たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

眼科の待合室を見回す

2019-01-31 11:52:30 | Journalism
きょうで平成最後の睦月・1月が終わります。
比較的、暖かい日が続いていましたが、
当地の31日は曇天です。

ブロ友の雨量子さんが「内科医の待合室」という、
面白い観察記録をアップしていましたので、
徘徊たにしの爺もまねして、「眼科の待合室」です。

現在、たにしの爺は「加齢黄斑変性」の治療中です。
昨日の水曜日は月に一度の経過観察の日でした。

病院に着いたのは9時半過ぎでした。
いつもは待合室は一杯ですが、
何故か今日はまばらでした。

十数分ほど待ったところで順番が来ました。
いつも通り眼底、眼圧検査と視力検査があって、
瞳孔を開く点液を差してもらって、しばらく待機。

「OCT」検査になりました。
この「OCT」と言うのは凄いシステムです。
「眼底三次元画像解析検査」と言って、
網膜のむくみや出血の範囲・深さなどが可視化されて、
黄斑部(視覚の最も鋭敏な部分)の状態が分かる。

この検査を待つ間、周りの壁を眺めてみました。
一番目に付いたのは、
「40歳以上になると、緑内障、加齢黄斑変性、白内障、
などのリスクが高まります」の症状の説明と、
早期診察のお勧めの掲示でした。

それと「スマホのやりすぎに注意」でした。
子どもたちがスマホに夢中のイラストが付いています。

「糖尿病からくる目の病気」と言う掲示が目を惹きました。
糖尿病による眼への障害について、写真付きで説明されています。
黄斑変性、緑内障、白内障がより重篤になり、
失明に至るリスクが高まるとされています。

その他当番医の変更とか診療時間の掲示がありました。
主治医さんの診察になり、瞳孔の開いた眼球に、
強い光が当たりレンズ様のもので眼底を覗いて、
「いい状態が続いています」という診断でした。

「この病気は完治することはありません」
「悪化していないか経過を見ていくことが大切です」
「月に一回は見せに来てください」と言われ、
「ハイ、ありがとうございます」

日常的な食生活として油の濃いもんは控え、
ココナッツ油、アマニ油を摂るように勧められています。



写真は備えてあったパンフレットです。
爺には「緑内障」の気はないですが、
パソコンが見られなくなったら、この世は闇になる。



湯島天神さまで、合格祈願の絵馬を奉納

2019-01-26 12:13:26 | 散策の詩

所属している公民館サークル2月度の企画担当班で、
御茶ノ水・ニコライ堂、聖橋を渡って、湯島聖堂へ、
神田明神から湯島天神へ、その先、忍ノ池を巡って、
「駅伝の歴史」スタートの碑の前で解散するコース。
タイムスケジュールとランチ処の下見に行きました。



そんな中で、受験する孫のために湯島天神さまで、
合格祈願の絵馬を奉納しました。
親を赴任国に残したまま、高校受験のために帰国している。
そんな彼のための神頼みをしました。



境内には、志望校を書いた合格祈願の絵馬の山でした。
私の隣のテーブルでも、孫のために絵馬に書き込む、
高齢のご夫妻が居ました。
ちなみにサインペン付きの絵馬は1,000円の奉納費でした。



梅もちらほら咲き出していました。
老弱男女の参拝者で一杯でした。
受験の2月3月、みんな志望校に受かるといいね。



まあ、80歳過ぎてみると、現代の子どもたちの「選択肢」は、
「私たちの時代の選択肢」より何十倍も多彩ですね。



肝心なことは「志・こころざし」をしっかり持っていること。
「志を持って」10年努力すれば、自ずと道は拓ける。
徘徊老人から、受験生への励ましの言葉です。

船橋・海老川の河津桜が早くも、チラチラッと

2019-01-18 10:39:55 | 散策の詩

JR船橋駅のびゅうプラザに行きました。
空いていたので手配はすぐに済みました。

そのまま帰るのも芸がないなと思い、
船橋大神宮に参詣しようと思い立ち、
歩いて行くと東魁楼の前に出ました。





時計は1時少し前、ここでランチにしよう。
昨年の夏、冷やし中華を食しに来て以来になる。
船橋で中華するなら、ここが一番だと思っている。



いつも混んで順番待ちするが、今日は直ぐに案内されました。
海老そばをオーダーしました。上湯のスープを一口「美味い」
細めの麺が絶妙に海老に絡んで満足のお味です。
落ち着いた上級店の雰囲気でいいランチでした。



店を出て左に数分歩くと海老川の橋に出ます。
市の中心部を流れる海老川の土手は、
桜の名所として知られています。



正月以来続いている陽光のせいか、
川面に張り出した枝に、早くも、
寒緋桜のつぼみが解け始めていました。





節分の立春ころにはもっと咲くことでしょう。
海老そばを食し、寒緋桜を見に来ることを、
自分のカレンダーに予約しました。
このあと数分歩いて船橋大神宮に至りました。



<記事と写真追加>
25日に上野に行った帰りに再訪して写真を撮ったので修正しました。
なお、船橋大神宮の写真は前回に訪れたものです。



冬の陽光にロウバイ香る道野辺の徘徊路

2019-01-14 10:12:58 | 花とつぶやき

厳冬期なれば風はいささか冷たい。
なれど冬の陽光は暖かく届きます。



道野辺の徘徊路を辿り自然公園に至る。
ロウバイの枝先には群れる薄黄色の花。





陽の光を照り返し小波が立つ池を巡る。
近くの木に辛夷の花芽が膨らんでいた。




藤沢周平作品「秘太刀馬の骨」を読んだ

2019-01-07 09:31:11 | 本・読書

大活字本で読む時代小説シリーズ、
「隠し剣孤影抄」<上下>に続いて、
藤沢周平作品「秘太刀馬の骨」です。

大派閥の頭領にのし上った小出帯刀は敵も多く、
後ろ暗いことにも手を染めている。

かつて栄華を誇った大派閥の領袖、
望月四郎右衛門隆安が路上で暗殺された。
その暗殺剣が「馬の骨」という秘太刀ではなかったかという。

望月家老の二の舞を恐れる帯刀は江戸から、
甥御で神道無念流免許取りの石橋銀次郎を呼び寄せ、
「馬の骨」の遣い手探査に乗り出す。

その探査の案内人として、
近習頭取に取りたてた浅沼半十郎に命じる。



秘太刀「馬の骨」は不伝流の矢野道場に密かに伝わると噂されている。
門弟のうち一人のみ伝授されているとのという。
編み出し祖父矢野仁八郎、受け継いだ父には、
5人の高弟が居て現存している。

内藤半左衛門58歳、いまなお普請組の外勤を務める。
沖山茂兵衛50歳がらみ、大納戸を束ねている。
北爪兵九郎30歳半ば、御番頭という重職にある。
長坂権平、痩せた兵員方の役人。
飯塚孫之丞28歳、近習組。
矢野家当主の藤蔵、家僕の兼子庄六か。
庭先に稽古場道場を持つ。

銀次郎は半次郎を仲介にして一人ずつ試合を挑み、
「馬の骨」を見極める策をめぐらす。
果たして秘太刀「馬の骨」を受け継いだのは誰か?

それに半十郎には杉江という、
潔癖過ぎて馴染めない小太刀遣いの妻が居る。
銀次郎に振り回される夫を冷たく見守っていたが……



銀次郎は試合で自ら傷つきながら結局、
「馬の骨」を突き止めることはできなかった。
御側御用人の石渡新三郎が帰国し、藩主の国入りも迫っていた。

帯刀は護身役に一人の剣客を傍に置くようになった。
ある夜、帯刀は護身役を伴って、
かつての不正の顛末を知る、
米問屋の元番頭の住む家を訪れようとしていた。

家から黒い人影が走り出た。
庭先から悲鳴が上がり、
護身役が影を追って走り去った。

庭には帯刀が、影を追った護身役が、橋の脇で、
首が骨まで絶たれていた。
現場に来た半十郎、孫之丞らは、一目でわかった。
これが「馬の骨」だ。

果たして遣い手は誰だったのか。
秘剣ミステリーの謎解きは読み手に預けられた。

「秘太刀馬の骨」はオール讀物に、
90年12月号から92年10月号まで断続敵に連載された。
書籍化にあたって一部終章が書き加えられている。

新年4日目は冬薔薇を添えて

2019-01-04 12:22:24 | Journalism
ブロ友の記事にこんな一節がありました。
「認知症予防に必要なのは教育(今日行く)と
教養(今日用)であるとの説があるという。」

なるほど、高齢者になっても、
教育と教養は欠かせないですね。
「好奇高齢者」を任じているたにしの爺。
日ごろ実践しているモットーと同じだ。



人間は、慣れる生き物です。同じような日々を続けていると、
非日常を嫌うようになる。

非日常=変化はエキサイティングだが、
80過ぎの高齢者にとってそれほど、
エキサイティングなことは起きない。

今年は、自分は変わらなくとも、
亥年は激変の予感です。年号も変わる。
政治、経済、社会ともに変化のマグマが膨らんでいる。

消費税も10%になる。参院、統一地方選で政変だ。
2020東京五輪、中止なんてことが起きるかもしれない。
徘徊途中の妄想です。

公園に残っている冬薔薇など愛でて、
今年もここに何回来ることになるだろうか、
などと思いながら、
平成最後の正月、好天の空を見上げる。
何ときれいな空なんだろう。

新春・白雲去来、富士山の思いでスペシャル

2019-01-02 13:02:22 | Journalism
今年の干支はイノシシ「亥年」です。
よく「猪突猛進」と言われますが、80歳を超えている好奇高齢者です。
高浜虚子さんが喝破した名句「去年今年、貫く棒の如きもの」を実感し、
今年も、徘徊を日々とするスローライフに徹していきたいと思います。

昨年の暮れに、意を決して富士山を仰ぎに行ってきました。
感動の時間を撮ってきましたので、フォトチャンネルにまとめました。

新春・白雲去来、富士山の思いでスペシャル



東京駅八重洲南口バスターミナルから、
休暇村富士まで快晴の旅でした。
八重洲南口は高速バスのターミナルです。
全国各地、近郊に向かう大型高速バスが、
次々に発車していきます。

乗るバスは8番乗り場から、東名道、富士宮市を経由し、
休暇村富士の玄関までの直行便です。
3時間20分。片道3,090円。

バスは大手町の高層ビル街から国会議事堂前に出て、
霞が関から首都高に入り、富士山に向け東名を走ります。
席は最前席を確保できましたので視界は絶好調です。
シャッターを忙しく押しますがボケばっかりです。

東名道から降りて、富士宮市役所や富士宮駅、浅間神社、
世界遺産の記念建物などを車窓に見ながら、
富士山が正面に来るようになりました。
白糸の滝を過ぎると、一気に富士山が大きくなりました。

休暇村富士に到着、ロビーからの目の前は田貫湖です。
逆さ富士が湖面にくっきり写り出していました。
初めて見る光景です。
ロビーから外に出て展望テラスに出て、
しばし湖面に映る富士山の姿に見とれました。



周辺の散策道を歩き回りました。
「大沢崩れ」を正面に美しい富士山を堪能しました。
部屋からも湯船からも、
いつも富士山が目の前に迫って魅せます。

朝6時30分、日の出を見に散策しました。
草の原の地面には霜柱がびっしり立っていました。
キャンプをしている人もいました。

冬富士の神々しさが今も目に浮かびます。
今年は日々の徘徊の度に富士を思い出すでしょう。