両国・江戸東京博物館でダ・ヴィンチ「糸巻きの聖母」を見た後、
お茶の水駅の聖橋(ひじりばし)に来ました。
橋の両側に東京復活大聖堂(ニコライ堂)と湯島聖堂があることから聖橋の名が付いています。
奇しくも一日で「3つの聖」に縁が生じました。
橋の下をJR中央線と総武線、メトロ丸の内線が地上を走る区域です。
さらに神田川も跨いでいるのがアーチの聖橋です。
この駅に降りたのは何年ぶりなのか記憶にありません。
はじめにニコライ堂に行きました。
正式の名は「日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂」という、
ギリシャ正教の教会です。大主教ニコライが1884年から、
7年の歳月をかけて建立したったことから、「ニコライ堂」の名で呼ばれています。
1923(大正12)年の関東大震災で破壊の被害に遭ったが、
聖ニコライの後継者セルギイ府主教と信徒の努力により、
6年間かけて再建し現在に至っているものだという。
日本では数少ないピザンチン様式の建築物で、1962年に国の重要文化財に指定されています。
信者でなくとも拝観時間内でしたら本堂に入ることが出来ます。
清掃・維持管理費として300円の拝観献金が求められます。
その際、黄色いローソクとともに案内書を戴きました。主な記述はその案内書によるものです。
ローソクは大きな蜀台に献灯しました。
聖堂内は荘厳な佇まいで、祈りの祭壇と椅子が並んでいました。
美しいステンドグラスの窓と、なにか祈りの儀式があるらしく、
左奥の空間には花輪が幾つも持ち込まれて準備をしていました。
このニコライ堂には50年近くも前になりますが、
ある女性のことが古い記憶として蘇ります。
それと藤山一郎が歌った「ニコライの鐘」が思い出されます。
一時はNHKのど自慢では定番になっていた歌ですね。
「ニコライの鐘」
♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
♪誰が読んだか 悲しい詩集 / 頁をひらけば 出てきた手紙
恋に破れた 乙女は今宵 / 何を祈るか 暮れ行く空に
ああニコライの 鐘がなる♪
(門田ゆたか作詞、古関裕而作曲)
聖橋を渡ればニコライ堂の鐘の音が聞こえます。
ニコライ堂
「聖橋」まで戻って橋を渡ると、すぐ右に位置するのが「湯島聖堂」です。
「湯島聖堂」は「孔子」を祀った「廟(びょう)」で「孔子の日本での墓」ですね。
「仰高門」境内への門です。
徳川五代将軍綱吉が元禄3年(1690)、儒学の振興を図るため創建した聖堂で、
その後、寛政9年(1797)に、幕府は直轄学校として、「昌平坂学問所」を開設したところです。
いまも幾つかの生涯学習のカリキュラムがあって、受講案内が用意されています。
「入徳門」の階段を上がります。
「杏壇門(きょうだんもん)」をくぐれば、大成殿の庭になります。
「大成殿」が孔子廟の正殿への入り口です。
訪れた日は「孔子像復元研究成果公開」の最中とあって、
普段は閉じられている聖堂が公開されていて、
孔子像の復元図や研究成果を拝見することが出来ました。
(2016年3月5日から21日まで)
普段は中を見ることができないと言うことです。
初めて訪れた場所でしたが荘重な境内には、
大きな孔子像があったり、梅やサクラの樹がありましたが、
サクラはつぼみの状態でした。
湯島聖堂
道を隔てたところが東京の神社総社の神田明神です。
これまで長文になってしまったので、
神田明神にはいろいろ見所がありましたが、写真2枚だけで詳細は略します。
神田明神
参加しているNPO法人の年度末の取材が立て込んで、
ブログ記事が滞って、季節の後追いになっています。