゴメンね。
10月27日から11月9日まで2週間にわたり、
読書週間になっています。
皆さん、SNSを中断して読書しましょう。
「秋色たけなは(わ)」秋日好天とか。月並みなフレーズを並べてみました(汗)。
この時期らしい、情緒のある詩情を綴りたいが、ポエジーが出てこない。
大衆文芸・時代劇作家・村上元三の「変化物語」、
大型活字本で読んでいます。「河童将軍」に次いで、
今回は「天狗田楽(てんぐでんがく)」読感です。
鞍馬に棲む木の葉天狗八郎が人間界に興味を持ち、
とくに女性(にょしょう)の仕組みを知りたくて、
まあ、未知な世界を見てみたい、触れたい思いは、
とくに若い天狗としては「止み難い」衝動でした。
人間様に憑依してみたが、
色と欲の渦巻くおぞましさを知って、
散々に、逃げ出したという物語です。
作者によると、天狗には性別がない、ということのようです。
天狗は男女の営み、つまり生殖によって産まれるものではなく、
深山に立ち込める幽遠不可思議な山気から、
しずくのように滴り落ち、いつの間にか形を成すものだという。
八郎のような「木の葉天狗」は、
兜巾(とさん)に篠懸(すずかけ)、嘴は青く鳥に似て、
背には羽を生やし、羽団扇を持っている。
木の葉天狗も修業を積み、年数を経れば、嘴はとれて、
顔は赤くなり、鼻が飛び出し、髪は白くなり、
大天狗と称されて、仙術の奥義に達することができるが、
そこまでの道は厳しく、大天狗までになるものは少ない。
物語の木の葉天狗八郎は、
大天狗様から「こっぴどく叱られた」のです。
鞍馬の大天狗白雷僧正(はくらいそうじょう)、
「お前は、本来なら人間に生まれてくるところを、
間違って、天狗界に迷い込んできた。
もっと修業しないと、人間界に堕落してしまうだろう」と、
厳しく叱責を受け、羽をすぼめて意気消沈していた。
叱責された訳というのは、
他でもない「魔が差した」のです。それは、
八郎天狗の生来の人間界への興味からだった。
この日は鞍馬の火祭の夜のことだった。
杉の梢で人間たちの祭りの騒ぎを見ていたら、
「あん、」とか「いい、」とか「うむん、」とか、
木の根元で人間の男女が、うごめいているではないか、
八郎天狗は何事かと、木から降りて覗き込んだのです。
ああ、これが人間界の「営み」というものか、
目が眩みそうになりながら、覗き込んでいるうちに、
身体が熱くなり、姿を消す隠身の術が薄れて、
天狗の姿が現れてしまった。
びっくりした営み中の男女は仰向けに離れて転がった。
八郎天狗は人間の女の仕掛けはどうなっているかと、
見分し始めたとき、運が悪くというか、
鞍馬山の取り締り担当する山城坊に見つかってしまった。
これが木の葉天狗八郎が、大目玉を食らい、
謹慎処分になった所以でした。
魔が差したとはいえ、八郎天狗は師の「あまりの」叱責に、
それなら「いっそ、人間に堕落してやろう」と心に決めました。
魔王堂に忍び込み、あらゆる天狗の秘法を記した「巻物」から、
変身の奥義を記した――
「迦楼羅秘鍵波羅密法(かるらひけんぱらみっぽう)」を拝借し、
天空に飛び去ったのでした。
人間の姿になった八郎天狗は箱根の山中に立っていた。
姿成りは江戸日本橋の呉服問屋の若旦那となっていた。
八郎天狗が術で化身したわけではなく、
若旦那・丹之助に成り代わっていたのでした。
この呉服問屋伊勢屋の若旦那・丹之助は、
この男、実は箱根の山中で刺客に襲われ、
瀕死の状態になっていところ,
八郎天狗が乗り移ったというわけでした。
この丹之助は訳アリの男で、
放蕩が過ぎて商売に身が入らないので当主の儀兵衛が、
京都へ修業に出していたのでした。
儀兵衛の後妻が悪党で、長男の丹之助を差し置いて、
自腹の子を跡取りにしようとたくらんでいたのです。
丹之介を切ったのは、後妻が差し向けた「間男」でした。
久しぶりに江戸にもどった八郎天狗の丹之助は、
伊勢屋の店先に商いに出るのですが、
訳が分からず、番頭にまかせっきりでした。
ある日、掛け取りを任され集金に出た帰り、
丹之助の馴染みだった女に会い、
人間界の興味津々だった例の営みを初体験する。
手練手管を教えられ、散々楽しんだ後、
集金した金を持って吉原に乗り込んだ。
傾城屋の太夫を相手に思う存分楽しんだ。
さすが天狗の神通力でも「精魂果て」、
八郎天狗は前後不覚の態になった果てに、
(このあたり省略しますが)
木の葉天狗の姿が現れてしまい、
大騒動の捕り物騒ぎになってしまうのでした。
八郎天狗は空に向かって悲鳴を上げた。
ちょうどその時、一陣の風が吹きおろし、
八郎天狗は天空に引き上げられて消えた。
後には丹之助の骸が残っていた。
「天狗は天狗でいればよいのだ。今さら人間ごとき、
つまらぬ輩の仲間入りしてなんとなる。
愚かな真似をして、後悔したであろう」
鞍馬の大僧正白雲坊の小言を八郎天狗は、
泪を流して聞くのでした。
まあ、風刺の効いた「大人の童話」という感じの物語でした。
83歳、老境の徘徊爺には、たわいもなく面白かった。
そう言えば、「女性の天狗」って聞いたことがありませんね。
天狗様について、いろいろ知りたい方は、ここで見てください。
「日本文化研究ブログ」
「たわいもない長文」お付き合いさせてゴメンね。
10月27日から11月9日まで2週間にわたり、
読書週間になっています。
皆さん、SNSを中断して読書しましょう。