たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

鎌スタ茶畑で一番茶摘み。カビーも一緒です

2015-05-29 10:08:25 | 鎌スタ

プロ野球北海道日本ハム球団のファームの本拠地「鎌ケ谷スタジアム」
市の南部地区・中沢にあって、地域のコミュニティの場にもなっています。
 ファームのリーグ戦と併せてさまざまなイベントを開催しています。





 この春から、レフトのファウルエリアに「鎌スタ☆茶畑」が出現しました。
その畑で5月27日(水)、楽天イーグル戦の試合開始前の正午過ぎから、
春の「一番茶摘み」体験が行われました。



「鎌オバちゃん」や若い女性ファンら30人が、「ザル」を手に若芽を摘みました。
鎌スタファームのマスコット・カビー君も一緒でした。
「てんぷらにすると美味しいです」などと、
球場の女子職員が新芽を示しながら、指導していました。
たにしの爺も二つ三つ摘んで、カビーのザルに入れてやりました。



同球場関係者によると、次回の「二番茶」摘みは7月4日(土)に開催して、
中学生以下の子どもさんたちに特定して、
「茶摘み体験」をしてもらいたいと話してます。



 水田では稲が育っています「鎌ス田んぼ」
鎌スタの今シーズンのテーマの一つは「食育」です。



4月からライト側ファールエリアに、「鎌ス田んぼ」が出現しています。



「種まき」から始まって、田植えも済んで青々と稲は育っています。
地域やファンの皆様にも見守っていただき、
「鎌スタ米第1号」(仮称)の収穫を楽しみにしてくださいとしています。

 この他、さまざまなイベントが行われています。
「鎌スタ広場で激闘プロレス大会」









「鎌スタ☆ジンギスカンシート」でロッテ戦観戦







「鎌スタ婚活」の集い
船橋の婚活業者による「スタ婚」バーベキュー&プロ野球観戦イベントも、
4月25日(土)の千葉ロッテ戦、5月17日(日)のヤクルト戦の両日、
野球&バーベキューを楽しみながら県内外から応募された男女により、
 パートナーに出会えるチャンスを楽しんでいました。(写真は掲載しません)

善光寺御開帳と戸隠神社へクラス会・喜寿の旅――2

2015-05-26 11:18:37 | 国内旅行

「お朝事」内陣参拝の前日は戸隠神社でした。
たにしの爺としては戸隠高原は2回目になります。



長野新幹線が3月から北陸新幹線になり、
足元もゆったりして、乗り心地も一層良くなった「あさま」で、
5月11日、新装なった善光寺門前駅・長野駅に11時に到着しました。
他の参加者3人も乗っていて改札口で一緒になりました。





車で来た2人の車に分乗して戸隠神社に向かいました。
幾つもの急勾配の坂を曲がるたびに、
眼前に開ける新緑のシャワーに脳内の活性を覚えました。
幾重もの山容を形成する北信5岳の戸隠連峰、
ひときわ突き出て光る日本百名山の高妻山が迫るうちに、
戸隠神社の中心の中社の着きました。



急な石段を登り社殿に参拝しました。
境内は大勢の参拝客で賑わっています。
5月中旬というのに解けきらない大きな雪の塊もあります。
今回、戸隠に足を伸ばしたのは「戸隠蕎麦を戴くこと」でもあります。
門前の有名店・うずら家さんは長蛇の待ち客です。
聞いてみると1時間半だという。それではということで、
地元氏推奨の二葉屋 葉隠さんに入りました。
ちょうどよくお座敷席が空いて座ることが出来ました。



注文したお蕎麦が運ばれてきました。(残念ながら写真なし)
おかみさん曰く「まず最初に塩でお蕎麦を味わってみてください」と、
小さな塩の入った容器を置いていきました。
言われるままに、少々の塩をザル蕎麦の端にかけて食してみました。
素朴だけど、蕎麦そのものの味がしっかり感じられます。
おかみさんが何度も念を押していた理由が分かる気がしました。
このお店、塩振り蕎麦で知られているようです。



このあと、奥社参道入り口の大鳥居まで来ました。
途中まで歩こうということで歩き始めました。
参道の両脇には雪が残っていて、
解け出した地面にはミズバショウやカタクリの花、白い花が咲いています。





赤茶色の隋神門を過ぎると両側は巨木の杉並木が続きます。
ここまできたら奥社まで行くことになりました。
参道は登りに変わってきました。



「この辺で止めておきます」という2人は途中待機になりましたが、
他のみんなは奥社まで行き参拝を済ませました。
心臓ペースメーカーの女性もよく頑張りました。



奥社に上がると戸隠山の蟻之塔渡り、八方睨に連なる鋭い尾根が、
樹間を通して見上げることが出来ます。
「天の岩戸」飛来伝説によるものか神の気配を感じさせる空域でした。



大鳥居に戻り奥社前なおすけの売店で「そばソフトクリーム」など舐めながら駐車場に戻りました。
夕日を受け新緑が美しく映えるバードライン・七曲を経て、
善光寺宿坊「本覚院」に到着したのは4時半過ぎでした。

善光寺御開帳と戸隠神社へクラス会・喜寿の旅――1

2015-05-25 16:10:32 | 国内旅行

われら昭和13年生まれは、軍国教育一色の幼年時代を過ごし、
敗戦の20年4月に神川国民学校に入学、
神川村が上田市と合併したことにより、
29年3月をもって同中学は閉校となりました。
その最後の卒業生が私たちでした。
今年4月から来年3月までは「喜寿年」です。



地元で永年、県行政で活躍された小中高の同級生から、東京・関東在住の同年生らに、
「善光寺御開帳に来ませんか」というお誘いがあり、
宿坊に泊まり「お朝事」に参列する提案がありました。
10人程度ということで早速、手を上げました。
東京・関東から8人、地元から2人で整いました。

5月12日、「お朝事」の朝、宿坊「本覚院」にて――




七年に一度、開かれる「善光寺前立本尊御開帳」。七年前にも参拝しました。
そのときは「回向柱」まで3時間並びました。

宿坊の本覚院には4時半過ぎに入りました。
ご住職をはじめお世話下さる方々のお迎えを受け、2階の大広間に案内されました。
しばらくするとご住職さまがあいさつに現れ、
宿坊での過ごし方と翌朝の段取りについて説明を受けました。



「明日の朝は3時45分に玄関前に支度をして集合してください」と仰いました。
「えっっ、そんなに早いの」私としては5時ごろを想定していました。
これでは「3時起きになる」と思いました。



宿坊にお世話になる真髄は毎朝行われる「お朝事」に、
住職はじめ宿坊専属の公認案内人が付いて参拝することが出来ることです。
「お戒壇めぐり」や「お数珠頂戴」「御印文頂戴」はじめ、
境内の伽藍、史跡などのガイドの役を務めてくれます。
「お朝事」とは、善光寺全山の僧侶が出仕して勤める法要で、
365日欠かさず、日の出とともに本堂で行われています。



翌早朝、4時前に本堂前に着いて、
前立本尊回向柱に心行くまで触れてから、
内陣参拝の席に着いてみて3時45分の訳が納得できました。
厨子の御開帳が真近の正面で拝することが出来る席です。
読経の始まる前に「お戒壇めぐり」も一番に済ませることが出来ました。
暗闇の地下回廊を壁伝いに進み、
ご本尊の真下にある「極楽の錠前」を鳴らすことが出来ました。



「お朝事」が始まりました。
善光寺は天台宗と浄土宗の山内寺院によって護持されているので、
お朝事もそれぞれの宗派の法要が1回ずつ勤められ、
それぞれ30分ずつおよそ1時間です。
御開帳期間中はお朝事で前立本尊様のお厨子が開かれ、夕座法要で閉じられます。
読経と共に鐘と太鼓が鳴り渡り、「前立本尊」の厨子の御開帳が行われました。
続いて大本願のお上人様である副住職鷹司誓栄(尼僧)さまと、
浄土宗の住職によって阿弥陀如来法要が営まれました。



大本願副住職鷹司誓栄さまの透明感のある、
澄んだ読経のお声が、堂内に一段と高まり広がっていきます。

そのあと、本堂の廊下に座して、大本願尼公さまの「お数珠頂戴」を受けました。
頭上を風が通り過ぎるようにに触れていかれました。
あまり実感はありませんでした。
顔を上げると、もう三、四人先に移られていました。
急いでその場を離れ本堂前に回りましたが、
お上人様は回向柱の脇でお数珠を賜っていられました。
そのときの写真がトップの写真です。



このあと、宿坊のご住職さんから、
本堂の造りや境内について説明いただきながら、
宿坊に戻り用意されていた朝餉の膳に座りました。



宿坊を辞去した後、参道を散策、もうひとつの回向柱の立つ、
世尊院(釈迦堂)に回りました。
こちらの回向柱は本堂前の回向柱は(45c角、高さ約10m)に比べ、、
少し小ぶり(30c角、高さ約6m)となっていました。
御本尊は釈迦涅槃像(寝姿)で、回向柱につながっていました。
両方の回向柱に触れることで、
現世(釈迦)と来世(阿弥陀如来)の幸せがかなうとされています。



さらに、御本尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)の功徳が込められた、
3つの御印文の印を額に押していただく御印文頂戴もしていただき、
たにしの爺にとっては身に余る有難い事ずくめでした。
一人で抱えているには、勿体無いことですね。
次回は戸隠神社詣でについて報告します。
上の写真は本覚院の前庭にある阿闍梨池です。

亀戸天神社さま、BIGが14分の10でした

2015-05-17 10:44:09 | 散策の詩

365日大型連休中のたにしの爺にとりましては、
GWは関係なく家内に蟄居していましたが、
用事があって8日に上京しました。
時間が余ったので帰路、亀戸天神社に立ち寄りました。



亀戸天神社は菅原道眞公を奉祀する神社で、
受験生が合格祈願で神様にお願いする神域となっています。
奉納された絵馬がたくさん掛かっていました。



訪れたのは5月8日で、
時期的に藤の花が残っているかとも期待していましたが、
最盛期は過ぎていて、少し残り花が下がっている程度でした。

鳥居をくぐって入ると、
朱塗りの欄干のある太鼓橋が二つありました。
すぐ渡るのが男橋で、続いて女橋となります。
池には沢山の亀がいました。
重なり合って甲羅を干していました。
藤の花は時期を過ぎていましたが、
東京スカイツリーが、
神社の境内から見ることが出来ました。


Webの案内によりますと、
4月下旬から100株以上の藤の花が一斉に咲き始めます。
心字池に写る姿と淡い香りが多くの人々に愛され、
東京一の藤の名所として賑わいを見せます。
一方、夜の境内は静寂の中に灯りにてらしだされた花房が、
心字池のかすかな波に揺れて写る様は幽玄の世界そのものです。


太鼓橋から観るスカイツリーもいいものでした。
売られていた写真にライトアップされた藤棚に紫の花房が下がり、
その隙間に、青紫に彩られたスカイツリーが映し出された写真もあり、
「へーっ、こんな撮り方があるんだ」と感心して帰りました。


帰りに寄ったチョッとレトロな喫茶店の女性曰く、
(シャガールの複製画が掛かっていた)
来年は4月28日に来るといいと言ってくれました。
来年は夜景の藤とスカイツリーに挑戦して、
たにしのブログに公開しようと決心した徘徊の爺です。
請うご期待です。


そして、たにしの爺  ひょっとしたら億万長者になれたかも、
というサプライズな籤を買っていたのです。
駅に戻る途中に宝くじの売り場があって、
毎週1枚(300円)だけ購入している(内心神頼みもありまして)、
totoの高額当せんくじBIGを買っておきました。
結果は14試合中10試合的中の5等でした。(これで2回目当選)
あと4試合的中していれば最高6億円です。
 亀戸が好きになりそう。

花のお寺さん「観音寺」へ行きました。牡丹が見事です

2015-05-11 05:08:42 | 国内旅行

花のお寺です。色とりどりの花が出迎えてくれます。
「ぼたんのお寺」として有名です。



本堂前の花壇で様々な色合いのボタンが咲き誇っています。






広い境内にはボタンだけではなく、みつばつつじ、ハンカチの木、すずらん、シャクヤク、
そして藤棚のお花も同時に咲いていて見事でした。







牡丹以外にもつつじや多種類の花木、そして新緑も眩しく、
四季を通してお花に囲まれている美しいお寺です。






近くには観音寺と並んで西光院(柏市篠籠田)、医王寺(柏市船戸)の2寺も、
お花や由緒ある史跡で知られているそうです。
機会を見て訪ねてみたいと思います。





「千葉県立房総風土記の丘」の初夏スケッチ

2015-05-10 06:06:30 | 国内旅行

「千葉県立房総のむら」の「春のまつり」に行ったことは前回書きました。



ここ「房総風土記の丘」は里山の中にあって、
成田市の「坂田ヶ池総合公園」も隣接していて、
キャンプ場や散策路が整備されていて家族で楽しめます。









「春のまつり」の会場を離れて少し歩き回りました。







明治32年(1899)建造の「旧学習院初等科正堂」



ここまで写真を並べて来て、
あまりの退屈な記録で嫌になりましたので、
サプライズな情報で気分をリセットしてください。

今年は「ロシア文学年」だそうです。



ある国際交流サロンでロシア人女性と話した際、
「ロシア人は本を読まない」と打ち明けてくれました。
トルストイやドストエフスキー、ゴーリキーなど、
文豪の作品は、日本人の方が読んでいる人が多いではないでしょうか、という。
関心はもっぱら「お金」と日本の商品だそうです。
文学に関心が無い理由は知りませんが、
今年は大統領令により2015年が「文学年」と宣言された。

以下は月に一回届く「ロシアNOW」紙5月6日(水)号から、
あまり知られていないトルストイの子孫についての記事を引用して紹介します。

トルストイの子孫たち
 ロシア文学に燦然と輝くレフ・トルストイの家系はロシア最大の貴族の一つだった。現在、文豪の直系子孫だけでも約400人を数える。多くは偉大な祖先の啓蒙文化事業を受け継いで、その姓を名乗っている。(2015年5月6日 アレクサンドラ・グゼワ)

●革命後に多くが移住

 トルストイ自身には13人の子供があり、そのうち4人は幼年期もしくは若年期に他界している。革命後、多くは亡命して世界各地に移り住んだ。トルストイの生前および死後、家族みんなが作家を助け、事実上、その創作に命をささげた。

 妻のソフィヤは「戦争と平和」を何度か書き写し、長女のタチヤーナは1917年、生家の博物館ヤースナヤ・ポリャーナの初代管理人になった。
 真ん中と下の娘であるマリヤとアレクサンドラも作家の助手そして代理人であった。
 長男セルゲイは父親の死後、ヤースナヤ・ポリャーナを博物館として保存するために尽力し、モスクワのトルストイ博物館の事業やトルストイ全集の出版に携わった。 

 トルストイ研究家のパーベル・バシンスキー氏によれば、セルゲイはソ連にとどまった唯一のトルストイの子供だった。彼は、ボリシェビキに敬われていたという。
 その息子のイリヤは16年、トルストイに関する講演のために渡米し、17年には家族を残したまま米国に根を下ろした。、イワン・ブーニンと親交があり、ハリウッドで活躍した。
 イリヤは「アンナ・カレーニナ」や「復活」といった父親の長編を原作とする映画のエキスパートとなり、レフ・トルストイの役を演じたこともあった。

 マリヤは露日戦争に参加した六男アンドレイと同様、革命前に死去した。七男ミハイルは20年に亡命し、長年、トルコ、ユーゴスラビア、フランスで暮らし、モロッコで死去した。アレクサンドラは29年、米国へ亡命した。

●隔年に生家で再会
 サイト「トルストイ一族」の資料によれば、レフ・トルストイと妻ソフィヤの子孫は約400人に上る。
 子孫たちは祖先の遺産の管理人であり、祖先の作品の研究者である。
 作家の玄孫であるウラジーミルは現在、52歳。モスクワ国立大学ジャーナリズム学部を卒業し、祖先の領地ヤースナヤ・ポリャーナにおける不法な森林伐採に関する記事を執筆した。
 94年、当時の文化相はウラジーミルを博物館の館長に任命した。彼は2000年にヤースナヤ・ポリャーナでトルストイの子孫たちが初めて一堂に会する催しを開いた。以後、隔年で同じ集会が催されている。

●電子版全集を無料で
 ロシアでは今年が「文学年」と宣言された。ウラジーミルは「トルストイのすべてをクリック一つで」というプロジェクトの発起人の一人になった。
 書簡や日記を含む90巻のレフ・トルストイ全集がデジタル化されインターネットで無料ダウンロードできるようになった。
 作家の玄孫フォークラ・トルスタヤは自ら責任者を務めたこのプロジェクトについて、こう語る。
 「わが家には印刷された90巻のトルストイ全集がありません。それは、買うこともできません。私たちは、現代の技術の助けを借りて全集の電子版をつくることで、レフ・トルストイの思いをかなえ、彼の作品を誰もが読めるようにしたのです」
(以上引用です)

ロシアNOU

力の誇示に湧く危ない3国
ドイツ戦勝70周年記念日で湧くロシア、軍事パレードで力の誇示を世界に披露しています。
隣りにはこれまた、軍事大国・中国の習近平国家主席が並んでいます。
潜水艦発射型の弾道ミサイルの水中発射実験を行った北朝鮮。
その北朝鮮の金正恩第1書記に、ロシア・プーチン大統領は戦勝記念メダルを贈り、平壌で8日、メダルの伝達式が行われた、という
さあ、日本はどうしたらいいでしょうか、安倍首相さん。
「戦争は絶対にしてはならない」これが「日本の歴史認識」としたいですね。
3国のリーダーに発信しましょう。









初めての黒蝋梅(くろろうばい)

2015-05-08 10:52:06 | 花とつぶやき


【分類】ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木
【学名】Calycanthus floridus var. glaucus
【花期】5~7月、春から夏前にかけて咲く



参加している公民館サークルの新年会の席で、
たにしの爺の撮った花の写真が話題になり、
ちょうどロウバイの咲いている時期でした。





隣席のご婦人から「クロロウバイ」を知っていますかと聞かれ、
見た事がないというと、柏市の某寺にありますよと言う。



5月はじめに咲くというので、連休に行ってきました。
このお寺は「花のお寺さん」として知られていて、
参詣者が訪れていました。
咲きはじめた時期で花とつぼみがたくさんついていました。



北アメリカ原産で花は赤紫色。
アメリカ蠟梅(アメリカロウバイ)、
黒花蠟梅(クロバナロウバ)ともいう。
1~2月に咲く芳香を放つロウバイの花に似て、
黒っぽい花をつけることからこの名がついた。



花言葉は先導、先見、深い慈愛。

「千葉県立房総のむら」の春のまつり

2015-05-07 20:58:46 | 国内旅行

「千葉県立房総のむら」2015年の「春のまつり」に行きました。
同館は「千葉県立房総風土記の丘」にあって、
原始・古代から近代現代までの衣・食・住・技の移り変わりを、
体験することができる参加体験型博物館として知られています。





「商家の町並み」や「武家屋敷・農家」を複数軒再現しています。
復元古墳「龍角寺古墳群第101号古墳」など古墳78基もあります。
風土記の丘資料館の展示室では貴重な出土品を見ることができます。





5月3日~5日に「春のまつり」が開催されました。
民俗芸能や大道芸、昔の遊び体験など、
大勢の子どもから大人まで楽しんでいました。







なかでも、「時代衣裳変身体験」が大人気のようで、
受け付けに大勢並んでいました。









いろいろな体験も楽しめます。











石積みの掘割もあって舟遊びにも行列が出来ていました。



近隣の高校からも参加しています。





広場では青空市やジャズ演奏も華やかに聴かせてくれます。





お付き合い恐縮でした。

コイの季節には青空が似合います。

2015-05-04 09:23:11 | Lyricism

桜の季節とはうって変わって、青空が続いていますね。
コイの季節には青空が似合います。



でも最近、近在の農家の庭先の鯉や幟が少なくなりました。
当地に移ったころは、梨農家の庭先には高い支柱が立って、
何匹もの緋鯉、真鯉、吹流しが五月の空に泳いでいました。
少子化がコイまで失くしてしまったようです。



我が家でも3人の男の子のために毎年出しました。
3人とも出て行って独立した後、
コイは納戸で30数年間眠っていました。



ゴミ出しには偲びがたく、文化施設に差しあげて、
五月の春祭りのイベントの活用していただくことにしました。
今日、それらのコイを見に行ってきました。





風が無くて、泳いでいる姿は見られませんで、
だらしなくぶら下がっているだけで、情けない感じでしたが、
確かに、あれと、これと、マゴイ、ヒゴイ、コゴイと分かりました。



30数年ぶりに仲間たちと、五月の空気を吸っているようでした。
大勢の子どもたちに見てもらいましょう。



5月になりました。皐月ですね。晴れ模様です。徘徊爺は暇模様です。

2015-05-01 10:53:56 | Lyricism
今日の一花草はホタルカズラです。



何時も徘徊する自然公園の池を巡る道脇にひっそり咲いています。
この道の上の山にヒトリシズカが咲いていました。



ホタルカズラの(蛍葛)名前に言われは、
緑の中に鮮やかな瑠璃色の花が咲く様子を、
ホタル(蛍)に例えたことからという。



花言葉:高潔、深い思い、一途な