金剛山へは、土曜日の夜から出かけた。大阪府で唯一の村である千早赤坂村の道の駅で明け方まで仮眠する。エンジンを切って寝ていたが、明け方冷え込んできて我慢できずにエンジンをかけて暖まる。そこから登山口までは10キロほどだが、順調に進み7時半頃登山口の駐車場に到着する。人気の山らしく、有料駐車場がいたるところにある。車から降りて準備していると、登山者があっちこっちから現れてきた。
まずは、千早しいたけセンターのある表参道から登りだすことにする。トイレのある有料駐車場の横から歩き出した。駐車場の車のナンバープレートを見ると、全て大阪府内のナンバーである。
歩き出してしばらくは斜面に雪がみられるくらいでたいした雪ではなかった。アイゼンも着けずに進む。
やがて雪が増えてきた頃、道端を見たら、可愛いウルトラマンとバルタン星人の石像を見つける。面白いものを見つけて顔が緩む。
その先には、「夫婦」についての含蓄のある言葉が記されてもいた。
20代は愛で
30代は努力で
40代は我慢で
50代は諦めで
60代は信頼で
70代は感謝で
80代は一心同体
そしてそれからは空気のようなふれ愛
なるほどと納得する。
まだ、きつい斜面ではないので、まだ、アイゼンは着けずに進む。自分たちは、結構早い時間帯から登りだしたはずであったが、意外と下山してくる人が多いのが気になった。みんな軽装でアイゼンだけ着けて走るように下ってくる人が多い。それも年長者が多いのである。この辺りの人は健脚な中高年だらけなのだろうか。不思議な疑問を感じた。この謎は、山頂に行ってから解けた。
さて、次第に急坂になってきて、滑りやすくなりついにアイゼンを装着する。表参道は何合目という表示があり、どこまで来たかが判りやすい。8合目辺りからついに霧氷が現れた。日が射していたので霧氷がなくなってしまわないか気がかりであったが、まだ感激に値する霧氷の樹林帯となっていた。白い花で山が埋まっているような不思議な光景である。青空をバックに眺めると桜が開花したような雰囲気である。
霧氷をアップで撮った様子。日が当たりキラキラしてる様は美しい。
やがて、金剛山山頂前の売店のある広場に到着する。ここで、朝早くから下山者がやたらに多かった理由がわかった。広場には、金剛山に登拝した人の名前が、回数が多い順に張り出されていたのだ。最高は、何と1万回以上の人がいる。それより下は、5千回、2千回、千回とすごい数の人の名前が張り出されているのだ。山頂で、スタンプを押してくれるらしくみんな登拝の回数を競っているようなのである。恐るべし大阪人!中には一日何回も上り下りしている人もいるに違いない。
売店前を右に行くと葛城修験道総本山の転法輪寺となる。階段を上り参拝してくる。
金剛山山頂は、売店前を左に行った国見城址になる。ここからは南河内一帯が見渡せる展望がいい場所だ。1125mの山頂を示す看板の隣には時計があり、10時2分を示していた。
山頂からの霧氷の展望は、また格別に素晴らしかった。
山頂前の広場は特別広く、大勢の登山者が集まってきた。
金剛山は、関西では最もハイカーが多い山として知られているそうだ。関東で言えば、高尾山のようなものである。山頂で休憩を始めると、登山者がどんどん増えてきた。しかも、ユニークな人も多い。半袖で、勝手に歌を歌いだすおっちゃんや空手の雪中訓練を始めだすグループなど人を眺めるのも面白い。
時間は早かったが、日当たりがよく展望がいい場所なので早めのお昼にすることにした。今回のメニューは、チ-ズフォンデュ、焼き鳥、お汁粉など和洋折衷のメニューだ。
山頂でゆっくりしたあと、転法輪寺の本堂前を右に行き葛木神社参道を歩く。
五分ほどで、葛木神社に到着する。葛木神社の由来は、修験道の祖として知られる役行者が葛城山東麓の御所市茅原の生まれで16歳の時にこの山に登り長い修行の後、金剛山「転法輪寺」を建立、併せて自分の祖先である一言主神を祀るため「葛木神社」を建て、神仏混淆の霊峰としたということだ。
葛木神社の奥が、金剛山最高峰の葛木岳となるが、神域とされ一般の人は立入り禁止となっている。
葛木神社参道にも「男の一生」としてこんな言葉が記されていた。
20代は志を高く
30代は仕事に燃えて
40代は功を焦らず
50代は寛容を以って
60代は引き際よく
70代は時を遊び
80代は自由を楽しみ
そしてそれからはいぶし銀のように幽玄の境で
このような男の一生をおくれたら悔いが残らないのかもしれない。
その後、標高1112mの湧出岳を経て360度の大展望が楽しめる展望台に立ち寄る。展望台は冬場の霧氷展望ポイントとして人気がある場所である。だが、お昼を過ぎて霧氷がだいぶ溶け始めていた。やはり朝早いほうが、きれいな霧氷が見られたに違いない。このあたりは山上ちはや園地として整備されており、雪遊びを楽しむ家族連れで賑わっていた。
ちはや園地から伏見峠を経て、念仏坂を下る。ほとんど一直線に下るような急な坂道である。上ってくるのもつらそうな下り坂だ。
ながーい念仏坂を下りきると、車道に到着する。ここでやっとアイゼンを外すことができた。
本来なら、この先の車道を1時間かけて歩いて駐車場まで戻る予定であったが、アスファルトの道を1時間も歩きたくなくなった。近くのバス停の時間をみたらすぐにバスが来ることがわかったので少し待ってバスで駐車場に戻った。バスに乗るとあっという間に駐車場に到着である。早めに着いたことで、帰りの時間に余裕ができた。天気に恵まれ、楽しい雪山歩きが出来た。
まずは、千早しいたけセンターのある表参道から登りだすことにする。トイレのある有料駐車場の横から歩き出した。駐車場の車のナンバープレートを見ると、全て大阪府内のナンバーである。
歩き出してしばらくは斜面に雪がみられるくらいでたいした雪ではなかった。アイゼンも着けずに進む。
やがて雪が増えてきた頃、道端を見たら、可愛いウルトラマンとバルタン星人の石像を見つける。面白いものを見つけて顔が緩む。
その先には、「夫婦」についての含蓄のある言葉が記されてもいた。
20代は愛で
30代は努力で
40代は我慢で
50代は諦めで
60代は信頼で
70代は感謝で
80代は一心同体
そしてそれからは空気のようなふれ愛
なるほどと納得する。
まだ、きつい斜面ではないので、まだ、アイゼンは着けずに進む。自分たちは、結構早い時間帯から登りだしたはずであったが、意外と下山してくる人が多いのが気になった。みんな軽装でアイゼンだけ着けて走るように下ってくる人が多い。それも年長者が多いのである。この辺りの人は健脚な中高年だらけなのだろうか。不思議な疑問を感じた。この謎は、山頂に行ってから解けた。
さて、次第に急坂になってきて、滑りやすくなりついにアイゼンを装着する。表参道は何合目という表示があり、どこまで来たかが判りやすい。8合目辺りからついに霧氷が現れた。日が射していたので霧氷がなくなってしまわないか気がかりであったが、まだ感激に値する霧氷の樹林帯となっていた。白い花で山が埋まっているような不思議な光景である。青空をバックに眺めると桜が開花したような雰囲気である。
霧氷をアップで撮った様子。日が当たりキラキラしてる様は美しい。
やがて、金剛山山頂前の売店のある広場に到着する。ここで、朝早くから下山者がやたらに多かった理由がわかった。広場には、金剛山に登拝した人の名前が、回数が多い順に張り出されていたのだ。最高は、何と1万回以上の人がいる。それより下は、5千回、2千回、千回とすごい数の人の名前が張り出されているのだ。山頂で、スタンプを押してくれるらしくみんな登拝の回数を競っているようなのである。恐るべし大阪人!中には一日何回も上り下りしている人もいるに違いない。
売店前を右に行くと葛城修験道総本山の転法輪寺となる。階段を上り参拝してくる。
金剛山山頂は、売店前を左に行った国見城址になる。ここからは南河内一帯が見渡せる展望がいい場所だ。1125mの山頂を示す看板の隣には時計があり、10時2分を示していた。
山頂からの霧氷の展望は、また格別に素晴らしかった。
山頂前の広場は特別広く、大勢の登山者が集まってきた。
金剛山は、関西では最もハイカーが多い山として知られているそうだ。関東で言えば、高尾山のようなものである。山頂で休憩を始めると、登山者がどんどん増えてきた。しかも、ユニークな人も多い。半袖で、勝手に歌を歌いだすおっちゃんや空手の雪中訓練を始めだすグループなど人を眺めるのも面白い。
時間は早かったが、日当たりがよく展望がいい場所なので早めのお昼にすることにした。今回のメニューは、チ-ズフォンデュ、焼き鳥、お汁粉など和洋折衷のメニューだ。
山頂でゆっくりしたあと、転法輪寺の本堂前を右に行き葛木神社参道を歩く。
五分ほどで、葛木神社に到着する。葛木神社の由来は、修験道の祖として知られる役行者が葛城山東麓の御所市茅原の生まれで16歳の時にこの山に登り長い修行の後、金剛山「転法輪寺」を建立、併せて自分の祖先である一言主神を祀るため「葛木神社」を建て、神仏混淆の霊峰としたということだ。
葛木神社の奥が、金剛山最高峰の葛木岳となるが、神域とされ一般の人は立入り禁止となっている。
葛木神社参道にも「男の一生」としてこんな言葉が記されていた。
20代は志を高く
30代は仕事に燃えて
40代は功を焦らず
50代は寛容を以って
60代は引き際よく
70代は時を遊び
80代は自由を楽しみ
そしてそれからはいぶし銀のように幽玄の境で
このような男の一生をおくれたら悔いが残らないのかもしれない。
その後、標高1112mの湧出岳を経て360度の大展望が楽しめる展望台に立ち寄る。展望台は冬場の霧氷展望ポイントとして人気がある場所である。だが、お昼を過ぎて霧氷がだいぶ溶け始めていた。やはり朝早いほうが、きれいな霧氷が見られたに違いない。このあたりは山上ちはや園地として整備されており、雪遊びを楽しむ家族連れで賑わっていた。
ちはや園地から伏見峠を経て、念仏坂を下る。ほとんど一直線に下るような急な坂道である。上ってくるのもつらそうな下り坂だ。
ながーい念仏坂を下りきると、車道に到着する。ここでやっとアイゼンを外すことができた。
本来なら、この先の車道を1時間かけて歩いて駐車場まで戻る予定であったが、アスファルトの道を1時間も歩きたくなくなった。近くのバス停の時間をみたらすぐにバスが来ることがわかったので少し待ってバスで駐車場に戻った。バスに乗るとあっという間に駐車場に到着である。早めに着いたことで、帰りの時間に余裕ができた。天気に恵まれ、楽しい雪山歩きが出来た。