たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

青い芽を吹く柳の風に「春の別れ」の詩歌を……

2021-03-28 10:40:58 | 花とつぶやき
令和3年3月28日 年度末は惜別のシーズンです。
卒業、転勤、引っ越し、なれど「惜別の盃」儘ならず。
「コロナ禍」の春、別れと出会いの宴は御法度です。

卒業パーティー、転勤、新入社員の歓送迎パーティー。
そして桜、――この季節、人集い、飲み、話す。
人はみな、「会食会話」無しには耐えられない。
久しぶりに会えば、気分は高揚します。
「はしゃいだ」後の感染が全国に広がっています。



「はしゃぐ」機会もない、たにしの爺です。
何時もの徘徊逍遥、自然公園のベンチ前に、
柳が芽吹いて春の訪れを告げていました。
「柳」と「惜別」中国の詩人が詠いました。

唐時代の詩人・王維の「送元二使安西」です。
(元二の安西に使ひするを送る)
渭城朝雨浥軽塵
客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人

渭城の朝雨 軽塵をうるおす
客舎青青 柳色新たなり
君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん



(Webからの解説と爺の妄想を加えて要約します)
王維の友人、元二さんが安西に「転勤」になった。
旅立ちの前日に、渭城の旅館で酒を酌み交わします。
親友の旅立ちの朝、旅館の前には、
芽吹いた柳が雨に洗われて、青々と揺れている。

いざ、朝になると別れが一層、名残惜しく切ない。
「最後にもう一杯酌み交わそうではないか」と王維さん。
西の果て、陽関の先には、君には知る人も、
酒を酌み交わす友も居ないだろうから…もう一献いこう。



別離の情念が切々と伝わる詩情光景ですね。
古代中国では柳の枝は別れのシンボルだという。
王維も柳の一枝を友人に渡したのでしょう。

安西、渭城と陽関は西域へ向かう地名です。
習近平政権の中国が「人権弾圧」をしていると、
欧米の民主国家が声を揃えて指弾している、
今の新疆ウイグル自治区です。
井上靖さんの西域小説、敦煌、楼蘭の舞台です。



「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」
「コロナ禍」2年目の春――
花・サクラは何時もと同様に咲きました。
新型コロナ変異株が不気味に伝搬しています。
それはみな、「人の為せる業」ですね。

花咲く陽春――「コロナ居座る」春、日本人の叡智が試される

2021-03-20 15:00:03 | 24節気
令和3年3月20日 きょうは春分の日です。
義理姉さん夫妻の、お墓参りに行って来ました。
こっちには居ないけれど、居るような春彼岸。合掌。



春は黄色い花が多く目に映りますね。
菜の花、スイセン、レンギョウ、ミモザ、タンポポ……
「花の命」は種をつくり子孫を残すことです。
「花粉を運ぶ昆虫」に来てもらわないと困ります。
春に飛ぶ昆虫は「黄色」に敏感だと研究者が言ってます。



けさのNHKマイあさ▽サタデーエッセイ。
解剖学者の養老孟司先生「縁側にて」でした。
昨年の暮に亡くなった愛猫まるとの暮らしを偲び、
「自然と人間」について語りました。



人間の困難(困りごと、災難)が発生するのは、
「自然との境界・接点」で起こっているという。
台風、地震、豪雨…自然発生を、人間にはどうすることもできない。



コロナウィルスだって本来、自然であって、
それを人間の側が何とかしようとするわけで、
非常に面倒なことになっている。

諦めて笑っているか。辛抱して対処するか。
自然を人間の社会システムに対応させることは出来ない。



ネコは不幸せの方に行かない。
まるは、一番居心地のいい場所を知っていて、
日当たりの縁側に寝ていた。



今もその辺に居るかと見回しても、居ないんですね。
だけど居るんですね。今日もネコになって
私もそこに行って寝そべりたいと養老先生。
まるの居ない春、だけど居る春。



以前、蕗のキャラブキを送っていただく、
北関東にお住いの女流歌人さんについて、
ネコちゃんと同じ枕で寝ているとアップしたことがあります。



その猫ちゃん、先に主人を亡くした「形見ネコ」です。
その猫ちゃん、前の主人をどう思ているか分からないが、
引き取った日から、「居心地のいい」場所を見つけて、
すっかり懐いてゴロゴロ。グー。



人間て、いろいろ面倒っ臭いですね。
明日から「緊急事態宣言」解除になります。
花咲く陽春――、
コロナ終息へ「日本人力」が試される。

鳥が止まる「電柱」が面白くなる本――「電柱鳥類学」

2021-03-16 11:07:42 | 本・読書
令和3年3月16日 鳥は電線にどうして止まる??
止まって何をしている? 感電して落ちないの?
この本を読んで、新しい視線の先が増えました。

「たにしの爺」は何もすることなく無為の日々です。
徘徊逍遥が日課で季節の気配とお日様と風が友です。
これからは電柱を見上げるのが楽しくなりそうです。

三上修著「電柱鳥類学」(岩波書店)を読んだ。
「電柱鳥類学」とは鳥類学者の著者が造った「研究フィールド」。
要するに「電柱」と「電線」に止まる鳥を「面白がる」研究です。
そのためには「電柱」と「電線」を良く知らねばなりません。

本書の前半は「電柱と電線の基礎知識」が詳述されます。
街中、里山で見かける電柱、電線、配線や仕組みを、
「口絵」や「図解」入りで解説します。
「へーそうなんだ」「そんな仕組みか」なんて……。



本書を読んでから早速、徘徊の途中、
電柱に注目してみました。写真も撮りました。
鳥が止まっている光景は見られませんでした。
カラスが居た個所がありましたが、飛んで行ってしまいました。
それにしても、住宅街からスズメが居なくなったなー。



鳥たちが「電柱・電線」を棲家にするようになったのは、
日本では明治以降でこの先、電柱の地中化が進めば、
「電線のカラス、スズメ」は見られなくなってしまう。
いま生きている私たちは、貴重な歴史的風景を見ている、
そういう時間の中に居ることに「幸せを感じ」ませんかという。



都会に進出した鳥にとって、電柱は木であり、電線は枝になる。
電線に止まるベストスリーは、季節にもよるが、
スズメ、ムクドリ、ツバメ、ガラスが目に付くという。

電線とは「有線でインフラを引く」ために設置された施設。
電柱の種類、電信柱、電力柱、共用柱で、電線の配線は上から、
架空地線、高圧線、低圧線、通信線、引込線、腕金、碍子、変圧器、
これらの機器を支える「支柱・支線」からなっている。



主に電柱に巣をつくる、巣場所にしている鳥はスズメ、カラス。
電柱の付属物、腕金、変圧器の穴部分を利用するのがスズメ。
巣を載せるのはカラスなど体の大きい鳥で、集めてきた巣材を使う。
金属ハンガーなどがあると、感電して停電になる。

カラスという鳥は居ないという。
「ハシブトカラス(ブト)」はカー!と鳴き。
「ハシボソカラス(ボソ)」はガー!と鳴く。
電柱に巣をつくるのは主にボソで、巣が見えても気にしない。
ブトは巣が見えないように気配りする習性があるようだという。



電力会社は「電柱施設」に巣をつくられないよう、
さまざまな「知恵」を凝らしている。
「腕金の端を塞ぐ金具」、支線に付いている「蔦返し」「ヘビ返し」など、
生き物から電柱を守る構造上の工夫や共存も考慮している、という。



「たにしの爺」の周辺には最近、スズメが居なくなりました。
カラスばかりが目に入ります。
朝ゴミ出しに行けば集積場の近くに止まっています。
夕刻になれば、高圧鉄塔に群れて止まっています。



電線に止まって何をしているのか。???
遊んでいる。景色を眺めている。友だちを待っている。
そして最大の疑問、「鳥は感電」して落ちないのか??
なーでか。

まぁ、本を読んでみて。えっッ「知りたいって」
それはねー、電線が被覆されているから、
鳥の身体は電気を通さないから??です。

岩波 科学ライブラリー
「電柱鳥類学――スズメは何処に止まっている?」
2020年11月25日 弟1刷発行

「3・11」あの日から10年、多くの記録や記憶が語られました

2021-03-12 11:46:31 | Journalism
令和3年3月12日 東日本大震災の記憶。
10年の歳月を経て、語り継がれる未曽有の惨禍。
爺はこれまで「何も支援らしいこと」はしてない。
「黙する」のみと思っていました。

地獄のような状態が幾日も続き、
今も癒えない、帰れない、被災地の方々に比べたら、
何も語ることはあるまいと思っていた。

しかし、昨夜からの
「NHK仙台放送局発のラジオ深夜便」
日が変わって2時台から4時まで、
「あの日~記憶のバトンをつなごう」

全国の視聴者から寄せられた「3・11」に関わる、
自身が遭遇した「そのときの危機」や記憶が、記録が、
読み上げられ、2時間あまり聞き続けました。

九州や四国の方々にも「その時」や「その後」があったのだ。
それを聴いて、「たにしの爺」にも、その日、その後が、
あったことを書いても、いいかなと思うようになりました。


同僚が新橋駅前で撮った写真。津波の映像を見て恐怖を叫ぶポッポ広場の人たち

「3・11と私」長文の記録はPCに入っています。
私はその日、虎ノ門のビルの7階の事務所に居た。
金曜日でした。関わっていた新聞の最終締め切り。

揺れ出して、机上の資料や原稿が飛び散った。
トイレに逃げ込んだが、激しい揺れが続く。
ここで潰されたら誰も助けに来ない。
階段でビルの外に逃げ出した。
揺れるたびに周囲のビルから「悲鳴が」あがる。


徘徊路になっている3キロ以内に5つの神社があります。そのうちの一つです。

夕方5時過ぎ、新橋の印刷所に原稿を歩いて届ける。
新橋駅前は人の波で埋まっていた。JRは全てストップ。
家に帰りついたのは土曜日の昼過ぎでした。

兄弟、子どもたち、親戚縁者の無事を確認しました。
テレビに映される被災地の壊滅的な、痛ましい現状。
東電福島原発「恐怖」の爆発現場を見続けていた。



月曜日からの通勤が「死ぬ思い」になりました。
計画停電、1日数本しか走らない電車。
動いている路線へ日替わりで、早朝から歩いて行く。
帰りは電車が動くまで居酒屋で時間稼ぎの日々でした。



命を削りながら「避難生活」を続ける、
被災地の皆さんに比べたら、微々たる忍耐でした。

あれから10年、今年4月に83歳になるが、
10年前と言えば73歳でした。思えば、
ぎゅう詰め電車で通勤する元気があった。

「たにしの爺」これまで、
何も支援らしいことはしていないのです。



昨日見た番組では、NHKbs1で4時から放映された、
「映像記録 東日本大震災」の3日間のが圧巻であった。

真っ黒な逆巻く津波が街を根こそぎ破壊し、瓦礫と化し、
打ち上げられた船舶、車ともに三陸一帯が、
巨大な洗濯機の中のように渦巻いた記録映像でした。

「津波が来るから非難して下さい」と行政・消防放送。
住民の皆さんは海を眺めて立っている。
ところが凄まじい「波の壁」襲い掛かり、
逃げまどい、車ともども瓦礫の中に飲み込まれていった。

放送を見ていて感じたことは、
「巨大災害」が予知されたら、
「皆さんとか、避難してください」の敬語は不要だと思った。
「早く逃げろ、死ぬぞ」「逃げろ、逃げろ」と叫ぶ方がいいと思った。

おうちで、しいたけ栽培 ワインに合います

2021-03-06 18:58:33 | 頂き物
令和3年3月6日 気配は「啓蟄」ですね。
冬ごもりをしていた虫たちが目覚めて蠢く春めく。
今日は徘徊逍遥中にウグイスの初音を聴きました。


「菌ちゃん」のお家は箱の中です



家ごもりの「爺家」には「椎茸がニョキニョキ」



次男の家族から、
ブログのネタ枯れ時期だろうからと、
椎茸の「菌床栽培キット」が送られれてきた。





配達された化粧箱の中に、
ポリ袋に入った円筒形の「菌床」が入っていた。
このポリ袋、捨ててしまったが、
捨ててはいけなかったことを、後で分かった。



箱に入れた「菌ちゃん」、
朝夕に霧吹きで水分を補給すること10日。
にょっきり、ニョッキリ育ってきました。



密になって生えだしたところは間引き、
傘が開いて、食べごろになった物から収穫。
傘に少し切れ目を入れて、
ピーマンと併せて「炙り椎茸」にします。



椎茸とピーマンの香りが食卓に広がり、
食感は肉厚で、歯応えも柔らかで美味しい。
食前酒に嗜んでいる「白ワイン」とも合いました。



二回目の収穫では「みそ汁」の具にしました。
つるりとした食感で、ノド越しが良かったです。
三回目の収穫は、やはり手軽にできる「炙り椎茸」に。



今は「菌床」を保全培養「休養中」です。
ここで、捨ててしまった「ポリ袋」が必要になる。
二週間ほどしたら再度、育成が始まるそうです。
まあ、椎茸の「啓蟄」待ちというときです。

「森のきのこ倶楽部」を参照してください。