「遠州山辺の道」のコースガイドを入手したので、早速下見がてら1/3ほどのコースを走って回った。コースガイドはこちらを参照。
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/b6d44b46804ec7c0802f2e8c02530fb9
遠州鉄道の小松駅からスタートするとなると、まずは浜北警察署、運転免許センター方向へ進むことになる。西へ直進し、カルビ一丁とすき屋がある交差点をさらに直進する。道が細くなるところに秋葉山常夜灯と福応寺の看板が見えてくる。
福応寺は臨済宗方広寺派のお寺だ。ここからが「遠州山辺の道」の始まりである。ここからは、車はほとんど通らないいい散歩道となる。北に向かって進むと、内野神明宮が見えてくる。天照皇大神 豊受姫大神 天手力男命 栲幡千千姫命が祀られており、寛永2年(1625)創建といわれている。御神木として樹齢230年という檜がある。
道から少し外れた左側の龍泉院の赤い屋根が見える。さらに直進すると、ニュータウンに上がるコンクリートの急な階段が見えてくるので、そこを上がる。
ここからは、「うちの古墳めぐりコース」となり本ルートから外れた支ルートとなる。せっかくだから古墳めぐりする事とする。先ず最初にあるのが「山の神古墳」である。直径16m、高さ1.8mの円墳だ。名前の由来は、頂上に「山の神」が祭られていたからとの事だ。未発掘なので、被葬者もわからないらしい。推定では、6世紀の後期古墳といわれているそうだ。
次に出会うのは、「稲荷山神社」である。住宅の前を通り抜けるとお稲荷様を祀った神社があり、その奥が「稲荷山古墳」である。稲荷山古墳は、内野古墳群の一員で、直径37m、高さ4.3mの円墳で、5世紀前半に築造されたと推定されている。市内では、3番目に大きい円墳である。
「稲荷山古墳」からコース案内の看板を頼りに進むと、大型ショッピングセンターから上がってきた広い道に出る。その道から左に進むと、「つみいしづか広場」と書かれた案内版が見えてきて、左の道を下がっていく。積石塚とは石で築かれた古墳のことで、たくさんの積石塚がある公園となっている。積石塚は全国的にも数が少なく、県内ではここだけといわれ、国内外の積石塚の類似例などから渡来人の墓ではないかといわれているようだ。
水辺もあって整備された公園を通り抜けると、「赤門上古墳」への案内看板が見えてくる。
このあたりの周遊路にはウッドチップが敷き詰められ、足に優しい道となっている。また近くでは、大きな老人ホームの建設が進んでいる。
案内看板にしたがって市街地を周遊していくと「赤門上古墳」に着く。赤門上古墳は、内野台の舌状にのびる台地の端に築かれた、前方後円墳である。全長は56.3m、高さは4.9mと市内でも最大級の古墳である。古墳の形と副葬品の内容から古墳時代前期(4世紀 約1650年前)に築造された古墳と考えられるそうだ。
うちの古墳めぐりコースは、これで終わりとなり、最初に上がった石段を下り本ルートに戻る。本ルートを北上すると秋葉常夜灯と開墾功記之碑の横を通りぬけ、高架橋の下を進む。
日蓮宗の唯唱山妙蓮寺を通り過ぎると再び秋葉山常夜灯がある。
交差点を横断してさらに直進すると浜北総合体育館前の道路に出る。この先の道路はなくなっているので、右折して最初の交差点から平口の交差点まで直進する。ここから本コースを外れ、用水の手前を左折して万葉の森公園へ向かう坂道を上がる。坂道の上には万葉の森公園の入口があり、中に入ると万葉の時代を思わせる庭園となる。
万葉の森公園は、万葉集に4首収められている浜北ゆかりの歌にちなんで整備された公園で、園内には万葉集で詠われている植物が植えられ、その植物を詠んだ歌が添えられている。
万葉の森公園を散策後、不動寺の境内へと入っていく。最初に見えるのが羽天狗を祀った社である。
不動寺は平口のお不動さんと親しまれており、厄除け身代わり不動やミツバツツジ(ミヤマツツジ)が有名な寺だ。布袋様をはじめ石段の途中右手にある不動稲荷は、別名出世稲荷ともいわれ開運に霊験があるという。また、参道の石段を挟んでの男滝、女滝と竜宮門が緑にはえている。
不動寺の石段を下りると、再び本ルートに合流する。本ルートを北上して行くと、舗装がなくなり、鬱蒼とした竹林の中を進むことになる。
更に進んでいくと、一見道がなくなったように見えるが、ガードレールの切れ間を下りて工場と山の間の人間しか通れない細い道を進むことになる。工場の裏手を進むと小さい石段が上に続いておりそこを上がっていく。舗装道路に出た所が「休兵坂」である。その昔、武田信玄が三方原台地に上がる時、兵を休息させた所と言われている場所である。
「休兵坂」をさらに北進すると「梔池緑地」が見えてくる。付近にグラウンドなどが整備された公園で中央の小島は浜北区の形を示しているらしい。「梔池緑地」からは「野口の辻」に向かうことになるが、今回はここでひとまず帰ることにした。五反田川の橋を渡って浜北西高校方向に戻り家まで走って帰った。
今回は、福応寺バス停から梔池緑地までの本コース5キロと支ルートである「うちの古墳めぐりコース」や万葉の森公園散策を加えた約8.7キロのガイドである。この続きは、近日中に走るつもりであり、その2としてコースガイドを掲載したい。
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/b6d44b46804ec7c0802f2e8c02530fb9
遠州鉄道の小松駅からスタートするとなると、まずは浜北警察署、運転免許センター方向へ進むことになる。西へ直進し、カルビ一丁とすき屋がある交差点をさらに直進する。道が細くなるところに秋葉山常夜灯と福応寺の看板が見えてくる。
福応寺は臨済宗方広寺派のお寺だ。ここからが「遠州山辺の道」の始まりである。ここからは、車はほとんど通らないいい散歩道となる。北に向かって進むと、内野神明宮が見えてくる。天照皇大神 豊受姫大神 天手力男命 栲幡千千姫命が祀られており、寛永2年(1625)創建といわれている。御神木として樹齢230年という檜がある。
道から少し外れた左側の龍泉院の赤い屋根が見える。さらに直進すると、ニュータウンに上がるコンクリートの急な階段が見えてくるので、そこを上がる。
ここからは、「うちの古墳めぐりコース」となり本ルートから外れた支ルートとなる。せっかくだから古墳めぐりする事とする。先ず最初にあるのが「山の神古墳」である。直径16m、高さ1.8mの円墳だ。名前の由来は、頂上に「山の神」が祭られていたからとの事だ。未発掘なので、被葬者もわからないらしい。推定では、6世紀の後期古墳といわれているそうだ。
次に出会うのは、「稲荷山神社」である。住宅の前を通り抜けるとお稲荷様を祀った神社があり、その奥が「稲荷山古墳」である。稲荷山古墳は、内野古墳群の一員で、直径37m、高さ4.3mの円墳で、5世紀前半に築造されたと推定されている。市内では、3番目に大きい円墳である。
「稲荷山古墳」からコース案内の看板を頼りに進むと、大型ショッピングセンターから上がってきた広い道に出る。その道から左に進むと、「つみいしづか広場」と書かれた案内版が見えてきて、左の道を下がっていく。積石塚とは石で築かれた古墳のことで、たくさんの積石塚がある公園となっている。積石塚は全国的にも数が少なく、県内ではここだけといわれ、国内外の積石塚の類似例などから渡来人の墓ではないかといわれているようだ。
水辺もあって整備された公園を通り抜けると、「赤門上古墳」への案内看板が見えてくる。
このあたりの周遊路にはウッドチップが敷き詰められ、足に優しい道となっている。また近くでは、大きな老人ホームの建設が進んでいる。
案内看板にしたがって市街地を周遊していくと「赤門上古墳」に着く。赤門上古墳は、内野台の舌状にのびる台地の端に築かれた、前方後円墳である。全長は56.3m、高さは4.9mと市内でも最大級の古墳である。古墳の形と副葬品の内容から古墳時代前期(4世紀 約1650年前)に築造された古墳と考えられるそうだ。
うちの古墳めぐりコースは、これで終わりとなり、最初に上がった石段を下り本ルートに戻る。本ルートを北上すると秋葉常夜灯と開墾功記之碑の横を通りぬけ、高架橋の下を進む。
日蓮宗の唯唱山妙蓮寺を通り過ぎると再び秋葉山常夜灯がある。
交差点を横断してさらに直進すると浜北総合体育館前の道路に出る。この先の道路はなくなっているので、右折して最初の交差点から平口の交差点まで直進する。ここから本コースを外れ、用水の手前を左折して万葉の森公園へ向かう坂道を上がる。坂道の上には万葉の森公園の入口があり、中に入ると万葉の時代を思わせる庭園となる。
万葉の森公園は、万葉集に4首収められている浜北ゆかりの歌にちなんで整備された公園で、園内には万葉集で詠われている植物が植えられ、その植物を詠んだ歌が添えられている。
万葉の森公園を散策後、不動寺の境内へと入っていく。最初に見えるのが羽天狗を祀った社である。
不動寺は平口のお不動さんと親しまれており、厄除け身代わり不動やミツバツツジ(ミヤマツツジ)が有名な寺だ。布袋様をはじめ石段の途中右手にある不動稲荷は、別名出世稲荷ともいわれ開運に霊験があるという。また、参道の石段を挟んでの男滝、女滝と竜宮門が緑にはえている。
不動寺の石段を下りると、再び本ルートに合流する。本ルートを北上して行くと、舗装がなくなり、鬱蒼とした竹林の中を進むことになる。
更に進んでいくと、一見道がなくなったように見えるが、ガードレールの切れ間を下りて工場と山の間の人間しか通れない細い道を進むことになる。工場の裏手を進むと小さい石段が上に続いておりそこを上がっていく。舗装道路に出た所が「休兵坂」である。その昔、武田信玄が三方原台地に上がる時、兵を休息させた所と言われている場所である。
「休兵坂」をさらに北進すると「梔池緑地」が見えてくる。付近にグラウンドなどが整備された公園で中央の小島は浜北区の形を示しているらしい。「梔池緑地」からは「野口の辻」に向かうことになるが、今回はここでひとまず帰ることにした。五反田川の橋を渡って浜北西高校方向に戻り家まで走って帰った。
今回は、福応寺バス停から梔池緑地までの本コース5キロと支ルートである「うちの古墳めぐりコース」や万葉の森公園散策を加えた約8.7キロのガイドである。この続きは、近日中に走るつもりであり、その2としてコースガイドを掲載したい。